その男、幽霊なり

オトバタケ

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神無月

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 月曜日の昼休み、いつものベンチで昼飯を食べた後、午前中に返されたテストを海老原と見せあう。

「理系は前から強かったけど、文系までほぼパーフェクトなんて一体どういう勉強したの?」

 将来は父親と同じ翻訳家を目指している海老原は英語と国語が得意で、毎回満点を取っている。
 どう頑張っても九十点代前半が関の山だった俺の限りなく満点に近い回答用紙を見て、驚嘆している。

「鬼家庭教師がいたからな」
「幽霊さん、頭もいいんだ」

 苦い顔をして顎で男を差すと、海老原は小さな口を半開きにして、ベンチの後ろに立って二人の回答用紙を覗いていた男を見た。
 頭も、ということは、他にも良いところあると思っているのだろうが、それを聞いて男が調子に乗ったら面倒臭いので追究しないことにする。

「結果が貼り出されるのは帰りくらいか?」
「たぶんね。楽しみだね」

 現時点では海老原に勝ったことのない俺の方が総得点が上回っているが、悔しがることなく俺の頑張りを認めて成果が出たことを喜んでいてくれる。
 自分の力不足は認めずに俺を目の敵にしてきた誰かさんとは大違いだ。

「一位を死守出来たらご褒美をあげますね」
「いらない」

 熱を帯びた瞳を向けてきて甘ったるい声で囁いてくる男に、どんなご褒美か想像がついて即答する。

「素直じゃないですね。ご褒美にキスして欲しいんでしょ?」
「して欲しくない!」
「あんな蕩けた顔をしていたくせに」
「どんな顔してたって? 何も感じなかったのにそんな顔するわけないだろ。アンタ、どんな目をしてんだよ!」

 微かに感じたような気がしたのは、脳の誤作動だったんだ。
 幽霊と人間が触れ合えるなんて、絶対にあるわけないんだからな。

「僕は拓也の優しさも温かさも感じましたよ」

 キスの振りをした後にもしていた、大切なものを見るような表情を浮かべた男に切なげに言われて、心臓を握られたみたいな痛みが走った。
 男の視線に耐えられなくて目を逸らすと、にぃっと口角をあげて俺達を眺めている海老原と目が合った。
 して、とか、感じなかった、とか淫らな行為を連想させる言葉を聞かれてしまった……。
 羞恥で顔が火照っていく。

「もう時間だ。教室に戻るぞ!」

 急いでベンチを立ち、二人を置いて逃げるように校舎に戻った。

 午後の授業で残りのテストを返してもらったが、計算せずとも今までで最高の総得点を叩き出したことが分かった。

「頑張りましたね」

 隣に立ち、机に広げた回答用紙を覗き込んでいた男が、孫の成長に目を細める祖父母のように嬉しそうに微笑み、俺の頭に掌を乗せて撫でてくる。

「ガキじゃないんだから撫でるな」

 もうすぐ帰りのホームルームが始まるので、クラスメイト達は各々の席に着き返されたテストを見返したり、前後の席の奴と談笑したりしている。
 俺を見ている奴なんていないが、不自然にならないように回答用紙で口許を隠して、髪を直す振りをして男の手を払う。

「子供ではないから、これでは物足りないと?」

 耳許に唇を寄せてきた男が、鼓膜を犯すような艶かしい声で囁いてくる。
 ゾワゾワ、と首から背中にかけて粟立ち、腰の辺りに擽ったいようなむず痒いような変な痺れが走る。
 学校では喋りかけてくるなと言ってるだろ、と文句を言おうと睨み付けた男の顔は、あの幾多の獲物を虜にしてきた妖艶な笑みを浮かべていた。
 青い双眸から放たれる灼熱に焦がされて、顔が火照ってきてしまう。
 熟れたトマトのようになってしまっただろう顔を隠す為、机に突っ伏す。

 脳裏に鮮明に浮かび上がってきたのは、いやらしい舌遣いでソフトクリームを舐める男の姿だ。
 ぽかぽか陽気の長閑な動物園に不釣り合いな、ふしだらなの光景……。
 くそ、なんでこんなのを思い浮かべて、心臓をバクバクいわせてるんだよ。
 理由なんてどうでもいい。早く落ち着かなければ……。
 脳内を白く塗り潰し、そこにテストで間違えた漢字を何回も何回も書き続けた。

 ホームルームの間も俯き加減で脳内に漢字を書き続け、教室を出る頃には顔の火照りも心臓の動きも治まり、ついでに間違えた漢字も完璧に頭に入っていた。
 校門までは一緒に帰る海老原と共に教室を出ると、廊下の一角に人だかりが出来、歓声や阿鼻叫喚が響き賑わっていた。

「結果が貼り出されたみたいだね」

 楽しみだね、と今回は総得点が上回った俺に笑いかけてくれる海老原。

「俺に負けて悔しくないのか?」
「だって宇佐美くん、いつもボクが勝ってても、頑張ってんだなって誉めてくれるじゃない」
「誉めるっていうか、事実を言ってるだけだろ」
「ボクも事実を言ってるだけだよ。ほら、ちゃんと頑張った成果が表れたみたいだよ。おめでとう!」

 海老原の少女のような白くて細い指が差す貼り紙の一番左には、一位の下に書かれた俺の名前があった。

「マジで?」
「柚木くんも頑張ったみたいだけどね」

 ぽかぁんと一番左にある自分の名前を眺めていると、海老原が伸ばした指をその右隣に移した。
 一位の右隣も一位。柚木も同率で一位を取っていた。
 そのまま右側に視線を移していくと、海老原の名があった。

「海老原は三位か。いつも上位をキープしてて凄いな」
「凄いのかどうかは分かんないけど、頑張った成果がちゃんと出るのは嬉しいよね」

 にぃっと口角をあげる海老原につられ、俺の顔も綻んでいく。

「おい」

 ガシッ、と突然肩を掴まれて一瞬ビクッとなるが、不機嫌そうな声と覚えのある掌の感覚で、誰にやられたのか察した。
 振り返ると、やはり仏頂面の柚木が立っていた。

「念願の一位奪還だ。よかったな」

 皮肉たっぷりの笑顔で告げると、グググ、と柚木の仏頂面の眉間に皺が寄っていく。

「何故、君の名前が先に書いてあるんだ」
「五十音順だからじゃないのか?」

 気に入らない、とばかりにフンッと鼻を鳴らした柚木が貼り紙を睨み付ける。

「文句があるなら俺じゃなく先生に言えよ。もしくは、単独一位を取ることだな」

 ピンと伸ばした人差し指を柚木の鼻先に近付けてせせら笑ってやると、怒りのせいか顔の赤味が増していった。
 俺と柚木のやり取りを見て周りが騒然としだしたので、行くぞ、と海老原に声を掛け昇降口に向かう。

「拓也は蜜柑の木に容赦がないですね」

 俺と柚木のやり取りを、少し離れた廊下の壁にもたれて眺めていた男が楽しそうに言う。

「俺を嫌っている奴に情けをかける義理はないからな」
「では、拓也を好いている者には情けをかけてくれるのですね」
「まぁ、好かれて悪い気はしないが……」

 自分の吐いた言葉にはっとなり男を見ると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
 男の睦言を本心から嫌がっていない、と言っているみたいじゃないか。

「好きな子を虐めるって小学生みたいだよね」
「はぁ?」

 海老原がいきなり突拍子もないことを言い出したので足を止め、口を半開きにしたままで、下半分しか表情の分からないその顔を見る。
 幽霊の声は聞こえない、と言っていたが、本当は聞こえているのか?
 男との恥ずかしい会話が聞かれていたと思うと、羞恥で顔が染まっていく。

「柚木くんのことだよ」

 色の差した顔に気付かれないように俯いていると、話の流れ的に関係のない柚木の名前を出した海老原は、フフフと笑って歩き始めた。
 柚木がどうしたのだろうか、と答えを求めるように隣に立つ男を見ると、右手の親指の爪を噛んで険しい顔をして海老原の背中を見つめていた。
 海老原の言葉も男の態度も全く意味が分からないが、恐らく下らないことだろうから考えるだけ時間の無駄だと判断して、先を行く海老原の後を追った。
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