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「昴貴の章」

008.黄金の竜の記憶

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……そう。この水色の瞳と銅色の髪は陛下にお会いするあの日まで、私にとって大いなる誇りであり力の象徴だった。

 あの当時、私はせいぜい八十歳になるかならないかの子供だった。既に将来水龍の主家を継ぐことが決められていた私は、元服の祝賀を受けるために父に連れられ、謁見の間で初めて竜王に相対したのだ。

『面を上げよ』

 低く、重いその声に、私は恐る恐る顔を上げた。そして目を奪われる。眩いばかりの黄金の髪に海のように深い青の瞳。男ならば誰でも憧れるであろう堂々とした体躯――竜界でただ一人の支配者であり、ただ一人黄金の色を持つ竜。

 神話そのままの御姿が、私の目の前にあった。

『お前が昴氏の倅か。ほう、確かに父の血と母の血、両方が良く出ているな』

 水龍族の主家である父より受け継いだ瞳と、土龍族の名門出身の母より受け継いだ髪は、竜界において己の出自を明らかにするのに無くてはならぬ血統の証だった。だが、この方の前ではその色も褪せてしまう。

『……』

『どうした、昴貴?』

『こら昴貴、挨拶をしないか』

 父に苛立たしげに言われ、私は慌てて頭を下げた。

『も、申し遅れました。昴貴と申します。この度は祝賀のお言葉を頂き、誠にありがとうございました』

 こちらの緊張が伝わったのだろうか。陛下は目を細め笑顔を浮かべた。

『先日、お前が小学府で首位の成績を収めたと聞いた。よくやったな』

『あ、ありがたき幸せ!』

 父と私は水晶の床に平伏した。

『武術も良いものを持っているようだな。昴貴よ、もう空は飛べるのか?』

『い、いいえ』

 私はその質問に恥じて顔を落とした。
 
 生粋の竜族の子供でも飛行が可能となる年齢には差がある。それには己の気を大気と同化する訓練が求められるからだ。だが、私にはまだそれができなかった。

 八十歳が決して遅いと言うわけではない。だが、早いものであれば六十歳前後で開花する。

 あらゆる竜より優れた竜であらねばならないと言う教えを叩きこまれて育った私には、たった一つであれ自分に及ばぬものがあることに我慢がならなかった。

『恐れながら未熟にございます』

 陛下はふむ、と顎を抑えた。

『俺が見たところ、お前はとうに飛べる力を身に付けているぞ?』

 陛下は玉座から立ち上がり私の前に立った。そして髪が乱れるまでこちらの頭を何度も撫でる。

 私は驚きのあまり硬直してしまった。竜王ともあろう方が、例え一族の者であれ直にその身に触れるなど、想像すらしていなかったからである。

『昴貴、お前が飛べんのは空に焦がれることを知らんからだ』

『空に焦がれる?』

『そうだ』

 言葉と共に陛下はひょいと私を小脇に抱えた。

『――!?』

『昴氏。お前は息子を大人にするのが早すぎたな』

『へ、陛下。何をなさるのですか!?』

『昴貴を1日借りるぞ?なぁに、安心しろ。取って食うつもりはない』



 謁見の間を出、廊下を抜け、王宮中央にある庭園へと辿り着く。そこは大きな吹き抜けに続いており、竜宮に太陽の光を取り入れる役割を果たしていた。

『へ、陛下!?一体何を』

『……』

 陛下は私はようやく地面に下した。私の右肩に手を置く。

『昴貴よ、これからお前が水龍族の長として歩む道は長く険しいものになるだろう。それゆえお前は、お前がこれから守るこの竜界がどのような世界であるかを知らねばならん』

『僕が、これから守る?』

『そうだ』

 私は意味が分からず目を瞬かせた。

『お前に、この世界の美しさを教えてやろう』

 言葉と共に黄金の光がその身を包む。

『……っ!』

 私は思わずその場に身を伏せた。

 これが、竜王の気……!

 耐え切れず目を閉じる。その光は海を総べながら太陽のように眩い。

 何と力強い。何と熱い――。

 私は何が起きているのかを知ろうと瞼を開け、そしてその光の中に、神とも見紛う1頭の黄金の龍を見出した。

『陛下……陛下なのでございますか?』

 私の呆然とした呟きに、グルルと小さく竜王が答えた。

(そうだ。さあ、昴貴。俺の背に乗れ)

『そんな!陛下に乗るなど……!』

(お前にとって俺の権威とは背に子供を乗せたくらいで損なわれるものなのか?)

『そ、そんなことないです!』

 陛下は声を上げ笑う。

(なら、乗れ。命令であればお前も心苦しくはなかろう?)

 陛下は私を背に乗せ、吹き抜けを駆け上った。海を抜け、地上を超え、空へと昇る。更には宙へ――。みるみる星から遠ざかるその壮大な光景に私は息を飲んだ。

(あれが我らの海だ)

 生命の繁栄を約束する青い水。

(あれが地上だ。お前の母の故郷だな)

 生命を育む大地とそれを覆う緑。

(昴貴、これが我らの世界だ)

『……』

(はっはっは……。言葉も出ないか?)

『……はい』

 私はようやく呟いた。

『この景色を、僕は、もう1度見たい』

 私は黄金の鬣を握り締めた。父の意志ではなく、水龍族の誇りからでもなく、ただ自分自身の願いとして、もう一度この竜界を見たい。
 
(そうか)

 陛下は再び笑った。

(ならば昴貴よ、お前はもう飛べる。この世界を超え、どのような場所にでも羽ばたいていくことができるだろう)
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