その男、幽霊なり

オトバタケ

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長月

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 夏休みが終わった。

 鬼家庭教師ビームを背中に浴びながらがっつり勉強をして、半年も暮らしていないこの街の寺や神社に妙に詳しくなって、夏祭りに夏山登りと夏限定の楽しみを満喫して――。
 なんだかんだで、密度の濃い日々を送った。
 車に跳ねられて三途の川を渡る寸前だったという最悪の状態で始まったのに、今までで一番充実した夏休みだったかもしれない。

「学校では話し掛けてくるなよ」

 白いシャツに黒いスラックスの制服に着替え、そろそろ登校しようと自室のドアノブを握りながら男に告げる。
 他人から見たら男との会話は完全に俺の独り言だ。
 特別親しくなくても、毎日顔を合わせるクラスメイトに不審者扱いされるのは嫌だ。

「極力心掛けます」

 そう言った男が、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
 絶対に俺が動揺するようなことを話し掛けてきて、俺の反応を楽しむ気だな。
 何を言われても無反応を貫けば、男も飽きて話し掛けてこなくなるだろう。
 いつも余裕の表情を浮かべている男の、悔しがり不貞腐れている顔を想像して心の中でほくそ笑む。

「いってきます」

 まだ秋の気配など全く感じられない残暑厳しい空の下、一ヶ月ちょっと振りの学校へと向かう。


「おはよう宇佐美くん!」

 教室に入ると、この街で最初にできた友達でクラスメイトの海老原に声を掛けられた。
 出席番号で後ろの席だった海老原は、顔の上半分を覆う大きな黒縁眼鏡をかけ、更に長い栗色の髪で目元を隠し、他人との接触を拒むように俯き加減で座っていた。
 不健康なまでに青白く細い体はモヤシという比喩がぴったりで、きっと勉強ばかりしているんだろうな、と俺より十センチ程は低いだろう華奢な体を見て思ったのが新学期の始まりの日。

 その一週間後には一緒に昼飯を食べる仲になっていたのは、お互いの好きなバンドが一緒だと分かったからだ。
 普通に生活をしていたら耳にする機会は皆無の日本ではマイナーなジャーマンメタルのバンドで、ライブ会場以外では滅多に会えないファンにすぐに意気投合したのだ。

「あぁ、おはよう。イギリスはどうだった?」

 翻訳家をしている父親の取材旅行に付いていくとかで、夏休み中はイギリスで過ごすと言っていた海老原。
 好きなバンドのロンドン公演を観に行くのだと、小さな口を限界まで吊り上げて笑っていたのが一学期の終業式の日。

「う、うん。楽しかったよ……」

 前髪と眼鏡で表情が分からないが、俺を見る海老原は明らかに動揺している。
 イギリスでのことはあまり聞いて欲しくないのだろうか?
 話題を変えて、夏祭りの話でもしようかと口を開こうとすると、担任が教室に入ってきたので席に着いた。

「あれが、カニなんとかという友人ですか?」

 出席を取り始めた担任を頬杖をついて眺めていると、隣に立つ男が後ろの席に目をやりながら聞いてくる。

「カニじゃない、エビだ。エビハラ。学校では話し掛けるなって言っただろ。廊下にでも立ってろよ」
「拓也の姿が見えない処は嫌です。後ろで見守っていますね」

 口を掌で隠して小声で答えると、ふっと微笑んだ男は俺の横から離れていった。
 チラッと振り返ると、授業参観に来た母親のように教室の後ろに立ち手を振っている。

「早速だが、夏休みの成果を確認する為にテストを行う」

 出席を取り終わった担任の放った言葉に、夏休みモードの抜けきらない教室はブーイングの嵐になった。
 宿題から抜粋された全百問のテストを一時間で解き、その後に二学期の始業式を行うようだ。


「宇佐美くん、ちょっといいかな?」

 ホームルームが終り、さっさと帰って昼飯を食べようと騒ぎだした腹を押さえながら教室を出ようとしていると、海老原に声を掛けられた。
 俺の顔を見ずに俯いていて、何かに怯えているように拳を握り立っている。

 イギリスであった良くない出来事の相談なのだろうか?
 いいアドバイスは出来なくても、話を聞くくらいなら俺にもできる。
 話すことで海老原の心が落ち着き、見えていなかった解決への糸口が掴めるかもしれない。
 海老原の様子だと相当重い話の可能性もあるので、心構えだけはしておこう。

「いつものところでいいか?」
「うん」

 向かうのは、中庭の花壇脇の木陰に置かれたベンチ。俺達が昼休みを過ごす場所だ。
 途中の自販機で海老原がよく飲んでいるイチゴ牛乳を二つ買い、夏休みの思い出話に花を咲かせたり抜き打ちテストの愚痴を言い合ったりで賑やかな廊下を進む。

 ベンチに辿り着くと、海老原は周りに人の気配がないか探っているのか、キョロキョロ見渡しはじめた。
 そして、二人だけだと確認すると、覚悟を決めたようにゴクリと唾を飲んで口を開いた。

「頭がおかしいって笑われるかもしれないけど、ボク幽霊が見えるんだ」

 幽霊が、見える?

 他人に言うのは憚れる重い悩みを相談されるのだと思っていた俺は、その言葉の意味を理解するのに数秒かかってしまった。

「え? じゃあ、コイツが見えるのか?」
「ええー! 宇佐美くん、幽霊にとり憑れてるって気付いてたの?」

 男を指差して聞く俺を見る海老原は、両手を肩の高さに上げてオーバーリアクションで驚いている。
 実は……、とベンチに腰掛けて、男と出会った経緯を話す。

 話し終わってイチゴ牛乳で喉の乾きを潤していると、海老原はおもむろに眼鏡を外した。
 そして、スラックスのポケットから取り出したピンで長い前髪を留めて、俺と男を交互に見てきた。

「類は友を呼ぶというか、美人さんには美人さんの幽霊が憑くんだね」

 美人ってなんだよ、と言い返すつもりが、頑なに隠されていた海老原の素顔を見て、その言葉を飲み込んでしまった。
 ほんのり濡れた大きな瞳、小振りだけど形のよい鼻、さくらんぼのような口。
 可憐、という言葉がぴったりの美少年が目の前にいる。

「ボクの顔に何かついてる?」
「いや、そんな顔してたんだって思って」
「前髪も眼鏡も邪魔なんでホントはしたくないんだけど、幽霊と目を合わせない為には必要なんだ」

 大きなレンズの黒縁眼鏡を、少女のような白く細い指で弄りながら話す海老原。

「目が合った幽霊はボクに何か訴えるように話し掛けてくるんだけど、ボクには声が聞こえないし見えるだけで何もしてあげられないから」

 ごめんね、と謝るように、海老原が俺の横に立つ男を見上げる。

「なーんだ、ってガッカリした顔で去っていく幽霊を見るのが辛くて、幽霊と目が合わないように目を隠してるんだ」

 長い睫毛に縁取られた大きな目を伏せ、自嘲気味に笑う海老原。

「見たくて見てるわけじゃないのに責任を感じることないさ」

 見たくて見える必要のないものを見ているわけではないのに、見られる方は訴えを聞いてもらえると勝手に期待して近付いてきて、駄目だと分かると勝手に落胆して去っていく。
 海老原が責任を感じる必要などなく、寧ろ厄介な目を持ってしまった被害者だというのに。

「持ちたくもない能力のせいで、前を向けなくて辛いな」

 顔を隠し何かに怯えるように俯いてばかりいた理由が、自分ではどうしようも出来ない特殊な能力のせいだったなんて。
 生きている海老原が生きていない存在のせいで、生きている人間との接触もままならないなんて理不尽すぎる。

「ぶっちゃけちゃうとね、この顔のせいで、女男とか本当にチンコついてるのかとか、からかわれるのが嫌で顔を隠してる比率のが高いんだ」

 そんなに女の子に見えるのかな、と頬を摘まみプニーと伸ばして首を傾げる海老原。
 その姿は、並の女の子より可憐で可愛らしい。

「それは、自分の容姿に自信のない奴がやっかんで言ってるんだろ。確かに女顔だとは思うけど、どんな容姿でもどんな能力があっても海老原は海老原だし、俺の友達に変わりはない」

 海老原の素顔を見ても、特殊な能力を知っても、海老原に対する気持ちに何の変化もない。
 海老原に対する見方が変わってしまうような、重い悩みを打ち明けられると思っていたから尚更にだ。

「ホント宇佐美くんって、見た目も中身もイケメンだね」
「イケメンとか意味が分からないし。お前、隠しすぎて目が悪くなったんじゃないか?」

 指を二本立て、何本か分かるか?と聞くと、ちゃんと見えてるよ、とピースをしながら答えた海老原が、ケラケラと笑う。
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