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蜂
五
しおりを挟むと、険悪な空気になっていた部屋に、一人の女中が走ってきた。
「伝令でございます」
女中は蜻蛉御前に耳打ちをした。蜻蛉御前の顔が険しくなる。
「御前様、どうされましたか?」
武装した女が声をかけると、蜻蛉御前はすっと立ち上がった。
「すでに戦場にいた者、今日戦場に向かった者、一人残らず殺すか捕虜にされたようじゃ。
情けない男共よ……もう後はこの領内にいる我々女のみ」
美祢が大きく息を呑む。女たちは動揺し始めた。
庄右衛門も驚愕した。普通、軍隊の者が全て捕まってしまうか殺されてしまうなどあり得ない。
「私の命と引き換えに、捕虜の解放と戦の終結を約束すると申しておるが……誰が信じるものか!男共と違い、我々は最期まで戦う!」
蜻蛉御前がキリッと言い放つも、
「撤退命令は下さなかったのか」
と思わず聞いてしまうくらいにはとんでもない事態だった。
蜻蛉御前はそんな庄右衛門をキッと見据えて、
「撤退など許さぬ。私に忠誠を誓う民ならば最後の一人になるまで戦わなければならない!」
と声高に言った。
なるほど、上に立つ人間がこれでは、兵士たちが疲弊しきっても撤退させてもらえず、疲労や傷が元で死ぬか、耐えきれなくなった兵士たちは進んで相手の軍の捕虜になるしかなかったのだろう。
今朝見た足軽たちも、やたら疲れ切って痩せこけていた。不作でも続いたのだろうかと思っていたが、どうやらこの城主が無茶をさせ続けた結果のようだ。嫁さんたちに足軽たちを辛辣に扱わせたのも、恐らく蜻蛉御前の立ち振る舞いによるものだ。
「お前たちも、私に忠誠を誓う民であるなら、命を賭して戦に挑め!女であろうと最後まで戦うのだ!」
蜻蛉御前がそう発破をかけると、鎧を着た女たちはしゃっきりと背筋をのばして返事をした。
庄右衛門の視界に、その女たちから何か糸のようなきらきらしたものが頭から伸びているのが見えた。どこかに繋がっているらしい。
「そんな……うちには幼い子供がいます!
旦那が死んだかもしれない今、あの子にはあたししかいないのです!傍にいなければ……!」
美祢が真っ青になって悲鳴に近い声で叫ぶ。
昼間の気丈さはどこへやら、不安と恐怖と、子供を守りたい思いで震えている。今すぐにでも隣家に預けてきた与吉の元へ飛んで行きたいのだろう。
蜻蛉御前は冷たい目で美祢を見た。
「敵前逃亡は以ての外。お前の子にもこれが運命と心得て、命をかけてもらおう」
「な、なんと……!」
美祢がか細く呟く。恐怖で握りしめた拳の中で爪が刺さり、血が滲んでいるのを庄右衛門は見た。
息子が死に、夫の安否もわからぬまま殺されてしまった、庄右衛門の嫁のはるの姿がふとだぶついた。
蜻蛉御前は拳を振り上げた。
「我々は同じ領内で暮らす住民で、家族で、運命共同体なのじゃ!
生きる時は手を取り合って、戦う時は死なば諸共!
しかしただでは死なぬ!武士の誇りに賭けて最後まで戦うのだ!」
蜻蛉御前が鼓舞すると、呼応する甲冑姿の女たちと、恐怖で震える美祢や女中たちで反応が別れた。怖がる美祢たちには糸のようなものはくっついていない。
雪丸はこの状況をどう切り抜けるか考えあぐねていると、庄右衛門が拳を握りしめている事に気づいた。ものすごく怒った顔をして蜻蛉御前を睨んでいる。
「嫌がる者に無理を強いて、何が運命共同体だ。何が武士の誇りだ」
静かな怒りがこもった庄右衛門の声だが、しっかりと蜻蛉御前の耳に届いたようだ。ゆっくり向き直り、
「はて、流れ者が何か文句でもあるようじゃな?」
と睨め付けてくる。この時代、平民が城主に意見するなどとんでもないことなのだが、庄右衛門はそれでも抑えきれずに吐き捨てた。
「お前さんは民を導く城主でありながら、兵士を疲弊させたり、下らんめちゃくちゃな理想論を振りかざしたり、やっていることは無知で傲慢で呆れるものだ。
オマケにお前さん一人の犠牲でこの戦は終結するだろうに、罪のない人間まで道連れにするなんて……」
「黙れ!部外者の癖に減らず口を叩くな!」
蜻蛉御前が声高に言うと、庄右衛門は怒号を飛ばした。
「うるせぇ!自分のことばかり考えて悪戯に民草を犠牲にするなんてな、城主を名乗る資格はねえんだよ‼︎」
庄右衛門の怒号は部屋の壁一面をびりびりと震わせるほど凄まじいものだった。
女たちは怯み、蜻蛉御前は尻餅をつく。慣れない甲冑のせいで一人では起き上がれず、わたわたとその場でもがいていた。
その時、蜻蛉御前の首筋に一匹の大振りな蜂の姿があった。その蜂と、先程庄右衛門が見た糸のようなきらきらしたものが繋がっている。
「雪丸!見えたぞ!人にしがみついているようだが、どうする⁉︎」
庄右衛門が雪丸に声をかけると、雪丸は、
「任せて!」
と叫び、刀を鞘から抜いて、その場で勢いよく二~三回旋回した。刀が翡翠色に輝き、不思議な風が強く吹く。
蜻蛉御前と女たちは悲鳴をあげて蹲った。風に襲われ、女たちにくっ付いていた無数の蜂が引き剥がされ舞い上がる。
庄右衛門が墨を筆に浸し、蜂を描き始めた。
雪丸もそれに合わせ、大ぶりとはいえその場にいた蜂を、一匹残らず見事に一刀両断した。
後で知った事だが、最後に蜻蛉御前にくっ付いていた蜂を切り落とし、光の粒となって絵に封印し終わった頃、糸が切れたように倒れ込む女中や領内の女が何人かいたようだ。
(蜻蛉御前の蜂が、他にくっ付いていた蜂を通して女たちを操っていたようだな)
蜻蛉御前に付いていた蜂を封印したおかげで、他のたくさんの蜂も一気に無力化できたのだろう。美祢や女中を除いて、部屋にいた女たちは気を失って伸びている。
「あ、あんたたち、一体何をしたの……?」
美祢が震え声で聞く。
普通の人間からすれば、突然雪丸が刀で空を斬り、庄右衛門が蜂の絵を描きだしただけに見えるからだ。
庄右衛門と雪丸は思わず顔を合わせたが、
「そんな事はどうでも良い。早く逃げる準備をしろ!子供や大事なものを守れ!」
と庄右衛門が一喝する。
その声を皮切りに、女たちはあちらこちらへ走り出した。今しがた化け物を退治したというのに、まるで「蜂の巣」を突いたような騒ぎとなってしまった。
その騒ぎに紛れて、庄右衛門と雪丸はうまく領地から抜け出した。
一刻半も過ぎた後、蜻蛉御前がいた武家屋敷が戦火により勢いよく燃え上がるのを、小高い丘からなんとも言えない気持ちで見守っていた。
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