トゥモロウ・スピーチ

音羽夏生

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17章

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 おそらくここ数年の間に、放棄されるような出来事があった。ならばそれは、内戦に他ならない。共和国陣営では、地主や資本家、そして聖職者が、既得権益を貪り人民を搾取する敵と見做されていた。
 この修道院も、内戦期に放棄されたのだろう。放火されずに残っているから、この村ではさほど厳しい弾圧はなかったのかもしれない。
 そう思い、志貴は少しほっとした。
 以前テオバルドは、両親は共和国に殺されたと言っていた。殺されたという以上、安らかな死を迎えられたとは思えない。それでも、生まれ故郷のこの村で、顔馴染みの隣人に惨たらしく殺されたのではないと願わずにはいられない。
 切なる願いを託すように、志貴は修道院の尖塔を見上げた。

「季節が悪かったな。向こうのブナ林は、黄葉がそれは見事なんだ。新緑にはまだ早いし、随分と殺風景だが……」
「でも静かで、うんと伸びをしたくなるようなところだ。何より空気が澄んでいて――おいしい」
「うまいからってあまり深呼吸すると、鼻から肺がカラカラになるぞ」
「望むところだよ。――せっかくだから、少し散歩しないか」
「やっと飼い主らしいことを言うようになったじゃないか」

 ニヤリと憎まれ口を叩きながらも、テオバルドは先導するように歩き出す。足元の悪いところでわざわざ声を掛けてくるなど、一端の忠犬気取りだ。
 葉の落ちたブナ林は、重なり合うように伸びた灰色の枝に覆われ、隙間から日差しが注いでいる。サクサクと落ち葉を踏む音が小気味よく、志貴は子供の頃に遠足で登った山を思い出した。童心に帰ってわざと足音を立てて歩けば、湿った土の匂いがうっすらと立ち上る。市街地の埃の匂いとは異なる、山の香りだ。
 枯葉色の、二人しかいない静謐な世界だ。時間すら、その流れをゆるやかなものに変えている。
 雑踏にさらされ、職務に忙殺されて過ごすマドリードでは、望むべくもない。いつまでも身を浸していたいと思わせる心地好さに、先を行くテオバルドの歩調に合わせて、志貴の歩みもゆっくりになる。――実際は、のんびり散歩を楽しみたい飼い主の望みを鋭く嗅ぎ取った忠犬が、それに合わせてゆっくり歩いていることに、志貴は気づいていた。
 広く情報網を展開し貴重な情報を提供しながら、同時に雇用者を裏切っている可能性を併せ持つスパイ――その点を除けば、テオバルドは常に忠実であり、誠実ではあったのだ。

(誠実でないのは僕一人、か……)

 年末年始の出来事は、以降の『薬』をより濃厚なものにしたが、志貴と一洋の関係を本質的には変えなかった。
 結局、一洋を落とすのに、彼は高潔であり過ぎたし、志貴は魅力に欠けていた。男の抱き方を知っているらしい一洋なら、想い人と同じ顔をしていれば男でも受け入れてもらえるだろう、などと思い上がっていたのだ。
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