西上総神通力研究所

智春

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白と黒・四

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暗闇の中のシロは俊敏だった。

屋外では少しの日差しでも皮膚が赤く腫れたと大騒ぎしたり高熱を出して寝込む彼だが、日の光のない世界では海中を泳ぐ魚のような身のこなしで、追っているクロがなかなか距離を縮めることができない。

「まさか、父さんみてぇに禁術で身体能力あげてねぇよな」

可能性は高い。
ブランクがあるとはいえ、六花で鍛えたクロの全力疾走から逃れられる者などいない。狭い研究所内をするすると踊るように走っていく狐顔の男は時折、彼を挑発するように笑い声をあげた。

建物から出る様子はないが、一体何を企んでいるのだろうか。

「てめぇ、いい加減にしやがれ!」

大きく腕を振り上げ風の刃を飛ばす。
逃走者は自分を切り裂こうと迫る疾風を難なくかわし、ニヤリとクロに微笑んだ。

「やっぱり、もう何かやってやがる」

シロにとって、これは千載一遇のチャンスに違いない。
クロという好条件の素材がすぐ手元にある。しかも封印されていた記憶が戻って日が浅く、いまだ混乱している状態で本領発揮とはいかない。さらに茜という唯一の友人を人質に取っていることで迂闊に手が出せなくなっている。

ここまで好条件が揃うことはないだろう。もし、再度良い素材に出会えたとしても、確実にクロには劣るだろう。

「無暗に〈鎌鼬〉を発動して、茜さんを傷つけたらどうすします?危ないですよ」

「この野郎・・・」

研究所内を走り回りながら、シロは何かを確認しているようだ。
壁や柱に何かを貼りつけ、ブツブツと呟いている。通り過ぎざまに彼が触った辺りの柱に視線を走らせる。
そこには見慣れない呪符が貼られていた。

「なんだ、これは」

気づけば、研究所のいたるところに新旧様々な呪符が貼りつけられていた。

分厚い遮光カーテンで目隠しされた窓にも、小柄なクロの普段は目の届かない棚の上の壁にも、重なるように何枚もの札がびっしり貼られていた。それは等間隔で固まり、中庭を中心にして各部屋が連なる建物に円陣を書くように見つかった。
その円陣の中心、中庭の離れの部屋はクロの自室とされている場所だ。

まさか、ずっと以前から何か仕掛けていたのか?

笑いながら走っていたシロが突然立ち止まった。そこは、クロの部屋の前だった。

「追いかけっこもここまでです。さすがに、ちょっとしたドーピングぐらいではクロくんの体力を奪えそうにありませんね。本当にたいしたスタミナです、キミは」

「青っ白いガリガリ男なんかに負けるわけねぇだろ」

クロは息も切らさず煙草をくわえた。

「禁煙してほしかったんですけどね、本心を言えば。ただ、それが何かのきっかけになるかもしれないと思って、吸い続けてもらっていたのですよ」

記憶をなくしても、喫煙する習慣だけは消えなかった。その行為が何かを繋ぎとめようとしているように思えたシロは、茜に煙草を吸わせてみてはと提案したのだった。

「俺の尊敬する人が、愛煙家だったんだ。それだけだ」

その人は銀煙管がよく似合った。

父のように憧れた彼のようになりたくて、六花に引き取られた頃から喫煙していた。彼との縁を断ち切れないクロは、無意識のうちに煙草を欲していたのだった。

「さぁ、一緒にいらっしゃい。ここが僕とキミが生まれ変わる聖なるポイントですよ」

「気味悪ぃこと言うんじゃねぇよ、オヤジ」

シロはぐったりした茜を盾のように構え、クロを離れの中へ誘導した。さっき開け放っていた窓から光が消えた。日差しが雲に遮られ、辺りは薄暗くなっていた。
太陽まで、この男の味方をする気なのだろうか。

「クロ君、いや、八尋君。この取っ手を引いてください」

散らかった床を足で片づけたシロは、そこある地下への隠し扉を開けるように指示した。茜を奪われ言われる通りにするしかないクロは、憎々し気に彼を睨みながら扉を引き開けた。

真っ暗な階段を下りていくように言われたクロは、手探りで闇の中を進んだ。
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