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鵬程万里
五
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馬と胡服は父に取り上げられ、徒で少年達は霊寿へと向かった。数日間かけて霊寿に達したが、戦の喧噪は都までは届いていなかった。
司馬熹はおらず、彼の家宰が楽毅一行を霊寿で迎えた。楽氏の館も霊寿にあるので、楽毅自身も都の地理は知悉している。楽毅以外、司馬熹の館に留まるように命じられた。
「あっ」
流石に息を呑んだ。家宰に案内されたのは、霊寿の中心区に構える、公子の館であった。家宰が門闕を守る、衛兵に誰何されている様子を呆然と眺める。
「入れ」
衛兵の表情は硬い。正門を潜ると、広大な中庭が拡がっていた。
しかし、館そのものの広さに対して、寂れた風がある。本来、整地されているはずの地面には、鬱蒼と雑草が茂っている。
中庭の奥に、母屋のようなものが見えるが、瓦葺の屋根は、瓦が欠落している部分が多く、下地となる泥壁が禿げて見えている。
見渡せば、館を囲う塀も損傷が激しく、至る所に孔が空いており、拳で軽く小突けば、倒れてしまいそうなほど頼りない。まるでこの空間だけが、時代に取り残され、神さびた物悲しさがある。
広大な中庭で一人、具足を纏った、青年が佇んでいる。彼は荒廃した時空の中で、空を仰ぐ。此方の気配を感じ、青年が顔を向ける。
玲瓏な面だった。白皙の肌。桃色の唇。澄明なる眸。青年が放つ、貴人の気配に、楽毅はのまれた。彼が誘うように、微笑んだ。戸惑いながらも、青年に歩み寄っていく。
「鳥は好きか?」
青年の視線は、再び空にある。空を仰いだまま、清明な声で楽毅に問うた。
「はい」
「そうか。鳥はいいな。何処へでも、その両翼で飛んでゆくことができる」
楽毅は男と並んで、空を見上げた。何故か、この青年に自分の想いを語りたくなかった。
彼には此方の心の内をさらけ出したくなる、不思議な包容力がある。
「大鵬はご存じですか?」
「万里を越える、幻の鳥獣だな」
青年の声は、水のように透き通り、心地よく耳奥を撫ぜる。
「はい。俺は白き翼をもった、大鵬をよく夢に見ます」
青年が視線を楽毅に転じる。女子の如く、切れ長の紅唇が綻んだ。
「ほう。大鵬を夢寐に見るとは。私はこう聞いている。いにしえより、大鵬は清廉な志を抱く勇者のみ前にしか、姿を現さないという」
「勇者ですか」
挙措優雅に、青年は屈むと、楽毅に視線を合わせた。緊張を弛緩させる、心地の良い、馥郁とした香気が鼻腔をなぜる。
「良い面構えをしている。なるほど。爺やは、私に勇者の卵と引き合わせたという訳か」
青年が鈴の音を鳴らしたような声で、淑やかに笑う。
「私も大鵬を、この眼で見てみたいものだ」
刷いた笑みを収め、凛然として眼を向ける。
「名は楽毅。そうだな?」
「はっ。はい」
慌てて膝を折る。青年から、鬱金色の気配が横溢するのを感じた。
「そう畏まるな。おぬしとは長い付き合いになるのだからな」
言葉の意味は理解できないが、それでも彼の気配に圧倒される、楽毅は小さく頭を垂れた。
「殿下。気に入って頂けましたかな?」
馴染みのある声。いつの間にか、背後で杖をついた司馬熹が立っていた。
「この御方は公子董様にあらせられる」
楽毅は面を伏せ、身を縮めることしか出来ない。
「爺やの眼はやはり正しかったようだ。この少年は大鵬に選ばれし者よ」
上目遣いで公子董を見遣ると、彼は穏やかに笑んでいた。
「楽毅よ。公子董様こそ、この国の希望よ」
司馬熹はおらず、彼の家宰が楽毅一行を霊寿で迎えた。楽氏の館も霊寿にあるので、楽毅自身も都の地理は知悉している。楽毅以外、司馬熹の館に留まるように命じられた。
「あっ」
流石に息を呑んだ。家宰に案内されたのは、霊寿の中心区に構える、公子の館であった。家宰が門闕を守る、衛兵に誰何されている様子を呆然と眺める。
「入れ」
衛兵の表情は硬い。正門を潜ると、広大な中庭が拡がっていた。
しかし、館そのものの広さに対して、寂れた風がある。本来、整地されているはずの地面には、鬱蒼と雑草が茂っている。
中庭の奥に、母屋のようなものが見えるが、瓦葺の屋根は、瓦が欠落している部分が多く、下地となる泥壁が禿げて見えている。
見渡せば、館を囲う塀も損傷が激しく、至る所に孔が空いており、拳で軽く小突けば、倒れてしまいそうなほど頼りない。まるでこの空間だけが、時代に取り残され、神さびた物悲しさがある。
広大な中庭で一人、具足を纏った、青年が佇んでいる。彼は荒廃した時空の中で、空を仰ぐ。此方の気配を感じ、青年が顔を向ける。
玲瓏な面だった。白皙の肌。桃色の唇。澄明なる眸。青年が放つ、貴人の気配に、楽毅はのまれた。彼が誘うように、微笑んだ。戸惑いながらも、青年に歩み寄っていく。
「鳥は好きか?」
青年の視線は、再び空にある。空を仰いだまま、清明な声で楽毅に問うた。
「はい」
「そうか。鳥はいいな。何処へでも、その両翼で飛んでゆくことができる」
楽毅は男と並んで、空を見上げた。何故か、この青年に自分の想いを語りたくなかった。
彼には此方の心の内をさらけ出したくなる、不思議な包容力がある。
「大鵬はご存じですか?」
「万里を越える、幻の鳥獣だな」
青年の声は、水のように透き通り、心地よく耳奥を撫ぜる。
「はい。俺は白き翼をもった、大鵬をよく夢に見ます」
青年が視線を楽毅に転じる。女子の如く、切れ長の紅唇が綻んだ。
「ほう。大鵬を夢寐に見るとは。私はこう聞いている。いにしえより、大鵬は清廉な志を抱く勇者のみ前にしか、姿を現さないという」
「勇者ですか」
挙措優雅に、青年は屈むと、楽毅に視線を合わせた。緊張を弛緩させる、心地の良い、馥郁とした香気が鼻腔をなぜる。
「良い面構えをしている。なるほど。爺やは、私に勇者の卵と引き合わせたという訳か」
青年が鈴の音を鳴らしたような声で、淑やかに笑う。
「私も大鵬を、この眼で見てみたいものだ」
刷いた笑みを収め、凛然として眼を向ける。
「名は楽毅。そうだな?」
「はっ。はい」
慌てて膝を折る。青年から、鬱金色の気配が横溢するのを感じた。
「そう畏まるな。おぬしとは長い付き合いになるのだからな」
言葉の意味は理解できないが、それでも彼の気配に圧倒される、楽毅は小さく頭を垂れた。
「殿下。気に入って頂けましたかな?」
馴染みのある声。いつの間にか、背後で杖をついた司馬熹が立っていた。
「この御方は公子董様にあらせられる」
楽毅は面を伏せ、身を縮めることしか出来ない。
「爺やの眼はやはり正しかったようだ。この少年は大鵬に選ばれし者よ」
上目遣いで公子董を見遣ると、彼は穏やかに笑んでいた。
「楽毅よ。公子董様こそ、この国の希望よ」
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