西上総神通力研究所

智春

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色無き女・一

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「・・・まだ着かねぇのかよ、もう2時間は山登ってるぜ?」

鬱蒼と茂るススキに半ば埋もれてしまっている、急こう配の獣道に汗が滴り落ちる。初冬だというのに、体中が汗ばんでシャツが背中に貼りつき気持ちが悪い。すぐ済む用事だと思って、いつも通り革靴を履いてきてしまったことを悔やんだ。
これでは登山と変わらない過酷さだ。

「まるで姥捨て山に行くみてぇだ」

流れる汗を拭って煙草を取り出そうとして諦めた。
携帯灰皿は持ってきていない。もしいつもの癖で吸殻をポイ捨てして、その火種で枯れススキが燃えて山火事になってしまったら・・・そんな面倒は御免だ。
ムシャクシャした気持ちを自分より背の高いススキにぶつけた。

「あら、今回はシロの研究所より山奥ってアドバイスしたはずよ?それを聞きもしなかったアンタが悪いのよ」

クロの背負うリュックから、ひょこっと頭を出した茜がのんきに言った。

「てめぇ、楽しやがって。自分で歩けよな」

「イヤよ。レディーに足元の悪い草っぱらを歩けっていうの?ヒドい男ね」

「そもそも今日は調査じゃねぇからガイドはいらねぇんだよ。荷物は重くねぇけど、お前が重いんだよ」

「まぁ!失礼ね。あの家に行くには道標なしのこの道をたどるしかないのよ?行ったことない人が一人で登って、うっかり道から逸れたら遭難しちゃうのよ?この草むらの中、迷ったら抜け出せないんだから」

ゆったりとリュックの中でくつろぎながら文句を言ってくる茜の言う通り、本当に迷子になってしまってもおかしくない道のりだと思った。簡単な要件だと思ったのに、丸一日かかってしまう重労働だったのかもしれない。

今回、シロに指示された仕事は、彼の身内に手紙を届けるというものだ。

人里離れた僻地に住むシロの遠縁の女性は、生まれつき身体が弱く、侍女と共にひっそりと暮らしているそうだ。その彼女に至急伝えたい用件ができたが、電話では伝えづらい内容なので、直接本人に手紙を手渡してくるように念を押されていた。

茜の補佐はいらないと言われていたが、出発前にどうしても一緒に行くとついてきたのだった。

「あ!クロ、あれよ。あそこがそうよ」

「へ?どれ?」

肩で息をしているクロは、疲労で半開きになった目をススキの向こう側に向けた。
草の海の途切れた先に広がる森の中に、民家の屋根が見える。座敷童でも住んでいそうな日本家屋の茅葺屋根が、ここが目的地だと顔を出している。

あれが雪村邸か。

ゴールが見えたので疲れが吹っ飛んだクロは走り出そうとした。そこに「待って、クロ」と茜が声をあげた。

「クロ、約束覚えているわよね?」

「え?約束・・・あ、あぁ。もちろん」

一瞬立ち止まりそうになったクロは、また足を踏み出した。

・・・雪村美智子と絶対目を合わせてはいけない。何があっても、彼女の目を見つめてはいけない。

シロは自分の身内について何も言っていなかったが、茜は雪村邸への使いを躊躇っているようだった。それでも主人であるシロの手前、クロに行くなとは言わなかった。

何か裏があるのだろうか?

なんて考えていても仕方ない。やることをやって、とっとと帰るだけだ。クロは雪村邸の門前で一服することだけ考えて走り抜けた。
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