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二人の兄弟
兄弟喧嘩
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「待て待て待てっ、アスランお前……!! お前も皇子だったのかっ!?」
「黙っていてすまない。見知った者以外には、あくまでも匿名で通す決まりなのだ」
「そっ、それは最早、知らなかったのは俺だけではないか……っ」
アリオンは恐らく、新顔で自分のことを皇子と知らなさそうな自分に目をつけたのに違いない。
だが、それらしき兆候は色々あったといえばあった。
ラファトのあの挑発的な態度といい、それに引けを取らない彼の強気の態度といい。
しかも、自分の体の秘密をこの男にまで知られていたとは――。
「求婚への返事は、すぐにとは言わぬぞ」
片目を閉じながらにっこり微笑まれたが、猛烈に恥ずかしくなり、それどころではない。
イドリスが赤くなったり青くなったりしていると、突然に何者かに後ろから身体を羽交締めにされ、ぐいと引っ張られた。
「!?」
振り向くと、白金の髪色に戻ったラファトが怒りを頂点に沸騰させて背後に立っている。
声が歓声に紛れるのを良いことに、彼は激しく自分の兄を罵りだした。
「おい……!! 勝手なことは許さんぞ……!! イドリスはもう私のものなのだ!! 散々苦労して手に入れたというのに、私に何もかも劣る兄上なんぞに断じて渡すか!!」
この言葉にはアリオンも爆発した。
「なんだと……!? イドリスはものではない!! 多少騎竜術が出来るからと言って図にのりおって。そもそもお前には婚約者がいたではないかっ。あのいかつい公爵令嬢はどうしたっ!?」
「イドリスの方が身分も家柄も高い上に、たった三日の訓練でこの試合で勝利するほどの実力を持ったアルスバーンの『姫君』だぞ!! しかもあの帝国旗を最後まで守り切ったことで、彼はもはや全帝国民の前で帝国への恭順と忠誠心を現したのだ。私の妃となることに文句を言えるものなど、もはやこの世のどこにもおらん。そしてそのイドリスの夫となる俺こそが、皇帝に一番相応しいのだ!!」
アリオンが驚愕する。
「お前……! まさかそのためにイドリスをこの試合に出したのか!? 気が狂ってるとしか思えぬ。イドリスはお前のせいで、命も危うくなるような危険を冒し、不具になる可能性もあった程の酷い怪我を負ったのだぞ……!!」
これにはラファトも痛いところを突かれたかに見えたが、すぐに売り言葉に買い言葉で反論した。
「何だ、試合中ちょっと一緒に組んでいたぐらいで分かったような顔をするな、この女たらしの万年二番手が!! 私は三年も前からイドリスだけを狙っていたのだ!!」
「それがどうしたと言うのだ!! お前にはまるで人の心というものがない!! 覚えておけ、いつまでもお前のその子供のようなワガママが通ると思うな。いつか第二皇子のようになるぞ……!!」
この言葉に何か思うところがあったのか、ラファトが黙り込んだ。
アリオンもじっと黙り、くっきりした眉を吊り上げて強い目力で彼を睨みつける。
イドリスは自分のことをそっちのけに進む会話に全くついていけなかったが、ただ背後にいたラファトの足だけは、思い切りブーツの踵で踏み付けた。
「……痛い!」
「……俺は姫君ではないし、帝国に恭順した覚えもなければ、忠誠心もない」
二人の間をすり抜け、無関係を装おうとするイドリスの手を、はっしとラファトがつかむ。
「ううっ!」
イドリスは眉を顰め、手を振り払った。
掴まれた手のひらは完全に火傷が悪化していて、内側が包帯を真っ赤に染めるほど血まみれになっている。
自らの手にヌルリと残った血の感触に、ラファトは驚愕して叫んだ。
「イドリス、お前その手……! 誰か御典医を呼べ! マヤルはどこにいる、さっさとしろ――!」
イドリスはすぐに城の御典医の元へと運び込まれた。
酷使した手は再度治療されたが、今度は魔法石などではなく、通常の薬草と包帯の医療のみだった。
流石に国ひとつ買えるほどの魔法石を捕虜に使うような男は、この国ではアリオン皇子くらいのものらしい。
止血された後で手に包帯を巻き直されたイドリスは、元のラファトの私室には帰されず、召使に別の場所に案内された。
連れてこられたのは、城の竜舎に面した場所にある、夕日に染まった広大なテラスだった。
そこには庭と半露天状の大きな浴場が設けられていて、天井は普通の建物の五倍ほどの高さがあり、その下には何百人もが同時に入れそうな美しい雪花石膏《アラバスタ》造りの巨大な浴槽が設けられていた。
緑の薬湯が天井にあつらえられた彫刻の竜の口から絶えずかけ流され、湯面には蓮の切り花が浮かんでいる。
竜舎に面した庭側には目隠しも兼ね、かぐわしく鮮やかな花々や緑の植え込みが飾られていた。
イドリスが浴槽の前に立つと、服を脱ぐのだけは年配の女性の召使に手伝われたが、いつものように無理矢理洗われるようなこともなく、たった一人で取り残された。
手を使えない今こそ手伝って欲しいようなものなのだが――。
困り果てながら、どこまでも続く風呂べりの石畳みの上を歩いてゆく。
何しろ、ドラゴンの唾液まみれになったり、砂まみれになったり、全身が相当に汚れていたので、風呂に堂々と入るのは気持ちが憚られた。
素足で歩くうちに、やっと一番庭側にある、更に端っこの角の部分に辿り着く。
イドリスはそこに腰を下ろし、足だけをそっと湯に付けた。
湯には濃い薬が入っているせいか、トロリとしていて、かなりヌルヌルする。
だが温度は熱すぎずぬる過ぎず、心地のいい具合だ。
足だけ入って済ませようかと思っていたが、誘惑に負けてズルズルと中に入り込み、手は濡れぬように、それぞれ角の縁に置く。
やっと一人になれたせいもあってか、それまでの強い緊張が解けてゆき、重い疲れを実感した。
湯の中にけぶる、下腹に刻まれた印を見下ろす。
……試合にはどうにか勝った。
あの恨みたらたらの兵士達の慰みものになることだけは回避できたということだ。
しかしこの後、自分の身の上がどうなるのか、皆目見当がつかない。
そもそも、戦後の祖国と帝国の交渉――和平会議の状況がどうなっているか情報が全く分からない内は、ラファトにもアリオンにもこの身を投げ出す気には到底なれなかった。
そもそも何故アリオンまでもが結婚を申し込んで来たのかがイドリスには分からない。
普通ならあの年頃の皇族はなかば義務として妻の一人や二人は居るものだ。
結婚していないとすれば、よほど女遊びが激しいか、変人かのどちらかである。
アリオンならどちらの可能性もあるが、ラファトも女たらしと罵っていたし、あの求婚は単なる遊び人の社交辞令代わりだったのかも知れない――と思い返す。
包帯だらけの手で顔を覆って深く長いため息をついていると、突然、近くの茂みからザワザワと葉擦れの音がし始めた。
「黙っていてすまない。見知った者以外には、あくまでも匿名で通す決まりなのだ」
「そっ、それは最早、知らなかったのは俺だけではないか……っ」
アリオンは恐らく、新顔で自分のことを皇子と知らなさそうな自分に目をつけたのに違いない。
だが、それらしき兆候は色々あったといえばあった。
ラファトのあの挑発的な態度といい、それに引けを取らない彼の強気の態度といい。
しかも、自分の体の秘密をこの男にまで知られていたとは――。
「求婚への返事は、すぐにとは言わぬぞ」
片目を閉じながらにっこり微笑まれたが、猛烈に恥ずかしくなり、それどころではない。
イドリスが赤くなったり青くなったりしていると、突然に何者かに後ろから身体を羽交締めにされ、ぐいと引っ張られた。
「!?」
振り向くと、白金の髪色に戻ったラファトが怒りを頂点に沸騰させて背後に立っている。
声が歓声に紛れるのを良いことに、彼は激しく自分の兄を罵りだした。
「おい……!! 勝手なことは許さんぞ……!! イドリスはもう私のものなのだ!! 散々苦労して手に入れたというのに、私に何もかも劣る兄上なんぞに断じて渡すか!!」
この言葉にはアリオンも爆発した。
「なんだと……!? イドリスはものではない!! 多少騎竜術が出来るからと言って図にのりおって。そもそもお前には婚約者がいたではないかっ。あのいかつい公爵令嬢はどうしたっ!?」
「イドリスの方が身分も家柄も高い上に、たった三日の訓練でこの試合で勝利するほどの実力を持ったアルスバーンの『姫君』だぞ!! しかもあの帝国旗を最後まで守り切ったことで、彼はもはや全帝国民の前で帝国への恭順と忠誠心を現したのだ。私の妃となることに文句を言えるものなど、もはやこの世のどこにもおらん。そしてそのイドリスの夫となる俺こそが、皇帝に一番相応しいのだ!!」
アリオンが驚愕する。
「お前……! まさかそのためにイドリスをこの試合に出したのか!? 気が狂ってるとしか思えぬ。イドリスはお前のせいで、命も危うくなるような危険を冒し、不具になる可能性もあった程の酷い怪我を負ったのだぞ……!!」
これにはラファトも痛いところを突かれたかに見えたが、すぐに売り言葉に買い言葉で反論した。
「何だ、試合中ちょっと一緒に組んでいたぐらいで分かったような顔をするな、この女たらしの万年二番手が!! 私は三年も前からイドリスだけを狙っていたのだ!!」
「それがどうしたと言うのだ!! お前にはまるで人の心というものがない!! 覚えておけ、いつまでもお前のその子供のようなワガママが通ると思うな。いつか第二皇子のようになるぞ……!!」
この言葉に何か思うところがあったのか、ラファトが黙り込んだ。
アリオンもじっと黙り、くっきりした眉を吊り上げて強い目力で彼を睨みつける。
イドリスは自分のことをそっちのけに進む会話に全くついていけなかったが、ただ背後にいたラファトの足だけは、思い切りブーツの踵で踏み付けた。
「……痛い!」
「……俺は姫君ではないし、帝国に恭順した覚えもなければ、忠誠心もない」
二人の間をすり抜け、無関係を装おうとするイドリスの手を、はっしとラファトがつかむ。
「ううっ!」
イドリスは眉を顰め、手を振り払った。
掴まれた手のひらは完全に火傷が悪化していて、内側が包帯を真っ赤に染めるほど血まみれになっている。
自らの手にヌルリと残った血の感触に、ラファトは驚愕して叫んだ。
「イドリス、お前その手……! 誰か御典医を呼べ! マヤルはどこにいる、さっさとしろ――!」
イドリスはすぐに城の御典医の元へと運び込まれた。
酷使した手は再度治療されたが、今度は魔法石などではなく、通常の薬草と包帯の医療のみだった。
流石に国ひとつ買えるほどの魔法石を捕虜に使うような男は、この国ではアリオン皇子くらいのものらしい。
止血された後で手に包帯を巻き直されたイドリスは、元のラファトの私室には帰されず、召使に別の場所に案内された。
連れてこられたのは、城の竜舎に面した場所にある、夕日に染まった広大なテラスだった。
そこには庭と半露天状の大きな浴場が設けられていて、天井は普通の建物の五倍ほどの高さがあり、その下には何百人もが同時に入れそうな美しい雪花石膏《アラバスタ》造りの巨大な浴槽が設けられていた。
緑の薬湯が天井にあつらえられた彫刻の竜の口から絶えずかけ流され、湯面には蓮の切り花が浮かんでいる。
竜舎に面した庭側には目隠しも兼ね、かぐわしく鮮やかな花々や緑の植え込みが飾られていた。
イドリスが浴槽の前に立つと、服を脱ぐのだけは年配の女性の召使に手伝われたが、いつものように無理矢理洗われるようなこともなく、たった一人で取り残された。
手を使えない今こそ手伝って欲しいようなものなのだが――。
困り果てながら、どこまでも続く風呂べりの石畳みの上を歩いてゆく。
何しろ、ドラゴンの唾液まみれになったり、砂まみれになったり、全身が相当に汚れていたので、風呂に堂々と入るのは気持ちが憚られた。
素足で歩くうちに、やっと一番庭側にある、更に端っこの角の部分に辿り着く。
イドリスはそこに腰を下ろし、足だけをそっと湯に付けた。
湯には濃い薬が入っているせいか、トロリとしていて、かなりヌルヌルする。
だが温度は熱すぎずぬる過ぎず、心地のいい具合だ。
足だけ入って済ませようかと思っていたが、誘惑に負けてズルズルと中に入り込み、手は濡れぬように、それぞれ角の縁に置く。
やっと一人になれたせいもあってか、それまでの強い緊張が解けてゆき、重い疲れを実感した。
湯の中にけぶる、下腹に刻まれた印を見下ろす。
……試合にはどうにか勝った。
あの恨みたらたらの兵士達の慰みものになることだけは回避できたということだ。
しかしこの後、自分の身の上がどうなるのか、皆目見当がつかない。
そもそも、戦後の祖国と帝国の交渉――和平会議の状況がどうなっているか情報が全く分からない内は、ラファトにもアリオンにもこの身を投げ出す気には到底なれなかった。
そもそも何故アリオンまでもが結婚を申し込んで来たのかがイドリスには分からない。
普通ならあの年頃の皇族はなかば義務として妻の一人や二人は居るものだ。
結婚していないとすれば、よほど女遊びが激しいか、変人かのどちらかである。
アリオンならどちらの可能性もあるが、ラファトも女たらしと罵っていたし、あの求婚は単なる遊び人の社交辞令代わりだったのかも知れない――と思い返す。
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