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夢渡る者・四
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「君はなんて幸運なのでしょう!」
狐顔を上気させ、シロはクロの頭を何度も撫でた。その手をうっとうしそうに払いのけ、吸いかけの煙草の灰を灰皿代わりの空き缶に落とした。
「なんで、あれが対象者だってなんで分かるんだよ?確証はあるのかよ」
八神邸で倒れた直後に見た夢をシロに話した途端、「やりましたね!」と抱きしめられた。
心底不快だという顔で押しのけようとするクロに、シロは「だって、その紳士の顔、面会した対象者その人だったのでしょう?」と無理やり頬ずりした。
確かにあれは、八神真一郎だった。
現実世界では昏睡から覚める見込みのない、寝たきりの男。
その能力は〈獏〉・・・彼はクロの心の深いところで渦巻く感情を受け止め、和らげてくれた。目覚めた後の清々しい気分は、何か月ぶりに味わえたことだろう。
夢の中で彼に会って以来、朝の寝起きもスッキリしている気がする。さすが悪夢を食うと言われる幻獣の名を当てられた能力だと感心した。
ふと気づくと、空になった湯飲みを持ったままシロが考え事をしている。
「・・・〈鎌鼬〉の能力に、過去に犯した罪、燃え落ちる屋敷と炎の中の人々・・・どこかで聞いたことのあるような・・・」
「おい、オヤジ!何ぶつぶつ言ってんだよ」
「誰がオヤジですか!何度言ったら改めてくれるのですか、君は!」
「だってよ、調査報告終わってねぇのに、心ここにあらずって感じで考え事し始めるからよ。こっちは、とっとと終わらせて飯にしてぇんだ、腹減ってたまんねぇんだよ」
ガムシロップをたっぷり5個入れたコーヒーで空腹をごまかしているクロに「すみません、ちょっと昔聞いた話に似ていて」とシロは座りなおした。
「どうせ今回の調査とは関係ないんだろ?後にしてくれよ、面倒くせぇな」
吸い切った煙草を缶の穴に押し込んで、新しく一本取り出し火を点けた。
〈獏〉の能力を体験したクロの報告の後、今回の調査結果から想定できる真一郎の昏睡の原因と、覚醒の可能性のある方法についてをディスカッションしている途中だった。
妻の死後、一人息子を残したまま夢の世界から戻らなくなってしまった父。8年も覚醒する兆しも見せない父親に絶望し、心を閉ざした息子・・・
もし、目覚めないのではなく、目覚めることができないのだとしたら?
「真一郎は幼少期・少年期には母親が、結婚した後は妻が、夢を彷徨う彼を引き戻す役目をしていたんじゃねぇかな?どこへ飛んで行っても、必ず元の場所に還ってこられる目印っていうか・・・座標みてぇな感じのさ」
「現実世界に還るための座標・・・面白い発想ですね、クロ君」
心底感心しているというふうに、細い目をさらに細めた。
おそらく一度身体を離れてしまったら、自力では戻ってくることができないのではないだろうか。
そんな彼を案じた母親は、偶然、彼を引き戻す手段を発見し、成功したのではないだろうか。そしてその術は、妻に引き継がれるが、その息子では実行することはできなかった。
「その手段が、愛情だと言うのですね。目覚めてほしいと強く願う愛情の発する場所が、大海原の中の灯のような存在として導かれ、〈獏〉は返ってくることができると。確かに、対象者の母親や妻にはあって、息子には感じられない感情ですけどね」
「仮説だよ、仮説。仮にそう考えると腑に落ちるかな、って。オヤジは納得しねぇかもしれねぇけどさ」
「可能性としてはありですね。覚醒の方法を教えてもらっていない、もしくは実行したくない息子では、現状は好転する見込みはないでしょうね・・・何の役にも立たない能力者なんて、まったく・・・支援が無駄になったかもしれません」
苛立っているシロは「まぁ、仮説なので、何が真実が判りませんし、今後も根気よく待ちますけどね」と湯飲みをトンと机に置いた。
クロの仮説が合っているとして、すれ違ったままの父子の思いが通い合い、〈獏〉が再び目覚める日が来るのだろうか・・・
「あら、まだご飯の用意ができていないの?クロ、空腹が限界じゃない?」
「茜さん、いつもの頼んでいただけますか?」
「出前の注文くらい、自分でやってちょうだいよ、もう!」
「いやいや、茜嬢の美声が良いのですよ。一度も姿を見せない美女が研究所にはいるって、出入りの業者には評判なんですよ」
シロにおだてられ、まんざらでもない様子の茜は、鼻をひくひくさせた。
「妙な噂が広まっても、困るのはアンタでしょ?」
電話の乗った机の上にひらりと飛び乗った茜は、「いつもの醤油ラーメン・半炒飯付でいいのよね?クロは?」と訊きながら、器用に受話器を外し番号をプッシュした。
短縮ダイヤルには、この僻地まで出前してくれる気の良い中華料理店が登録されている。
「おい、まさか俺のスーツもそうやって電話注文したのかよ?」
手慣れた感じでオーダーしていく貂に絶句しているクロに、「彼女、ネット注文もできますよ。キーボードは打てても、受け取りのハンコは押せませんが」とシロは可笑しそうに背を揺らした。
「変な奴は、俺ばかりじゃねぇってことか。なんか気が楽になったぜ」
「ちょっと!変って誰のことよ。聞こえてるわよ!」
「げ!地獄耳、怖ぇ」
いろいろ悩んでいても、思い通りにならないことばかり。焦ってもどうにもならないものもある。このままここで、風変わりな奴らに関わり合い続けるのも悪くないかもしれない。
クロは、茜に料理を早く決めるように催促されつつ、渡されたメニュー表に隠れてクスリと笑った。
特殊能力者の調査が1件、終了した。
しおりを挟む 狐顔を上気させ、シロはクロの頭を何度も撫でた。その手をうっとうしそうに払いのけ、吸いかけの煙草の灰を灰皿代わりの空き缶に落とした。
「なんで、あれが対象者だってなんで分かるんだよ?確証はあるのかよ」
八神邸で倒れた直後に見た夢をシロに話した途端、「やりましたね!」と抱きしめられた。
心底不快だという顔で押しのけようとするクロに、シロは「だって、その紳士の顔、面会した対象者その人だったのでしょう?」と無理やり頬ずりした。
確かにあれは、八神真一郎だった。
現実世界では昏睡から覚める見込みのない、寝たきりの男。
その能力は〈獏〉・・・彼はクロの心の深いところで渦巻く感情を受け止め、和らげてくれた。目覚めた後の清々しい気分は、何か月ぶりに味わえたことだろう。
夢の中で彼に会って以来、朝の寝起きもスッキリしている気がする。さすが悪夢を食うと言われる幻獣の名を当てられた能力だと感心した。
ふと気づくと、空になった湯飲みを持ったままシロが考え事をしている。
「・・・〈鎌鼬〉の能力に、過去に犯した罪、燃え落ちる屋敷と炎の中の人々・・・どこかで聞いたことのあるような・・・」
「おい、オヤジ!何ぶつぶつ言ってんだよ」
「誰がオヤジですか!何度言ったら改めてくれるのですか、君は!」
「だってよ、調査報告終わってねぇのに、心ここにあらずって感じで考え事し始めるからよ。こっちは、とっとと終わらせて飯にしてぇんだ、腹減ってたまんねぇんだよ」
ガムシロップをたっぷり5個入れたコーヒーで空腹をごまかしているクロに「すみません、ちょっと昔聞いた話に似ていて」とシロは座りなおした。
「どうせ今回の調査とは関係ないんだろ?後にしてくれよ、面倒くせぇな」
吸い切った煙草を缶の穴に押し込んで、新しく一本取り出し火を点けた。
〈獏〉の能力を体験したクロの報告の後、今回の調査結果から想定できる真一郎の昏睡の原因と、覚醒の可能性のある方法についてをディスカッションしている途中だった。
妻の死後、一人息子を残したまま夢の世界から戻らなくなってしまった父。8年も覚醒する兆しも見せない父親に絶望し、心を閉ざした息子・・・
もし、目覚めないのではなく、目覚めることができないのだとしたら?
「真一郎は幼少期・少年期には母親が、結婚した後は妻が、夢を彷徨う彼を引き戻す役目をしていたんじゃねぇかな?どこへ飛んで行っても、必ず元の場所に還ってこられる目印っていうか・・・座標みてぇな感じのさ」
「現実世界に還るための座標・・・面白い発想ですね、クロ君」
心底感心しているというふうに、細い目をさらに細めた。
おそらく一度身体を離れてしまったら、自力では戻ってくることができないのではないだろうか。
そんな彼を案じた母親は、偶然、彼を引き戻す手段を発見し、成功したのではないだろうか。そしてその術は、妻に引き継がれるが、その息子では実行することはできなかった。
「その手段が、愛情だと言うのですね。目覚めてほしいと強く願う愛情の発する場所が、大海原の中の灯のような存在として導かれ、〈獏〉は返ってくることができると。確かに、対象者の母親や妻にはあって、息子には感じられない感情ですけどね」
「仮説だよ、仮説。仮にそう考えると腑に落ちるかな、って。オヤジは納得しねぇかもしれねぇけどさ」
「可能性としてはありですね。覚醒の方法を教えてもらっていない、もしくは実行したくない息子では、現状は好転する見込みはないでしょうね・・・何の役にも立たない能力者なんて、まったく・・・支援が無駄になったかもしれません」
苛立っているシロは「まぁ、仮説なので、何が真実が判りませんし、今後も根気よく待ちますけどね」と湯飲みをトンと机に置いた。
クロの仮説が合っているとして、すれ違ったままの父子の思いが通い合い、〈獏〉が再び目覚める日が来るのだろうか・・・
「あら、まだご飯の用意ができていないの?クロ、空腹が限界じゃない?」
「茜さん、いつもの頼んでいただけますか?」
「出前の注文くらい、自分でやってちょうだいよ、もう!」
「いやいや、茜嬢の美声が良いのですよ。一度も姿を見せない美女が研究所にはいるって、出入りの業者には評判なんですよ」
シロにおだてられ、まんざらでもない様子の茜は、鼻をひくひくさせた。
「妙な噂が広まっても、困るのはアンタでしょ?」
電話の乗った机の上にひらりと飛び乗った茜は、「いつもの醤油ラーメン・半炒飯付でいいのよね?クロは?」と訊きながら、器用に受話器を外し番号をプッシュした。
短縮ダイヤルには、この僻地まで出前してくれる気の良い中華料理店が登録されている。
「おい、まさか俺のスーツもそうやって電話注文したのかよ?」
手慣れた感じでオーダーしていく貂に絶句しているクロに、「彼女、ネット注文もできますよ。キーボードは打てても、受け取りのハンコは押せませんが」とシロは可笑しそうに背を揺らした。
「変な奴は、俺ばかりじゃねぇってことか。なんか気が楽になったぜ」
「ちょっと!変って誰のことよ。聞こえてるわよ!」
「げ!地獄耳、怖ぇ」
いろいろ悩んでいても、思い通りにならないことばかり。焦ってもどうにもならないものもある。このままここで、風変わりな奴らに関わり合い続けるのも悪くないかもしれない。
クロは、茜に料理を早く決めるように催促されつつ、渡されたメニュー表に隠れてクスリと笑った。
特殊能力者の調査が1件、終了した。
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