9 / 140
東垣の乱
二
しおりを挟む
先行する車騎将軍牛剪から、二日遅れで廉頗は東垣に入った。道中、妙な蟠りが胸の中に渦巻き続けていた。
封竜までから東垣へまでに、十数の邑を見かけた。だが、邑々から一様に、備蓄と人が消えていた。兵法の常識として、糧食は敵地で求めるのが最善とされている。輸送の手間も省ける上に、敵地で糧食を奪えば、その分当然ながら敵は飢える。
糧食を奪われるのを避ける為、早々に邑人と糧食を東垣の塞に逃がしたか。だが、備蓄の糧食を東垣に運びこんだとして、十数の邑人達が塞に集約すれば、塞内の負担も大きくなる。
なだらかな山の襞にある、東垣の塞には、多くの邑人達を収容し、治めていけるだけの許容はない。流れた邑人達は、三万は超えるだろうに。収容できる人数は、せいぜい二万が限度だろう。
多くの人間を小さな囲いに収容すれば、内輪もめも起こる。幾ら、民の身を案じるからといって、塞の許容量を超える、民を収容するのは得策ではない。東垣の指揮を執る、公子がよほどのお人好しなのか。
主君である武霊王を除いて、王室の戦場における才覚など、その程度のものだ。所詮は、戦乱の世に戦を知らず生きてきた、温室育ちのぼんくらが多い。
不要な蟠りなど、唾棄すべきであるが、胡乱な気配は中空に漂ったままだ。
陽が中天の差し掛かる頃。牛剪の先鋒が、劈頭を飾った。衝車や雲梯の兵器が、数万の兵士と共に、勾配を駆け上がっていく。
廉頗は自らが率いる五百騎の内、五十騎を引き連れて、道を逸れ、獣道を駆け上がった。屹立する岩山を馬で平然と駆け上がり、禿げ上がった頂上にまで達する。
展望は良い。攻める側の趙軍と守る側の中山軍の攻防が、鮮明に眺めることができる。
南に視線を薙げば、放棄された邑が綺麗に残っている。
更に南には谷に挟まれた、狭隘の地があり、抜ければ封竜に至るまでの軍道が続いている。
当初は、東垣の地へと続く隘路の存在を警戒していた。幾ら趙軍が大軍を有しているとはいえ、縦一列に伸びる、隘路で奇襲を受ければ、ひとたまりもないからである。
だが、警戒虚しく、東垣への行程が穏やかなものであった。武霊王は中山の宰相の息子である、楽毅という餓鬼にご執心らしい。らしくない嫉妬を抱えながらも、廉頗は趙与に奇襲を仕掛けた、楽毅と刃を交わす瞬間を待ち侘びている。
だが、現今の中山の有様を見れば、失望へと変わる。
「楽毅が東垣に入ったとは聞いていたが、たいしたことはないのかもしれんな」
全身に迸る火焔が鎮火していくのを感じ、廉頗は東垣の攻防から眼を背けた。
夕刻。本陣に帰還すると、牛剪はご満悦の様相であった。
「中山兵はやはり脆いの。五日もあれば、陥とせるだろうよ」
廉頗は禿頭を光らせ、満腔の笑みを浮かべる、牛剪を冷ややか眼で見た。
「それはよかった」
にべもなく答える。廉頗はこの男が嫌いだ。軽薄で褒賞を第一とする欲深さがある。
「貴様の出番はないぞ。廉頗」
「はいはい」
と早々に話を切り上げ、幕舎を後にする。
「ちっ。王の走狗が調子に乗りおって」
牛剪が悪態をついたのを聞き逃さなかった。
その夜。廉頗は本陣から少し離れた所で、兵士と共に野営していた。将校には基本的に大幕舎が与えられるが、廉頗は野営を選んだ。
静謐に異様なものを肌で感じ取ったからである。兵士達は寝静まっている。寡兵の敵ゆえ、牛剪が放っている、哨戒の兵も最小限であった。
趙軍は東垣の二倍以上である。奇襲を仕掛けたとして、中山の兵数は一万強と明らかになっている。懼れるには値しない。
等間隔で焚かれた、庭燎が大きく揺れる。
「風が強いな」
寒さを覚え、寄り添って眠る、馬の体躯に身を寄せる。
風は東垣のある、山から降るように吹き付けてくる。不意に背筋にうすら寒いものを覚えた。
瞬き揺れる庭燎を見遣る。
封竜までから東垣へまでに、十数の邑を見かけた。だが、邑々から一様に、備蓄と人が消えていた。兵法の常識として、糧食は敵地で求めるのが最善とされている。輸送の手間も省ける上に、敵地で糧食を奪えば、その分当然ながら敵は飢える。
糧食を奪われるのを避ける為、早々に邑人と糧食を東垣の塞に逃がしたか。だが、備蓄の糧食を東垣に運びこんだとして、十数の邑人達が塞に集約すれば、塞内の負担も大きくなる。
なだらかな山の襞にある、東垣の塞には、多くの邑人達を収容し、治めていけるだけの許容はない。流れた邑人達は、三万は超えるだろうに。収容できる人数は、せいぜい二万が限度だろう。
多くの人間を小さな囲いに収容すれば、内輪もめも起こる。幾ら、民の身を案じるからといって、塞の許容量を超える、民を収容するのは得策ではない。東垣の指揮を執る、公子がよほどのお人好しなのか。
主君である武霊王を除いて、王室の戦場における才覚など、その程度のものだ。所詮は、戦乱の世に戦を知らず生きてきた、温室育ちのぼんくらが多い。
不要な蟠りなど、唾棄すべきであるが、胡乱な気配は中空に漂ったままだ。
陽が中天の差し掛かる頃。牛剪の先鋒が、劈頭を飾った。衝車や雲梯の兵器が、数万の兵士と共に、勾配を駆け上がっていく。
廉頗は自らが率いる五百騎の内、五十騎を引き連れて、道を逸れ、獣道を駆け上がった。屹立する岩山を馬で平然と駆け上がり、禿げ上がった頂上にまで達する。
展望は良い。攻める側の趙軍と守る側の中山軍の攻防が、鮮明に眺めることができる。
南に視線を薙げば、放棄された邑が綺麗に残っている。
更に南には谷に挟まれた、狭隘の地があり、抜ければ封竜に至るまでの軍道が続いている。
当初は、東垣の地へと続く隘路の存在を警戒していた。幾ら趙軍が大軍を有しているとはいえ、縦一列に伸びる、隘路で奇襲を受ければ、ひとたまりもないからである。
だが、警戒虚しく、東垣への行程が穏やかなものであった。武霊王は中山の宰相の息子である、楽毅という餓鬼にご執心らしい。らしくない嫉妬を抱えながらも、廉頗は趙与に奇襲を仕掛けた、楽毅と刃を交わす瞬間を待ち侘びている。
だが、現今の中山の有様を見れば、失望へと変わる。
「楽毅が東垣に入ったとは聞いていたが、たいしたことはないのかもしれんな」
全身に迸る火焔が鎮火していくのを感じ、廉頗は東垣の攻防から眼を背けた。
夕刻。本陣に帰還すると、牛剪はご満悦の様相であった。
「中山兵はやはり脆いの。五日もあれば、陥とせるだろうよ」
廉頗は禿頭を光らせ、満腔の笑みを浮かべる、牛剪を冷ややか眼で見た。
「それはよかった」
にべもなく答える。廉頗はこの男が嫌いだ。軽薄で褒賞を第一とする欲深さがある。
「貴様の出番はないぞ。廉頗」
「はいはい」
と早々に話を切り上げ、幕舎を後にする。
「ちっ。王の走狗が調子に乗りおって」
牛剪が悪態をついたのを聞き逃さなかった。
その夜。廉頗は本陣から少し離れた所で、兵士と共に野営していた。将校には基本的に大幕舎が与えられるが、廉頗は野営を選んだ。
静謐に異様なものを肌で感じ取ったからである。兵士達は寝静まっている。寡兵の敵ゆえ、牛剪が放っている、哨戒の兵も最小限であった。
趙軍は東垣の二倍以上である。奇襲を仕掛けたとして、中山の兵数は一万強と明らかになっている。懼れるには値しない。
等間隔で焚かれた、庭燎が大きく揺れる。
「風が強いな」
寒さを覚え、寄り添って眠る、馬の体躯に身を寄せる。
風は東垣のある、山から降るように吹き付けてくる。不意に背筋にうすら寒いものを覚えた。
瞬き揺れる庭燎を見遣る。
0
あなたにおすすめの小説
輿乗(よじょう)の敵 ~ 新史 桶狭間 ~
四谷軒
歴史・時代
【あらすじ】
美濃の戦国大名、斎藤道三の娘・帰蝶(きちょう)は、隣国尾張の織田信長に嫁ぐことになった。信長の父・信秀、信長の傅役(もりやく)・平手政秀など、さまざまな人々と出会い、別れ……やがて信長と帰蝶は尾張の国盗りに成功する。しかし、道三は嫡男の義龍に殺され、義龍は「一色」と称して、織田の敵に回る。一方、三河の方からは、駿河の国主・今川義元が、大軍を率いて尾張へと向かって来ていた……。
【登場人物】
帰蝶(きちょう):美濃の戦国大名、斎藤道三の娘。通称、濃姫(のうひめ)。
織田信長:尾張の戦国大名。父・信秀の跡を継いで、尾張を制した。通称、三郎(さぶろう)。
斎藤道三:下剋上(げこくじょう)により美濃の国主にのし上がった男。俗名、利政。
一色義龍:道三の息子。帰蝶の兄。道三を倒して、美濃の国主になる。幕府から、名門「一色家」を名乗る許しを得る。
今川義元:駿河の戦国大名。名門「今川家」の当主であるが、国盗りによって駿河の国主となり、「海道一の弓取り」の異名を持つ。
斯波義銀(しばよしかね):尾張の国主の家系、名門「斯波家」の当主。ただし、実力はなく、形だけの国主として、信長が「臣従」している。
【参考資料】
「国盗り物語」 司馬遼太郎 新潮社
「地図と読む 現代語訳 信長公記」 太田 牛一 (著) 中川太古 (翻訳) KADOKAWA
東浦町観光協会ホームページ
Wikipedia
【表紙画像】
歌川豊宣, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる