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不死の獣・二
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「ここまで来れば大丈夫だよ、艶」
貧しい農民の身なりに扮した若い僧侶は、山深い森の草の中に身を潜め、抱いていた童女の綺麗な黒髪を撫でながら微笑んだ。童女もこくりと頷き、彼の胸に頭をすりつけた。
逃げ切れるかどうかは分からない。それでも、愛しいこの姫をむざむざ彼らに渡す気はない。
逃走むなしく、いずれ捕らえられ、裁かれてしまうとしても、できる限り抵抗して一刻でも長く姫と共にいたい。たとえ地獄へ落ちようと、姫を手放すつもりはない。
「艶・・・お前は何も悪くないのだよ。私が悪いのだ。私のせいで、お前まで生まれ故郷から逃げなければならなくなってしまい、すまないね」
強く抱きしめられた童女は、彼の心中を察したように、その背中に回した腕に力を込めた。二人の想いは一つだった。
童女の中には、猫が宿っている。
愛猫の死なれ、その事実を受け入れられなかった僧侶は、悲しみのあまり気が触れてしまった。
敬虔な仏弟子であった彼は、些細な怪我がもとで命を落とした猫を助けてくれなかった仏を恨み、憎み、その教えに従って生きることを放棄した。
和尚や周囲の者たちがどれほど説得しても、頑なに猫の亡骸を手放そうとせず、ひと時も離れることなく「艶、艶」と声をかけ、白い骨が朽ちた皮から覗いても、いつまでも慈しみそばに置いた。
そんなある日、ある一族に死者に関する秘術に精通しているらしいと伝え聞いた。僧侶は取るものも取りあえず、その家屋敷に押し入り、奪い取るという暴挙に出た。
本来なら門外不出、血族以外の者が目にすることも許されない禁術が記された書物だが、常人離れした僧侶の振る舞いに家族の身の危険を感じた主人は、やむなく書物の一部を差し出した。そうやって、彼はついに噂に聞いた禁術、『反魂の法』の指南書を手に入れたのだった。
これで艶が戻ってくる。
あの世から還ってきて、また共に暮らして行ける。
指南書に記された呪符を偽造し、愛猫の魂を彼岸から呼び戻しに成功した彼は、その魂を人里から攫ってきた童女に植え付けた。
反魂の器となった子供は、時が経つにつれ自我が消失し、徐々に猫に取り込まれていく。今や精神は完全に艶姫そのものとなっていた。
しかし、幸せな日々は長くはなかった。
正気を失った僧侶が強盗に入ったあげく、禁忌の術に手を出して化け物を作り出したという噂が広まった。
家伝の秘術の書を奪われた一族は、捕物を専門に請け負う配下の者たちに僧侶を追わせた。その一団は、一族の命を受け、生まれ持った自身の領分を不法に超えて罪を犯す者を執拗に追跡し、殲滅することが任務だ。時には人外の化け物となり果てた咎人を制するために、特有の能力を駆使するという。
あの一団に追われていては、逃げ切れはしない。
肉体も貧相で、法力もなにも習得していない僧侶には、到底太刀打ちできる追手ではない。捕まってしまえば、すべてが終わる。
いやだ。また艶と別れるなんて。
「ふぅぅ・・・」
「艶?」
ふいに、童女が何かの気配を察知して低くうなった。
足元からざわっと這い上がってくる恐怖に耐えつつ、僧侶は息を殺して草の揺れる周囲の様子をうかがった。
シュン!
「!!」
こめかみをかすめて、風が吹き抜けた。耳のすぐそばの草が鋭い風圧で吹き散った。
これは、まさか・・・
「『六花』の鎌鼬・・・」
冷たい汗が一筋、頬を伝った。乱れた鼓動が、ひと際大きくドクンと脈打つ。
あの一団が、すでにすぐそこまで迫ってきている。手配犯の潜んだ草むらに、自分たちの存在を知らせるために鎌鼬を飛ばしてきた。
僧侶は怖ろしさと悔しさに震え、童女を守るようにさらに身を伏せて小さくなった。そして、捨てたはずの御仏に救ってくれるよう祈った。
「見つけたぞ」
いきなりバッと視界が開け、明るい光に晒された。
屈んだまま、顔だけ上げてみると、目の前の草がバッサリと刈り取られていた。その向こうに、黒い装束の一団が、腕から風を巻き上げて立っていた。動けずにいる僧侶に、さらに一振り疾風の刃をかすめ、投降するように催促した。
胸が潰れそうだ。無邪気に自分を見上げて微笑む艶姫を、強く強く抱きしめた。
あぁ、終わった・・・
「艶、私と一緒に三途を渡ろう」
僧侶は無念の涙を流し、目を閉じ、一団に向けて頭を垂れた。
黒い男たちの一人が前に出て、ためらうことなく右腕で草むらごと僧侶の首を薙ぎ払った。
二度の死なせてしまって、可哀そうに。艶・・・
しおりを挟む 貧しい農民の身なりに扮した若い僧侶は、山深い森の草の中に身を潜め、抱いていた童女の綺麗な黒髪を撫でながら微笑んだ。童女もこくりと頷き、彼の胸に頭をすりつけた。
逃げ切れるかどうかは分からない。それでも、愛しいこの姫をむざむざ彼らに渡す気はない。
逃走むなしく、いずれ捕らえられ、裁かれてしまうとしても、できる限り抵抗して一刻でも長く姫と共にいたい。たとえ地獄へ落ちようと、姫を手放すつもりはない。
「艶・・・お前は何も悪くないのだよ。私が悪いのだ。私のせいで、お前まで生まれ故郷から逃げなければならなくなってしまい、すまないね」
強く抱きしめられた童女は、彼の心中を察したように、その背中に回した腕に力を込めた。二人の想いは一つだった。
童女の中には、猫が宿っている。
愛猫の死なれ、その事実を受け入れられなかった僧侶は、悲しみのあまり気が触れてしまった。
敬虔な仏弟子であった彼は、些細な怪我がもとで命を落とした猫を助けてくれなかった仏を恨み、憎み、その教えに従って生きることを放棄した。
和尚や周囲の者たちがどれほど説得しても、頑なに猫の亡骸を手放そうとせず、ひと時も離れることなく「艶、艶」と声をかけ、白い骨が朽ちた皮から覗いても、いつまでも慈しみそばに置いた。
そんなある日、ある一族に死者に関する秘術に精通しているらしいと伝え聞いた。僧侶は取るものも取りあえず、その家屋敷に押し入り、奪い取るという暴挙に出た。
本来なら門外不出、血族以外の者が目にすることも許されない禁術が記された書物だが、常人離れした僧侶の振る舞いに家族の身の危険を感じた主人は、やむなく書物の一部を差し出した。そうやって、彼はついに噂に聞いた禁術、『反魂の法』の指南書を手に入れたのだった。
これで艶が戻ってくる。
あの世から還ってきて、また共に暮らして行ける。
指南書に記された呪符を偽造し、愛猫の魂を彼岸から呼び戻しに成功した彼は、その魂を人里から攫ってきた童女に植え付けた。
反魂の器となった子供は、時が経つにつれ自我が消失し、徐々に猫に取り込まれていく。今や精神は完全に艶姫そのものとなっていた。
しかし、幸せな日々は長くはなかった。
正気を失った僧侶が強盗に入ったあげく、禁忌の術に手を出して化け物を作り出したという噂が広まった。
家伝の秘術の書を奪われた一族は、捕物を専門に請け負う配下の者たちに僧侶を追わせた。その一団は、一族の命を受け、生まれ持った自身の領分を不法に超えて罪を犯す者を執拗に追跡し、殲滅することが任務だ。時には人外の化け物となり果てた咎人を制するために、特有の能力を駆使するという。
あの一団に追われていては、逃げ切れはしない。
肉体も貧相で、法力もなにも習得していない僧侶には、到底太刀打ちできる追手ではない。捕まってしまえば、すべてが終わる。
いやだ。また艶と別れるなんて。
「ふぅぅ・・・」
「艶?」
ふいに、童女が何かの気配を察知して低くうなった。
足元からざわっと這い上がってくる恐怖に耐えつつ、僧侶は息を殺して草の揺れる周囲の様子をうかがった。
シュン!
「!!」
こめかみをかすめて、風が吹き抜けた。耳のすぐそばの草が鋭い風圧で吹き散った。
これは、まさか・・・
「『六花』の鎌鼬・・・」
冷たい汗が一筋、頬を伝った。乱れた鼓動が、ひと際大きくドクンと脈打つ。
あの一団が、すでにすぐそこまで迫ってきている。手配犯の潜んだ草むらに、自分たちの存在を知らせるために鎌鼬を飛ばしてきた。
僧侶は怖ろしさと悔しさに震え、童女を守るようにさらに身を伏せて小さくなった。そして、捨てたはずの御仏に救ってくれるよう祈った。
「見つけたぞ」
いきなりバッと視界が開け、明るい光に晒された。
屈んだまま、顔だけ上げてみると、目の前の草がバッサリと刈り取られていた。その向こうに、黒い装束の一団が、腕から風を巻き上げて立っていた。動けずにいる僧侶に、さらに一振り疾風の刃をかすめ、投降するように催促した。
胸が潰れそうだ。無邪気に自分を見上げて微笑む艶姫を、強く強く抱きしめた。
あぁ、終わった・・・
「艶、私と一緒に三途を渡ろう」
僧侶は無念の涙を流し、目を閉じ、一団に向けて頭を垂れた。
黒い男たちの一人が前に出て、ためらうことなく右腕で草むらごと僧侶の首を薙ぎ払った。
二度の死なせてしまって、可哀そうに。艶・・・
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