西上総神通力研究所

智春

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千歳の娘・三

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「よぉ、こんばんは」

「クロ君!お待たせしました」

改札口から小走りでクロの前に来たユミは、寄り添うように歩き始めた。

正体不明の暴漢に襲われかけた日から数日後、偶然駅前で再開したクロに、会社帰りの夜道を同行すると提案された。まだ犯人は誰なのか分からないし、また同じように襲われる危険もあると、自分の心中を読み取ったかのような申し出に、二つ返事でお願いした。

この人は、他の男性とは何かが違う・・・

ユミは嬉しくて、気を抜くとうっかり仕事中でも頬が緩んでしまう。
それを日々堪えることに必死だった。向かいのデスクに座る、いやらしい目つきのあの先輩も「不謹慎だ」と苦い顔をするが、眼中に入らない。それほど、彼女は浮かれていた。

クロは送り届けるだけで、何もしようとしてこない。女としては内心物足りなくはあるが、多くを望んではいけないことは承知している。

魚住の家を深く知り、自分と添い遂げようと誓った男は、平凡な生活を捨てる覚悟がいるからだ。そんな重荷を背負わせる者は、正直、一人もつくりたくないと思っている。

このままで十分。

彼女は自分に言い聞かせるように胸の中で繰り返し、黙って隣を歩く小柄な青年を想った。
無言でも心地いいものなのだな、そんなことを思って笑みがこぼれそうな瞬間、ふとクロが足を止めた。

「何?どうしたの?」

「しっ!」

手にしていた煙草を足元に捨て、彼女を庇うように前に立ち、暗い路地の奥をじっと見ている。まるで獲物を探査する猛禽類を連想するような鋭い眼差し。
その視線の射すくめられ、闇に紛れた大きな何かが動く気配がした。

「せ・・・先輩?」

青白い街灯に照らし出されたのは、ユミの会社の先輩だった。

「なんだよ、ガキじゃないか。しかも、こんな素行の悪そうな身なりの男・・・」

男はクロをゴミくずを見るように表情を歪めた。

「最近、急いで帰るのは、こんなヤツに会うためだったのかい?この僕が毎日毎日、お前を汚い男共から守ってやっていたというのに、それにも気づかずに、感謝もせずに・・・」

「お前、まさか」

焦点の定まらないどろりとした目で、じっとりとユミを舐めまわしている。少しずつ間合いを詰めてくる。
クロは盾となって、男の視界にユミが入らないよう努めた。

「お前は騙されているんだよ、この男も、きっとお前が嫌がることをしたがるんだよ。いつか僕に相談したことがあっただろう?自分が嫌悪していても、相手が気づかずにズカズカと踏み込んでくることが煩わしいって・・・だから、僕が守ってあげようって決めたんだよ。誰にも手出しできなように、陰から、ずっとずっと・・・」

男はおもむろに上着のポケットに手を入れた。

「俺がこんなにお前を想って行動してるにの、なぜ気づいてくれない?なぜ僕に心を許さない?こんなに愛しているのに、こんな下品な男の隣でヘラヘラして・・・」

ナイフの鞘を道路に投げ捨て、二人に切っ先を向けた。

「僕はね、ひらめいたんだ。お前を俺だけのものにすればいいって。そうするべきだったって、思いついたんだよ!だから、死のうね!」

言うが早いか、男は奇声をあげながらユミめがけて突っ込んできた。クロはとっさに彼女を庇うように男に体当たりした。

「いやぁ!!」

ユミの悲鳴が響き渡る中、クロの後を追ってきた茜は、信じられない光景を見ることになった。

「クロ!・・・アンタ」

何者なの!?

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