楽毅 大鵬伝

松井暁彦

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東垣の乱

 二 

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  先行する車騎将軍牛剪しゃきしょうぐんぎゅうせんから、二日遅れで廉頗は東垣に入った。道中、妙な蟠りが胸の中に渦巻き続けていた。
 
 封竜までから東垣へまでに、十数の邑を見かけた。だが、邑々から一様に、備蓄と人が消えていた。兵法の常識として、糧食は敵地で求めるのが最善とされている。輸送の手間も省ける上に、敵地で糧食を奪えば、その分当然ながら敵は飢える。
 
 糧食を奪われるのを避ける為、早々に邑人と糧食を東垣の塞に逃がしたか。だが、備蓄の糧食を東垣に運びこんだとして、十数の邑人達が塞に集約すれば、塞内の負担も大きくなる。
 
 なだらかな山のひだにある、東垣の塞には、多くの邑人達を収容し、治めていけるだけの許容はない。流れた邑人達は、三万は超えるだろうに。収容できる人数は、せいぜい二万が限度だろう。
 
 多くの人間を小さな囲いに収容すれば、内輪もめも起こる。幾ら、民の身を案じるからといって、塞の許容量を超える、民を収容するのは得策ではない。東垣の指揮を執る、公子がよほどのお人好しなのか。
 
 主君である武霊王を除いて、王室の戦場における才覚など、その程度のものだ。所詮は、戦乱の世に戦を知らず生きてきた、温室育ちのぼんくらが多い。
 
 不要な蟠りなど、唾棄だきすべきであるが、胡乱うろんな気配は中空に漂ったままだ。

 陽が中天の差し掛かる頃。牛剪の先鋒が、劈頭へきとうを飾った。衝車しょうしゃ雲梯うんていの兵器が、数万の兵士と共に、勾配を駆け上がっていく。
 
 廉頗は自らが率いる五百騎の内、五十騎を引き連れて、道を逸れ、獣道を駆け上がった。屹立きつりつする岩山を馬で平然と駆け上がり、禿げ上がった頂上にまで達する。
 
 展望は良い。攻める側の趙軍と守る側の中山軍の攻防が、鮮明に眺めることができる。
 南に視線を薙げば、放棄された邑が綺麗に残っている。
 
 更に南には谷に挟まれた、狭隘きょうあいの地があり、抜ければ封竜に至るまでの軍道が続いている。
 当初は、東垣の地へと続く隘路の存在を警戒していた。幾ら趙軍が大軍を有しているとはいえ、縦一列に伸びる、隘路で奇襲を受ければ、ひとたまりもないからである。
 
 だが、警戒虚しく、東垣への行程が穏やかなものであった。武霊王は中山の宰相の息子である、楽毅という餓鬼にご執心らしい。らしくない嫉妬を抱えながらも、廉頗は趙与に奇襲を仕掛けた、楽毅と刃を交わす瞬間を待ち侘びている。
 
 だが、現今の中山の有様を見れば、失望へと変わる。

「楽毅が東垣に入ったとは聞いていたが、たいしたことはないのかもしれんな」
 全身に迸る火焔が鎮火していくのを感じ、廉頗は東垣の攻防から眼を背けた。

 夕刻。本陣に帰還すると、牛剪はご満悦の様相であった。

「中山兵はやはり脆いの。五日もあれば、陥とせるだろうよ」
 廉頗は禿頭とくとうを光らせ、満腔まんこうの笑みを浮かべる、牛剪を冷ややか眼で見た。

「それはよかった」
 にべもなく答える。廉頗はこの男が嫌いだ。軽薄けいはくで褒賞を第一とする欲深さがある。

「貴様の出番はないぞ。廉頗」

「はいはい」
 と早々に話を切り上げ、幕舎を後にする。

「ちっ。王の走狗そうぐが調子に乗りおって」
 牛剪が悪態をついたのを聞き逃さなかった。

 その夜。廉頗は本陣から少し離れた所で、兵士と共に野営していた。将校には基本的に大幕舎が与えられるが、廉頗は野営を選んだ。
 
 静謐せいひつに異様なものを肌で感じ取ったからである。兵士達は寝静まっている。寡兵の敵ゆえ、牛剪が放っている、哨戒しょうかいの兵も最小限であった。
 
 趙軍は東垣の二倍以上である。奇襲を仕掛けたとして、中山の兵数は一万強と明らかになっている。懼れるには値しない。

 等間隔で焚かれた、庭燎にわびが大きく揺れる。

「風が強いな」
 寒さを覚え、寄り添って眠る、馬の体躯に身を寄せる。
 
 風は東垣のある、山から降るように吹き付けてくる。不意に背筋にうすら寒いものを覚えた。
 瞬き揺れる庭燎を見遣る。



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