ビューティークリーム

廣瀬純七

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金曜日の午後

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金曜日の午後、博之のスマートフォンに一本の着信があった。画面に表示されたのは、病院の番号。

「あ……はい、高橋です」

『あ、高橋さん。検査に出していた“クリーム”の成分分析が終わりました。少しお話をしたいので、明日、お時間いただけますか?』

低く落ち着いた医師の声。だが、どこか慎重な響きが混じっているように感じた。

「はい……明日、伺います」

通話を終えた博之は、傍らでスマホを見つめていた夏美に向かって小さくうなずいた。

「……ついに、成分がわかったって」

夏美は頷き返した。互いに、不安は隠しきれなかった。

***

翌日。二人は再び病院の診察室にいた。医師は、クリームの瓶と一枚の成分分析レポートを前に、慎重に言葉を選びながら説明を始めた。

「まず結論から申し上げます。このクリームには、天然由来とは思えないほど強力な“性ホルモン誘導物質”が含まれていました。しかも、既知の成分とは一致しない化合物が複数あり……正直、製薬の現場でも見たことがない物質です」

「……つまり、なんなんですか。これは一体……」

博之がかすれた声で問いかける。

医師は、深く息をついて言った。

「わかりやすく言うなら、“細胞レベルで性別の構造を再構築する作用”があると考えられます。皮膚から浸透し、まずは表皮組織、次に声帯、筋肉、内分泌系へと変化が波及していく。その進行は一見して緩やかですが、逆に言えば“定着しやすい”」

「戻すことは……できないんですか?」

夏美が切実な声で尋ねた。

「現段階では、“戻す”ための成分がわかっていません。強い抗アンドロゲン(男性ホルモン抑制)効果と、エストロゲン類似作用を持っているが、普通の薬剤で打ち消せるようなレベルではない」

医師はさらに一枚の紙を手渡した。それは、化学構造式がびっしり書き込まれたもので、ラベルにはこう記されていた:

> 【仮称:C-FEM-03】
> 生物由来の“未知のフェム変異化合物”。
> 皮膚吸収後、徐々に細胞レベルで性別再構成を促進。
> DNAレベルでの恒久的影響の可能性あり。

「……“恒久的影響”?」

博之の心臓が、どくん、と音を立てた。

「ええ。つまり、このまま変化が進行すれば、完全に“女性の身体”に再構築される可能性が高いということです」

沈黙が落ちた。

夏美はそっと博之の手を握る。

「……でも、今まだ途中なんですよね?」

「そうです。進行度合いを測定したところ、現在は“変化率およそ65%”程度。ただし、ここを越えると、“身体が女性であることを自己認識するよう脳も適応していく”段階に入ります」

「脳……も?」

博之は思わずつぶやいた。

「身体だけでなく、感情や行動傾向、記憶は保持したまま、性自認まで徐々に変わっていくことが予想されます。もちろん個人差はありますが、脳はホルモンに非常に敏感ですからね」

夏美がそっと見つめてきた。その目は、恐れているというよりも、「一緒に考えよう」と言っているようだった。

「……じゃあ、俺……このまま行くと……完全に“女の人”になっちゃうってことか」

「はい。しかも、自然には戻らない可能性が高い」

医師はそう言ってから、言葉を継いだ。

「ひとつだけ可能性があるとすれば、これと逆の作用を持つ化合物の合成……いわば“解毒薬”のようなものを開発することですが、少なくとも年単位での研究と臨床試験が必要です。現実的には……難しいかもしれません」

診察室の空気が重く沈む中、夏美がぽつりと呟いた。

「ねえ、博之……それでも、私は……今のあなたを、ちゃんと受け入れてる。たとえこれから先、完全に“女の子”になったとしても、私はあなたを愛してるよ」

博之の目に、光がにじんだ。

変わってしまうことへの恐怖と、変わっていく中で見つけた確かな繋がり——その狭間で、彼は今、重大な選択を迫られようとしていた。

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