妖狐乙嫁譚

サモト

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突然のお嫁入り

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 江戸からはなれた山奥に、たくさんの妖狐の住まう御殿がある。
 御殿の主は九尾の妖狐で、名を天遊《てんゆう》といった。

 十和《とわ》は父にその妖狐を、母に人間を持つ半人半妖の娘だった。
 母は十和を生んですぐに亡くなり、十和は父の御殿で妖狐に囲まれながら育った。

「おまえの母に出会ったのは、ちょうどこんな季節だった。
 梅には遅く、桜には早い、桃の花のほころぶ頃合い。
 私を祀る神社にやってきて、私に親しい人の旅の安全を祈願した。

 おまえと同じに細面で白い顔をしていた。大人びた顔の造りをしていたけれど、息を切らせて石段を上がってきて、頬をほんのり紅色に染めている姿は童女のようだった。

 一瞬で目を奪われたよ。
 私欲を忘れて一心にだれかのために祈る姿も美しく尊かった。私は千年以上生きているけれど、あんな衝撃を受けたのは初めてだった」

 父のひざの上で亡くなった母の話を聞くことが、十和は大好きだった。

 武蔵国《むさしのくに》を拠点に東国一帯の妖狐を束ねる天遊には、妖狐の正妻がいる。
 妾の子である十和は、正妻や異母姉たちに疎まれていた。
 父が深く母を愛していたことは、十和にとって心の支えの一つだった。

「お父様が突然あらわれて、人間だったお母様はびっくりなさったでしょうね」
「とても驚いていたよ。手を出したら拒まれて、苦しい思いをした」

 人間の男に化けた父は悲しげによよと泣いた。
 金の毛並みを持つ天遊は、美しい狐姿を反映して化けてもうるわしい。
 顔立ちもさることながら、立ち居ふるまいから趣味にいたるまで高雅で、絵巻物に出てくる貴公子のようだ。
 いきなりこんな相手に求愛されたら驚いて拒むのも当たり前だ、と十和は母の心を推しはかった。

「でも、最後はお父様とお母様は結ばれて、私が生まれたのですよね。
 妖狐と人間という垣根も超えて。
 何度聞いても物語のようでうっとりしてしまいます。私もそんな恋がしてみたいです」

「ふふ、そうか。でも、十和には難しいかもしれないね」

 春が来るたびに繰り返されていたやり取りは、三年前、十和が十三歳のときに途絶えた。天遊がとある神社の巫女に封印されてしまったのだ。

 当然、配下の妖狐たちはすぐに封印を解こうとしたが、巫女は手強かった。妖狐が近づけば矢を射かけてくる。

 寿命の長い妖狐たちは、ひとまず巫女の寿命が尽きるまで待つ道を選んだが、半妖の十和は人間と同じに年を取る。

(もう二度と、お父様と話すこともないかもしれない)

 つぼみをつけた庭の桃の木を見て、十和はかすかにため息を漏らした。
 物思いにふけったのは束の間のことだったが、扇がぴしゃりと十和の手を打つ。

「さぼるでないよ、半人の半端者が。妖術も使えず、わらわの身の回りの世話を焼くくらいしか能のないくせに」
 「申し訳ございません、豊乃《とよの》様」

 畳に三つ指をついて、十和は父の正妻に謝った。

 ていねいな態度に返ってきたのは、またも心ない振る舞いだ。
 三十路ほどの人間の美女に化け、公家の奥方のような身なりをしている義母は、今度は二本の尾で十和の顔を打った。

「謝罪などいらぬわ。早うせい」

 前回は口だけで謝罪してとがめられた。
 なので今回は動きを足したのだが、これも豊乃は気に食わないようだった。
 十和はもう嘆きも落胆もしない。

(どうやっても豊乃様は妾の子が気に食わないのだわ)

 あきらめと共に、豊乃の稲穂色の髪にくしを入れる。霊力を込めて。
 妖術の使えない十和だが、霊力だけは豊富に持ち合わせていた。身の回りの世話をしながら、相手に霊力を分け与えることが十和の仕事だった。

 以前は天遊にだけしていたことだが、天遊が封印されてからは豊乃や異母姉に対してさせられている。

 身に余る霊力は肉体をうるおす。傷の治りを早め、毛や肌をつやめかせる。十和の霊力をたっぷりと帯びた豊乃はまさに輝くばかりの美を誇っていた。

「ああ、そうじゃ。十和、そなたの婿が決まったぞ」
「え?」

 出し抜けな話に、十和はまた手を止めた。あわてて再開する。今回はぶたれずに済んだ。

「相手は月白《つきしろ》じゃ。上野国《こうずけのくに》の白狐といえば分かろうな?」

「……一応、覚えがございますが。本当に私が嫁ぐのですか? 妖狐に?」

「なんぞ不満があるのか。半端者で日陰者のそなたを一人前に結婚させてやろうというのに」

 十和のためというが、豊乃のそっけない物言いには、めざわりな妾の子を身辺から追い払いたいという思惑が透けていた。

「お父様は私をどこにも嫁がせないとおっしゃって――」

「天遊殿が不在の間は、妻のわらわがこの縄張りの頭目ぞ。そなたはヌシのいうことに逆らうのかえ!?」

 激しい口調で言い返され、十和は反論をひっこめた。今、縄張りで一番発言力を持っているのは豊乃だ。逆らえない。
 くしで髪を梳きながら、びくびくと、控えめに質問する。

「その、お相手の方は。月白様は私を嫁にむかえることをご了承くださっているのですか?」
「当然じゃ。こたびの縁談は、先だって縄張りに攻めてきた大蛇を討ち取ったほうびじゃ。
 ヌシがほうびに己が娘をやると申しておるのに、断るわけがあるまい」

 不安の色を隠せない十和に、豊乃はにんまり笑う。

「安心せい。月白には『嫁にはやるが、くれぐれも喰うでないぞ』と念を押してある」

 笑いの混じった気楽な物言いは、十和の心をえぐった。

 強い霊力を持つ十和は、幼いころから妖魔たちに狙われてきた。
 霊力は与えた相手を癒し、うるおすだけではない。霊力を持っている者の血肉を喰らえば、喰った者は相手の力を得ることができる。

 すてきな恋を夢見た十和に、父が「難しい」と返していたのはそのためだ。ヘタな相手に嫁げば、十和は霊力目当てに婿に喰われかねない。

「月白殿はこたびの戦勝で力を得、四尾から五尾の妖狐となった。
 合わせて、上野国に住まう妖狐のヌシにもなった。
 半端者のそなたにはもったいないほど立派な妖狐よ。そなたはほんに果報者じゃ」
「……はい」

 十和は力なくうなずいた。
 結婚相手に力があることや、地位があることは、十和にとってはまったく嬉しくない。
 強い妖魔はそれに見合っただけの野心を持っている。霊力目当てに喰われる可能性が増しただけだ。

「婚儀は十日後。向こうから迎えが来る。荷物をまとめておくのじゃぞ。わかったな?」
「……仰せのままに、豊乃様」

 豊乃は十和が死んだところで問題にしないだろう。
 むしろ自らの手を汚さずに済んだと喜ぶかも知れない。

(いっそ消えてしまいたい)

 うっとうしい虫ケラのように思われている我が身を知って、十和は黒目がちの目をうるませた。
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