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ドラゴン・レース
波乱のスタート
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名を叫んだ途端、すぐに唇を手袋をはめた手で塞がれた。
耳元に、皇族然とした高貴な響きの帝国語が囁かれる。
「おっと、私は今、皇子ではないぞ」
「そっ、その凄い色の髪は……」
「身分を隠すため、魔法石で赤く染めている。私は赤やら黒やら、ハッキリした色が好きでな。これは遠い南の秘境にある蛮国に伝わる伝説の英雄、『ヴァランカ』の扮装だ。似合うだろう?」
「……聞いたこともないぞ、そんな仮装は……そもそもお前、この競争には出ないと言ったではないか。何故ここにいる!?」
「確かに皇子ラファトは出ない。代わりにこの、『ヴァランカ』が出ると言う訳だ」
ラファトはいけしゃあしゃあと言い張った。
……皇族が匿名で出ると言うのは、そう言うことだったのか。
イドリスが呆れ返っていると、アスランが一歩前に出て、ラファトに向かい手を差し伸べた。
「よう、『ヴァランカ』。しばらくぶりだな」
「『アスラン』……。今年も俺の目の前で吠え面をかかせてやるぜ」
ラファトは完全にヴァランカとかいう者になりきっているのか、聞いたこともないようなぞんざいな口の利き方をしていて、イドリスは驚いた。
近づいてしっかりと握手しながらも、二人の睨むような視線が空中で絡み合い、青い火花が散る。
このアスランという男は、ラファトのよほどの好敵手なのに違いない――と確信してから、イドリスはハタと今の自分の立場を思い出した。
「ちょっと、こっちに来い!」
鋭く呼びかけ、ラファトの長たらしい服の首根っこを掴む。
そしてそのまま、サキルの巨体と観客席の壁の間の、人目のない場所に彼を引きずって連れてきた。
「……なんだ急に積極的になって。さては私と子作りがしたくて我慢できなくなったか?」
ラファトの言い草も相まって、イドリスは額に血管を浮き立たせながら彼の胸ぐらを掴んだ。
「おい! お前が試合に出るのなら、俺は一体、どのドラゴンに乗れば良いのだ!?」
「サキルはお前にやる。私はあのライラに乗る予定だ」
ラファトが指差した先の壁際に、まるで闇のように黒いドラゴンが大人しく伏せている。
「……いいのかっ? サキルはお前でなければ不機嫌だというのに……!」
「いや、サキルはお前のことをたいそう気に入っているぞ?」
「どこがだ!!」
「全体的にだ。それに、赤いドラゴンは目立つ。昨年などはいい的になってしまった感があったからな。今年はやめた」
目を泳がせるラファトに、イドリスはますます怒り狂った。
「~~~っ、俺は的になっていいのかっ!?」
震えているイドリスの拳を、ラファトの指がそっと包んで服から離す。
「……お前ならば切り抜けられる。私は知る限りのことを既にお前に伝えた。そしてもちろん私は手を抜かず、お前と優勝を争うつもりだ。その卓越した知恵と勇気を振り絞って、見事私に勝ってみせろ、イドリス。今度こそは忖度は無しで、だ」
動揺で凍りついたその一瞬に、ラファトが不意打ちでイドリスの唇を奪う。
「……っ!」
舌は入れられなかったが、その柔らかな感触が、ここ三日で植え付けられた甘い快楽の記憶を蘇らせた。
――目眩がするような高揚と、下腹に湧き起こる切ない程の飢え。
けれどすぐに唇は離れて、ラファトは炎のような色の髪を風に靡かせながらドラゴンの陰を出て、ライラの元へと歩き去っていく。
無言のまま、イドリスは唇を手のひらで押さえた。
危機感に恐ろしいほど鼓動が高鳴っている。
こんな取るに足らぬ接吻だけで、身体の神経が全て彼の方向を向いてしまうようになるとは。
このままでは本当に、自分の身体はあの皇子の思うがままにされてしまう。
そうなる前に、早急にあの男を殺さねばならない――。
一方でラファトは、イドリスが持てる力全てを用いて、互角に彼と戦うのを望んでいる。
その期待は武人としてのイドリスの魂にも、燃え上がる炎を灯した。
……今は敵地において、誰にも邪魔されず彼と対等に戦える絶好の好機である。
この試合での彼はもはや皇子ではない。
試合の中であの男を殺せば、イドリスは罪に問われることはないだろう。
戦争の原因も、イドリスがここに囚われる理由も無くなり、アルスバーンにも平和が訪れる。
しかも、竜舎を離れたドラゴンは今や自由の身だ。
毎夜の辱めに耐え騎竜術を習得した今、イドリスはいつでも西へ引き返して飛び、アルスバーンに帰ることができるのである。
――望み通り、完膚なきまでにお前を倒し、滅ぼしてやろう。
イドリスは敵でありながら、ある意味での『師』でもあるラファトの背中に向かい、そう固く誓った。
※ ※ ※
満員の観衆で観客席が沸き立つ頃、耳鳴りのするほどの音量のラッパが、帝都の空に高く響き渡った。
すり鉢上の闘技場の高い場所に特別に設えられた屋根付きの豪華な特別席に、威厳に満ちた老人が立ち上がる。
それはラファトの父であり、この帝国を統べる男、皇帝ファリドであった。
老いたとはいえ力強いその拳が高々と上げられると、円形闘技場の無数の柱の上に、竜の紋章を描いた真紅の旗が順番に掲げられてゆき、風にたなびく。
イドリスはサキルの鞍の上に乗ってはいたものの、見通しの良い竜舎とはまるで違う環境に、戦々恐々としていた。
荷物は、マヤルに渡された水と食糧に毛布、それに最低限の武装である、剣と弓、矢筒。
今までは何も身に付けずに飛んでいたので、バランスが狂いそうで緊張する。
うまく飛び立つことが出来ず、万が一にでも観客席に突っ込むことになれば人死には免れない。
更に、まだサキルの機嫌は安定しておらず、さっきから何度も、頭絡や手綱を振り解こうとするような動きを見せていた。
「サキル、頼む……飛んでくれ」
ドラゴンの小さな耳穴に、イドリスは懇願することしかできない。
闘技場の上に、ついに最後の紅い旗が上がる。
ドラゴン達は一斉に羽根を広げ、ものすごい風と砂埃を上げて空へと飛び立ち始めた。
耳元に、皇族然とした高貴な響きの帝国語が囁かれる。
「おっと、私は今、皇子ではないぞ」
「そっ、その凄い色の髪は……」
「身分を隠すため、魔法石で赤く染めている。私は赤やら黒やら、ハッキリした色が好きでな。これは遠い南の秘境にある蛮国に伝わる伝説の英雄、『ヴァランカ』の扮装だ。似合うだろう?」
「……聞いたこともないぞ、そんな仮装は……そもそもお前、この競争には出ないと言ったではないか。何故ここにいる!?」
「確かに皇子ラファトは出ない。代わりにこの、『ヴァランカ』が出ると言う訳だ」
ラファトはいけしゃあしゃあと言い張った。
……皇族が匿名で出ると言うのは、そう言うことだったのか。
イドリスが呆れ返っていると、アスランが一歩前に出て、ラファトに向かい手を差し伸べた。
「よう、『ヴァランカ』。しばらくぶりだな」
「『アスラン』……。今年も俺の目の前で吠え面をかかせてやるぜ」
ラファトは完全にヴァランカとかいう者になりきっているのか、聞いたこともないようなぞんざいな口の利き方をしていて、イドリスは驚いた。
近づいてしっかりと握手しながらも、二人の睨むような視線が空中で絡み合い、青い火花が散る。
このアスランという男は、ラファトのよほどの好敵手なのに違いない――と確信してから、イドリスはハタと今の自分の立場を思い出した。
「ちょっと、こっちに来い!」
鋭く呼びかけ、ラファトの長たらしい服の首根っこを掴む。
そしてそのまま、サキルの巨体と観客席の壁の間の、人目のない場所に彼を引きずって連れてきた。
「……なんだ急に積極的になって。さては私と子作りがしたくて我慢できなくなったか?」
ラファトの言い草も相まって、イドリスは額に血管を浮き立たせながら彼の胸ぐらを掴んだ。
「おい! お前が試合に出るのなら、俺は一体、どのドラゴンに乗れば良いのだ!?」
「サキルはお前にやる。私はあのライラに乗る予定だ」
ラファトが指差した先の壁際に、まるで闇のように黒いドラゴンが大人しく伏せている。
「……いいのかっ? サキルはお前でなければ不機嫌だというのに……!」
「いや、サキルはお前のことをたいそう気に入っているぞ?」
「どこがだ!!」
「全体的にだ。それに、赤いドラゴンは目立つ。昨年などはいい的になってしまった感があったからな。今年はやめた」
目を泳がせるラファトに、イドリスはますます怒り狂った。
「~~~っ、俺は的になっていいのかっ!?」
震えているイドリスの拳を、ラファトの指がそっと包んで服から離す。
「……お前ならば切り抜けられる。私は知る限りのことを既にお前に伝えた。そしてもちろん私は手を抜かず、お前と優勝を争うつもりだ。その卓越した知恵と勇気を振り絞って、見事私に勝ってみせろ、イドリス。今度こそは忖度は無しで、だ」
動揺で凍りついたその一瞬に、ラファトが不意打ちでイドリスの唇を奪う。
「……っ!」
舌は入れられなかったが、その柔らかな感触が、ここ三日で植え付けられた甘い快楽の記憶を蘇らせた。
――目眩がするような高揚と、下腹に湧き起こる切ない程の飢え。
けれどすぐに唇は離れて、ラファトは炎のような色の髪を風に靡かせながらドラゴンの陰を出て、ライラの元へと歩き去っていく。
無言のまま、イドリスは唇を手のひらで押さえた。
危機感に恐ろしいほど鼓動が高鳴っている。
こんな取るに足らぬ接吻だけで、身体の神経が全て彼の方向を向いてしまうようになるとは。
このままでは本当に、自分の身体はあの皇子の思うがままにされてしまう。
そうなる前に、早急にあの男を殺さねばならない――。
一方でラファトは、イドリスが持てる力全てを用いて、互角に彼と戦うのを望んでいる。
その期待は武人としてのイドリスの魂にも、燃え上がる炎を灯した。
……今は敵地において、誰にも邪魔されず彼と対等に戦える絶好の好機である。
この試合での彼はもはや皇子ではない。
試合の中であの男を殺せば、イドリスは罪に問われることはないだろう。
戦争の原因も、イドリスがここに囚われる理由も無くなり、アルスバーンにも平和が訪れる。
しかも、竜舎を離れたドラゴンは今や自由の身だ。
毎夜の辱めに耐え騎竜術を習得した今、イドリスはいつでも西へ引き返して飛び、アルスバーンに帰ることができるのである。
――望み通り、完膚なきまでにお前を倒し、滅ぼしてやろう。
イドリスは敵でありながら、ある意味での『師』でもあるラファトの背中に向かい、そう固く誓った。
※ ※ ※
満員の観衆で観客席が沸き立つ頃、耳鳴りのするほどの音量のラッパが、帝都の空に高く響き渡った。
すり鉢上の闘技場の高い場所に特別に設えられた屋根付きの豪華な特別席に、威厳に満ちた老人が立ち上がる。
それはラファトの父であり、この帝国を統べる男、皇帝ファリドであった。
老いたとはいえ力強いその拳が高々と上げられると、円形闘技場の無数の柱の上に、竜の紋章を描いた真紅の旗が順番に掲げられてゆき、風にたなびく。
イドリスはサキルの鞍の上に乗ってはいたものの、見通しの良い竜舎とはまるで違う環境に、戦々恐々としていた。
荷物は、マヤルに渡された水と食糧に毛布、それに最低限の武装である、剣と弓、矢筒。
今までは何も身に付けずに飛んでいたので、バランスが狂いそうで緊張する。
うまく飛び立つことが出来ず、万が一にでも観客席に突っ込むことになれば人死には免れない。
更に、まだサキルの機嫌は安定しておらず、さっきから何度も、頭絡や手綱を振り解こうとするような動きを見せていた。
「サキル、頼む……飛んでくれ」
ドラゴンの小さな耳穴に、イドリスは懇願することしかできない。
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