西上総神通力研究所

智春

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白と黒・六

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尋兄ひろにい!」

月光を浴びて青白く浮かび上がる研究所の中庭で、クロは懐かしい顔を見上げた。

「あ、あれ?お前・・・千早?」

目がかすむ。
頭をガシガシ掻きながら、ゆっくり体を起こそうとした彼を千早は当たり前のように支えた。いつもの癖で煙草を吸おうとシャツをまさぐったが、見つからなかった。

「尋兄、千早が分かるのですか?もしや、記憶が戻っているのでしょうか?」

「ん・・・俺、幻覚でも見てるのか?昔の俺の仲間が見える・・・」

「幻覚ではありません」

彼の背に腕を回した千早は、喜びで涙がにじんでいる。その場に集まる黒衣の集団も色めき立った。
もう二度と会うことはできないと思っていた「兄」に再会できたのだから。

「そうか・・・」

自分で自覚している以上に体力を消耗しているらしい。立ち上がろうとしたが、うまく力が入らず倒れそうになった。千早と部下の一人が両側から支え、ようやく立ち上がることができた。

立春は過ぎたとはいえ、まだ夜の屋外は冷える。千早は自分の羽織を脱ぎ、シャツ一枚のクロに着せた。

「お前たちがいるってことは、『天宮』が動いているってことだよな」

「はい」

「咎人は、やぱっり・・・」

彼らから少し離れた椿の木の下に、拘束衣を着せられた狐顔の男が座っていた。両脇を千早の隊員に挟まれ、こちらをニヤニヤ笑いながら見つめている。

「六花で〈鎌鼬〉の能力を制御するために訓練を受けた者は、成長が止まり、子供のような背丈になるって書いてありましたけど、デマのようですね。クロ君以外、皆さん標準的な身長ですか」

「黙れ!」

「まぁ、六花衆を実際に見ることができるのは罪人か『天宮』の関係者だけでしょうから、憶測でいろいろ言われるのでしょうね。暗殺集団とか、陰の支配者の犬とか」

「黙れと言っているだろう」

シロを監視している隊員が、無駄な私語を控えさせようとするところをクロが制した。
六花を去っていても兄として慕われ続けているクロの意思を尊重し、隊員も千早も彼に従った。

「ところで、茜は・・・俺と一緒にいた、白い貂はどうした?無事だったんだろ?」

「・・・・・・」

「お前たちが来たってことは、あのオヤジが発動させた禁術を阻止してくれたんだろ?あの時、茜はまだ生きてたんだ。話したんだよ。なぁ、どこにいるんだよ」

「それは・・・」

クロの問いに、隊員たちは複雑な表情で目を伏せた。彼を一番慕っている千早ですら、視線を合わせず黙している。

「おい、どうしたんだよ。なんで誰も教えてくれねぇんだよ」

手に彼女のぬうもりが残っている。意識が途切れてしまう前の声も覚えている。脳裏に浮かんだ、女性の面影もまだ・・・

「クククッ・・・ククッ・・・」

しんと静まった中庭に引きつった笑い声が漏れた。

「キミは、また茜さんに助けられたのですよ」

「なんだと?」

「死んだんですよ。今度こそ、何も残さずにね」

重い沈黙を破るシロの声には嘲りの色があふれている。

「キミをここへ保護して以降、従順だった彼女は日増しに言うことを聞かなくなっていって手を焼いていたんですよ。助手のことだって、それほど親身になって世話なんてしなかったのに」

じっとクロを見つめるシロは「これも人外の者を手なずける『天宮』の資質なのですかね」と目を細めた。

「まぁ、歴代の助手は後ろ暗い過去を持つ者ばかりを選んでいたので、心は痛まなかったのかもしれません。まともな職に就けない者に仕事を与えたのだから、精気をいただくくらい許してくれるでしょう?」

シロは定期的に支給している生贄と、外出の困難な自分の雑用係として雇っていた若者たちは、一般の社会から外れた者だった。彼らが消えても、誰も気にとめることもない。
逆に、罪を犯していながら罰を免れた者さえいたのだから、感謝されるべき慈善事業だという。

「でも、クロ君は違いました。記憶がなくて身元が不明でも、歴代の助手たちのような特有の闇を感じることがなかった。それに気づいていた茜さんは、キミを守るようになっていったのですよ。自分は失敗作のくせに」

「失敗作?誰がだよ」

クロはよろめきながら歩き、拘束衣で芋虫のようになっているシロの前に立った。

「この山荘に来た当初、僕は彼女を取り込むつもりだったと言いましたよね。彼女の精気と一緒に〈覚〉の能力も手に入れ、『天宮』から流れてきた書物を基に、生きながら神のような存在になろうと計画していたのです」

「馬鹿なことを」

この男も父のようなことを・・・

「まぁ、最初から成功する実験なんて面白くありません。待ったことでクロ君という逸材に出会うこともできましたしね」

「なぜ、茜を開放してやらなかった?ずっと手元に縛り付けておく必要はなかっただろ?」

そうすれば、犠牲になることもなかったのに。

「何を言っているのですか?身体は小動物ですが、中身は若い女性ですよ?〈覚〉の能力も失い、この山奥で自力で生きいけると思いますか?そんなサバイバルをするなら、僕に仕えていた方が人間らしい扱いを受けていられるでしょう?」

悔しかったことだろう。屈辱だったことだろう。
気位の高い彼女が、自分を人ではないモノに変えた男に使役されなけらば生きていけないということに、どれほど絶望したことだろう。

「この・・・!」

頬を流れる涙を隠すことなくクロは突っ込んだ。

身動きの取れないシロはまともに体当たりを食らい、激しく嘔吐えずいた。それでも馬乗りになったクロは攻め続けた。彼女の苦悩に何も気づけなかった自分を責めるように。

「あいつを返せよ、返してくれよ!」

茜、茜・・・
なんて哀れで、健気で、強い女性だったのだろう。

「茜ぇぇー!!」

咳き込んで身もだえするシロから引き離されたクロは、千早に肩を借り泣いた。
黙って彼が落ち着くまで待っていた千早は、静かな声でこう言った。

「尋兄、私はこの咎人の最期を貴方に見てほしくて生かしておいたのです」

「・・・・・・」

自分の肩から顔を上げたクロに微笑んだ。

「貴方に、私が立派に隊長としての務めを果たす姿を見せたかったのです。この立場は本当につらいのですね。貴方の隊を離れ、自分の隊を率いて初めて痛感しました」

「千早・・・」

「尋兄の記憶が戻っていなかったとしても、きっと私は同じことをしたと思います。この重罪人を確実に仕留めた瞬間に、貴方を立ち会わせたかったでしょう」

そう言うと、千早は監視役の隊員たちを外させ、横たわるシロの前に立った。

「鹿野シロこと、雪村史郎。『天宮』所有の書物を悪用した罪、ならびに元六花衆・分宮八尋と承知の上で殺害しようとした罪など、多くの罪は許しがたく、天宮の命により隼隊・藤谷千早がこの場で処刑する」

千早は右腕を刀のように天に向けて構えた。

「最後に、分宮八尋に言い残すことはあるか」

毅然とした処刑人の声に、罪人は白い髪を振り乱してもがいた。その目はこぼれおちそうなほど見開かれ、真っ赤に充血している。

「あはははは!僕は死なない!僕の生命のバックアップはすでに保存してあるのですよ!そしていつの日か、僕は最高の肉体と最高の知能、さらに六花をも凌駕する特殊能力を持って復活するのです!」

「この野郎、何を・・・」

千早はクロに目配せし、首を振った。

「今ここで、この肉体は滅んでも、僕は生まれ変わるのです!最強の人類として!いや、神と等しい存在となって、きっと貴方たちの前に現れると約束しましょう!あはははは!!」

口から泡を吐きながら、シロは六花の隊員を順に見渡し、最後にクロを見据え高笑いした。

「キミは僕なのですよ!すでに僕の一部。僕は、六花最強の男になったのでずよ!あははは」

現実と妄想の区別ができていない。狂ってしまっている。
もう、何を言っても理解できる精神ではないだろう・・・

「千早」

「はい、直ちに」

獣の咆哮のごとき断末魔が響き渡る。つつがなく、咎人への刑は執行された。
天に輝く月を仰いだクロは、ぽつりと漏らした。

「あんた、ただ生きていきたかっただけなんだよな・・・」

自分と茜が口喧嘩しながら調査に向かう姿を、羨ましそうに薄暗い部屋から見送っていたシロの顔が思い出された。

西上総神通力研究所は、この日を最後に永久に封鎖された。

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