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大学どうするの?
しおりを挟む咲良が「またね!」と明るく手を振って帰っていったあと、部屋には再び静寂が戻った。玄関のドアが閉まる音が遠ざかると同時に、拓也(美奈子の体)の重いため息がベッドの中から漏れた。
「……ふぅ……ほんとに、二日目って地獄だな……」
顔をしかめ、布団にくるまって丸くなっている。下腹部は重く鈍痛が続き、腰の奥にまでずしりとした痛みが広がっている。夜からほとんど眠れなかったせいで、体のだるさは限界に達していた。
ソファに座っていた美奈子(拓也の体)は、その様子を心配そうに見つめていた。時計の針はすでに大学の授業が始まる支度を促す時間を指していたが、立ち上がる気配はない。
「……大学、どうするの?」
問いかけに、布団の中からくぐもった声が返る。
「お前は行けよ……俺は無理だけど……」
その言葉を聞いた瞬間、美奈子は首を横に振った。
「行かないわ」
「は? なんでだよ。俺一人で寝てればいいだろ」
「そんなの放っておけるわけないでしょ」
きっぱりとした声に、拓也は目を丸くした。自分の体をした美奈子が、まるで姉のような口調で言い切ったのだ。
「今は私の体なんだから、私が責任持って世話する。……それに、正直心配なのよ。痛みで動けないんでしょ? 何かあったらどうするの」
「……でも、大学……」
「休講だと思えばいいじゃない。たまには私も休むわ」
その強さに押され、拓也は観念したように小さくうなずいた。
美奈子はすぐにキッチンへ向かい、冷蔵庫を開けて食材を探した。卵と冷ご飯があったので、鍋に水を張り、弱火でことこと煮始める。
「……まさか自分の体をした彼氏のためにおかゆを作る日が来るなんてね」
小さく苦笑しながら、卵を溶き入れ、湯気の立つ優しい香りを部屋に広げていった。
ベッドの上の拓也は、かすかに鼻をひくつかせた。
「……なんかいい匂いする」
「おかゆよ。胃に優しいし、少しは楽になるでしょ」
やがて出来上がった卵がゆを小さな器に盛り、スプーンを添えてベッド脇のテーブルに置いた。
「さ、食べてみて」
拓也はゆっくりと体を起こし、スプーンを手に取った。湯気の立つ黄色いおかゆをひと口すすると、ふっと表情がやわらぐ。
「……あったかい……。なんか、ほっとするな」
「でしょ? お腹も痛いんだから、優しいのが一番よ」
穏やかな時間が流れる中、拓也はしばらく黙って食べ進め、やがてぽつりとつぶやいた。
「……ありがとうな」
「え?」
「こうして看病してもらうと、ほんとにありがたいって思う。今まで“生理つらい”って言われても、正直ちゃんと想像できてなかった。……でも今は、嫌でもわかる」
美奈子は驚き、それからゆっくりと微笑んだ。
「それなら、この入れ替わりも無駄じゃなかったわね」
拓也は苦笑しながら頷いた。
「ほんとにな……でも正直、これ以上は勘弁してほしいけど」
二人の間に、小さな笑いが生まれる。外では大学へ急ぐ学生たちの声が響いているのに、部屋の中はまるで別の世界のように静かで温かかった。
美奈子は椅子をベッドのそばに寄せ、拓也の額にかかった髪をそっと撫でながら言った。
「今日はずっと一緒にいるから。安心して休んで」
「……ああ。頼む」
その返事はかすかに弱々しいものだったが、心の奥底には確かな信頼が宿っていた。
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