【R18】竜の器【完結済】

かすがみずほ@3/25理想の結婚単行本

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ドラゴン・レース

隠れ家と魔法石

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 片手に旗を握ったままあぶみにぶら下がるだけで精一杯で、もはやサキルの背に戻る気力も体力もない。
 イドリスが絶体絶命を覚悟したその時、足元から鋭く叫ぶ声がした。
「俺の後ろに来い!!」
 視線を下ろせば、アスランの乗ったノグレーが真下に浮上してきている。
 その瞬間に掴んでいたあぶみから左手を離し、重力のまま落ちて、イドリスの尻がアスランの鞍の後ろにどさりとおさまった。
「跳ね飛ばされぬよう、しっかり俺に捕まっておけ!!」
 叫びながら、アスランが弓を構えて矢をつがえ、次々と迫り来る敵の騎手を射落とす。
 同時に身軽になったサキルが格下のドラゴン達に向かっていき、その気迫と大きな体で威嚇して、寄ってきたハイエナ共を蜘蛛の子のように散らした。
「いいぞサキル! 俺の後をついてこい!!」
 サキルの無理矢理開いた道にノグレーを進ませながら、アスランが残りの竜騎兵達を次々と狙い撃つ。
 その背にもたれたイドリスは、重症の火傷と火口の周辺で吸い込んだ毒の為にもはや気絶寸前だった。
 だが旗だけは死んでも離すまいと、旗を巻きつけた旗竿を左腕で抱くように抱える。
 背後からは夜明けが迫っていて、空が明るくなり始めていた。
 追っ手に狙われているのに、その光がイドリスの胸を清々しいような気持ちで満たしてゆく。
 そしてノグレーのスタミナはアスランの言っていた通りに素晴らしく、その背に大の男を二人も乗せているにも関わらず、ハイエナどもとの競争は、長くなればなるほど彼に有利になった。
 死の山が遠ざかり、騎竜に余裕の出て来たアスランが、ふと下を向く。
 そして自分の腹に回されたイドリスの右手を見て、ヒッと息を呑んだ。
 火傷で皮膚どころか肉まで焼け爛れ、真っ赤に火脹れして恐ろしいことになっている――。
「……っ! なんて無茶をする男だっ。お前、大陸一の剣士だろうが!? 右手が使い物にならなくなって剣が握れなくなったらどうする!?」
「……手が使えなければ足でどうにかする……眠い……」
 うつらうつらしながら、イドリスはぼんやりと答えた。
 呆れ果てたような深い溜息が朝日に溶ける。
「全く……。仕方ない。ハイエナ共を完全に撒いて落ち着ける場所についたら、すぐ火傷の手当てをしてやる!」
「そんなことをしている暇はない……ラファトが追いついてくる前に……はやく……帝都に……」
「い――や――だ!!」
 言い切ったアスランの肩に頭を乗せたまま、イドリスはがくりと崩れ落ちるように気絶した。


 次に目が覚めた時、イドリスは明るい日の差し込む、暖かな場所に寝かされていた。
 薄く目蓋を開け、ぼんやりと辺りを見回す。
 壁も天井も岩でできていて、明かり取りの窓もその岩をくり抜いてできている。
 陽光があるので地下ではないようだが、まるで秘密の隠し部屋のような風情だ。
 壁際は本棚が置かれていて、かなりの値打ちものと思われる古い羊皮紙の写本で埋め尽くされていた。
 そばに置かれた重厚な机には、謎の鉱物が沢山置かれた棚があり、天板の上には綴り途中の書き物と、本の山、水差し、それにドラゴンの頭骨が置かれている。
 学者や研究者の私室、といった印象の強い内装に思えた。
 イドリスが寝かされていたのは、その一角にある簡素な寝台の上だ。
「……ここは荒れ地の岩をくり抜いて作った、俺の研究用の隠れ家だ。あれからもずいぶん追われたもので、結局オアシスすらも超えて、ここまで来る羽目になった。ノグレーのスタミナが無ければ到底逃げきれなかったぞ」
 聞こえた声を探して足元の方を見ると、椅子の背を前にして座ったアスランの姿があった。
 美しく纏めてリボンで縛っていた栗色の髪は風でばさばさに飛び出し、男前なその美貌も、火口近くで煤煙を浴びたせいか、煤だらけになったままだ。
 だが、その凛々しい輝くばかりの魅力は損なわれていない。
 横たわったままイドリスが自分の両手を見ると、手のひらと全ての指に、ぐるぐるに白い包帯が巻かれている。
 右も左も酷い火傷を負っていたはずだが、今はヒリヒリするものの、そこまでの痛みはなかった。
「これは、お前が治療してくれたのか……?」
「……ああ。……敵を撒くのに時間がかかって、危うく指が壊死してしまう所だったが、俺が発掘してここに隠しておいていた秘蔵の魔法石をまるまる一つ消耗してどうにか食い止め、回復させた。……『竜の器』ぐらいの価値はあったのだがな」
 ちょっと悔しそうにそう言われて、イドリスはアスランの栗色の瞳を見つめた。
「魔法石……?」
 アスランが、ポケットから絹の布を取り出し、イドリスの前に広げてみせる。
 そこには砕け散った無数の透明な石の欠片が光っていた。
「……太古の精霊がまだ人間と共にあった頃に、その魔力を閉じ込めたのが魔法石だ。お前の国は精霊との契約がまだ残っているから、魔法石無しでも古代の魔法を使えるのかもしれんが、帝国や他の国では魔法はもっぱら魔法石を通じてしか使えない。新たには作れない希少な石で、効果も様々だ。怪我を治したり、髪や目の色を変えたりな。お前の腹の中にあるのも、魔法石の一種だ」
 アスランは椅子から立ち上がり、年代物の机の棚の上にその布を置いた。
 代わりに机の隅にあった水差しを手に取る。
 その水差しを高く上げて、アスランは自分の唇の中に水を含んだ。
 やがて竜革のブーツの足がイドリスの枕元に戻って来て跪き、次に整った顔立ちが近づいて来て、逃げようもなく唇が重なる。
「ン……」
 喉を開き、乾いた口腔を冷たい水で潤しながら、この唇の形と感触が何故かラファトに似ていると感じた。
 唇が離れ、低く穏やかな声が耳元に囁く。
「手はかなり回復はしているが、完全に治癒した訳ではない。しばらく物は握るな。手綱は、まだ火傷が軽い方の左手でどうにかしろ」
「分かった……色々、有難う。感謝する……」
「出発までもう少し寝ていろ、イドリス。旗は無事だから」
 頷きながら岩穴の窓に目をやると、サキルが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
 その顔を見て、深い安心感が胸に宿り、目を閉じる。
「イドリス……」
 アスランの手が優しく黒髪を撫でてくれた。
 ……それにしても何故だろう。
 目を閉じて聞く、甘く愛おしそうに自分を呼ぶその声も――どこかしらラファトのそれに似ている。
 もっと名前を呼んでほしい。
 そして抱き締めてくれ、よくやったと……。
 疲労と眠気のまま、イドリスは再び意識を失った。
 安心感と幸福に包まれているが、何故か不安のようなものが心の中で芽吹き、それが渦巻き始める。
『――あの男は、お前が思っているような輩ではない……』
 素晴らしい白金の髪の皇子が夢の中で現れて、どこか寂しそうにそう言い残し、背を向けて去っていく。
 ――待ってくれ、どこへ行く、ラファト!
 黒々とした闇の世界で、彼の姿を追いかけても追いかけても、その後ろ姿は遠ざかっていく――。
 その時、ごく近くでこの世の終わりのような恐ろしい叫び声が上がり、イドリスはハッキリと目覚めた。
 岩穴の窓を見るとサキルが穴の中に顔を突っ込んで、大声で鳴き騒いでいる。
「うわっ。サキル、どうした……!?」
 イドリスは慌てて飛び起きた。
 一体どれほど眠っていたのだろう。
 自らの身体を確かめると、幸い身体にはちゃんと元のアスランからの借り物の軍服を着ていた。
 身体も綺麗とは言い難かったが、有難いことにドラゴンの唾液まみれではない。
 足は裸足だったので、ベッドの脇にあった片方が焦げたブーツを履きながら、穴から外を見渡した。
 真っ青な雲ひとつない空に、どこまでも広がる乾燥した岩砂漠。
 そしてここはどうやら岩の隠れ家の二階にあたるらしい。下を見下ろすと、出入り口のような穴が見える。
 しかし、外に待っているドラゴンはサキルのみだ。
「の、ノグレーとアスランは……!?」
 驚いて周囲の空を改めて見渡すと、地平線に近いはるか遠くに、真紅の旗をはためかせながら飛んでゆく、銀竜とアスランのポツンとした後ろ姿があった。
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