妖狐乙嫁譚

サモト

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出会 3

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 嫁入りの当日はよく晴れた。
 十和は朝から身を清め、いつもより入念に身支度をした。たんねんに髪を梳《くしけず》り、肌を作り、頬や唇に紅を挿した。

 そでを通すのは、先日吉乃からもらった撫子色の着物だ。
 吉乃は地味と一蹴していたが、それは着物の色が吉乃の肌色になじまなかっただけのようで、十和の肌には合った。着ると、十和も着物も華やいだ印象になった。

 仕上げに、庭で咲いた桃の花を髪に飾る。十和が着物に合うほどの上等な髪飾りを持っていなかったからだが、この思いつきは悪くなかった。ふわふわとした八重咲の花弁は可憐で、年若い花嫁の初々しさを強調した。

 着付けを手伝った侍女が思わずため息を漏らす。

「おきれいですよ、十和様。まるで桃の花の精のようですわ」

 鏡をのぞきこんで、十和も仕上がりに満足した。手持ちで仕立てた質素な花嫁姿だが、十和には納得のいく仕上がりだ。いつもは暗い表情も、今日は晴れた。

「今までお世話になりました、豊乃様」

「十和、そちは月白に与えたほうびじゃ。ほうびとして新しい主人を喜ばすよう努めるのじゃぞ。
 それができぬような不出来なモノに用はない。たとえ返されたとて捨て置くゆえ、そのつもりで」

 十和が別れのあいさつに参上すると、豊乃は少しも別れを惜しまずそういった。二度と戻ってくるな、ということだ。
 豊乃のとなりに座っている吉乃が、愉しげに追い打ちをかけてくる。

「黒松様に聞いたけれど、あなたの旦那様は格好だけでなくお屋敷もひどいのですって。
 荒れ果ててあばら家同然なのだとか。みな、人の姿でなく獣の姿で生活しているのでしょうね。
 わたくしでもそんな妖狐としての誇りに欠ける野蛮なところはごめんだけれど、狐の姿にはなれないあなたには、もっと辛いでしょうね。かわいそう」

 十和はただ黙って頭を下げた。この屋敷に自分の居場所がないことを今一度思い知って、二人の前を去った。

 豊乃へのあいさつが終わったところで、ちょうど婿である月白の屋敷から使いがやってきた。十和は駕籠《かご》に乗り、少しの荷物とともに旅立った。

 時刻は夕暮れ。逢魔が時。夕焼け空にさらさらと小雨が降る。

 狐火の燃える提灯を下げて、花嫁行列は山を下った。小さな橋を渡って田畑の広がる平野に出、あぜ道を進んでいく。農夫たちが天を見上げて「狐の嫁入りだ」とうわさする声が聞こえた。

 一行はまっすぐに道を進んだが、辻にある大楠まで来ると奇妙な動きをした。木の周りを三度回ったのだ。
 すると、景色が変わった。十和の体に強い風が吹きつける。空が近い。平野から一気にどこかの山頂へ移動している。

 十和は目を見張ったものの、取り乱したりはしなかった。妖怪たちがこうやって近道をするのはよくあることだ。
 山を少し下り、大きな岩壁に空いた穴を抜けると、目的地に到着した。

(ここが――)

 駕籠から降りた十和は、思わず息を呑んだ。

 花婿の屋敷は吉乃の嫌味も納得のありさまだった。
 長屋門の軒下にはクモが巣をかけており、土塀はところどころ崩れていた。塀ごしに見える屋敷はもっとひどい。屋根が一部落ちていて、柱が突き出ている。

(ゆ……幽霊は出ないわよね……?)

 幽霊も苦手な十和は、心の中で半泣きになった。
 ぎぎぎ、と音を立てて開いた門扉にびくつく。

「ようこそ花嫁様。ここの副頭領の赤城《あかぎ》よ。どうぞよろしく」

 門から出てきたのは赤髪の男だった。霊視すると、四本の尾が見えた。がっしりとした体つきで、袴《はかま》と羽織を着た姿は堂々としている。

 十和の記憶では、先代の上野国のヌシだったはずだ。元ヌシらしく頼りがいのある兄貴といった風体だが、

「きゃあっ、かわいい! 初々しい! まさに花嫁さん! 今日一番の癒しだわー!」

 立派な漢《おとこ》が胸の前で手をにぎり合わせ、若い娘のようにはしゃぎだしたので、十和は面食らった。

「時の流れは早いわねえ。お腹を空かせてアタシの胸に吸いついてきたあなたが、もうこんなに大きくなって」

 十和は赤ん坊の頃の自分を恥じた。

「申し訳ございません、赤城様。なんて失礼を」

「いいのよ、全然いいの。あの時からアタシは十和ちゃんを自分の娘のように思っていたから、こうしてここにお嫁に来てくれたことには運命を感じているの。
 アタシのことはどうか第二の母と思って気楽に接してちょうだいね」

 ぎゅっと抱きしめられると、十和は両頬に厚い胸板を感じた。

(なぜ父でなく母なのかしら……?)

 理解が追いつかないが、十和は差し出された盃を受け取った。

「さあ、どうぞ。この家の井戸から汲んだ水よ」

 婚家の水を飲むというのは、家入の儀。婚礼の儀式の一部だ。十和は心して盃と向き合った。
 正直、幽霊屋敷は勘弁して欲しいが、腹をくくって水を飲み干す。ここ以外に行くあてなどないのだから。
 けれども、塀の穴からネズミが飛び出てくると、やっぱり腰が引けた。

「あはは、あんまりオンボロだからびっくりするわよね。でも大丈夫よ。中はちゃんとしているから」

 赤城がからからと笑って中へと促してくる。
 大丈夫といわれても、十和には不安しかなかった。庭は雑草だらけで玄関も見えない。唇を引き結んで門をくぐり――ぽかんと口を開ける。

 またも一瞬にして景色が変わった。目の前にはちゃんとしたお屋敷があった。どこも崩れていない、屋根も壁も床もあるお屋敷だ。
 雑草だらけのはずの庭は砂利敷きになり、玄関まで敷石がつづいている。両側には下男や女中姿の野狐たちが整列していた。

「ようこそおいでくださいました、花嫁様」

 十和はさっきとは別の意味で腰が引けた。赤城がくすくす笑う。

「まさに狐につままれたって顔してるわね」
「全然違うので、びっくりして。……幻術ですか?」
「そ。ここらは天狗や大ムカデと縄張りが近いから。何も取るものがないボロ屋敷に見せておいて、狙われないようにしてるのよ」

 十和はおっかなびっくり前に進んだ。屋敷内には赤い狐火で明るい。玄関から上座敷までの間には、正装した妖狐たちが正座していた。

「月白様。十和様がご到着なされました」

 赤城が一声かけて襖を開けた。

 上座敷には祝言の準備が整っていた。最奥に金屏風が立てられ、銚子と大中小三つの盃が用意されている。向かって右側にはすでに花婿が座っていた。

 月白は紋付羽織に袴と、婚礼にふさわしい装いをしていた。今日は長い前髪も後ろになでつけられている。
 自身が灯したのだろう、宙に浮いた青い狐火が白皙《はくせき》の美貌を冴え冴えと照らしていた。

(やっぱり……お父様なみにおきれいな方だわ)

 目が合いそうになると、十和は気恥ずかしさから半ば顔を伏せた。
 緊張しながら左側の席に着き、ぎょっとした。花婿の顔が間近にあった。怪訝そうに鼻を近づけ、顔をのぞきこんでくる。

「……どこかで」
「あ、せ、先日――」

 御殿で会ったと答えようとしたところで、花婿は力強く花嫁から引きはがされた。赤城の手によって乱暴に着座させられる。

「座って動くなっつっただろうが」

 十和に聞かせていたはしゃいだ明るい声はどこへやら。月白に向けられた赤城の声はドスが利いて低い。

「一晩と経たずに化けの皮はがすな」
「……」

 月白はまだ十和のことが気になっている様子だったが、黙って前を向いて座った。
 月白がただのきれいな置物にもどると、赤城は怖い顔を捨て去ってにっこり笑う。

「では、二人を巡り合わせたご先祖様への感謝と、夫婦が力を合わせて生きていく誓いと、夫婦の末永い幸福を願って」

 赤城が銚子を取り、小中大と順に二人に盃を渡す。夫婦固めの盃だ。無事に済むと、三人だけだった上座敷の襖は開かれ、祝宴がはじまった。

 十和は屋敷の者たちから次々にあいさつを受けた。
 総勢三十名ほどか。みんな明るく気さくだったが、知らない妖狐にかこまれて十和は緊張した。次々注がれる酒にとまどいながら口をつける。

「あまり二人に呑ませちゃダメよ。まだ後があるんだから」

 夜が更けてくると、赤城はまず十和を連れて席を立った。寝間へと案内する。

 いよいよよく知らない妖狐と二人きりにされるのだと知って、十和は身を固くした。月白がおそらく自分の霊力に興味がないと分かっていても不安は消えない。

「そんなに警戒しなくても大丈夫。月白はあなたの霊力には興味がないわ。……たぶん」

 複雑に結ばれた十和の帯をほどきながら、赤城がいう。

「月白は変わり者でね。強いんだけど、本人はそれが嫌みたいで。
 ここに来る前は雑多な妖魔たちのヌシをしていたんだけど『ヌシとか面倒だからだれかの傘下に入りたい』っていってここにきたのよ。ふざけてるでしょ?」

 思わず脱力してしまう理由だった。
 自分に興味がないという予想が裏打ちされて、十和は安心する。

「今回の戦功でここのヌシになるのも、本当に嫌がってねえ。説得に苦労したわ」
「謙虚なお方ですね」
「謙虚というか、面倒くさがりなんだと思うわ」

 赤城はほどいた帯と着物を衣桁にかけ、廊下へ出た。

「一応、夜も叫べば聞こえる距離に控えているから。危ないと思ったら大声をあげてね」

 一人になると十和は化粧を落とし、髪を下ろし、夜着に着替えた。早鐘を打つ心臓に手を当て、布団の端に正座する。

 ほどなくして月白がやって来た。背筋を正して待機している十和を一瞥する。

「横になっていてよかったのに。今日は疲れただろう」
「い、いえ。大丈夫です。妻としての役目を果たしませんと」

 真っ赤になって声を絞り出す十和に、月白が怪訝にした。

「俺たちは形だけの夫婦だろう?」
「え?」
「あなたは褒賞として俺に与えられただけで、本当の妻ではない」

 月白は軽くため息を吐いて、きれいに整えられていた髪を乱す。

「苦労するな。こんな新入りの訳の分からない男の元へ嫁がされて」
「いえ! そんなことは決して!」

 本心だったが、月白は十和の心中にかまわなかった。淡々と話を進める。

「名ばかりとはいえ大事にはする。俺はこの縄張りで暮らしていきたい。天遊殿の娘をないがしろにするつもりはない」

 月白は掛布団をめくって寝床に入った。新妻に背を向けて横たわる。興味のかけらもないというように。

 十和はとまどった。迷いながら寝間の行燈を消して、恐る恐る布団の中へ身を滑らせた。やはり月白は指一本たりとも十和に触れるけはいを見せなかった。

(安心といえば、安心だけど)

 新婚早々霊力目当てに食べられるのではないかと心配していた身だ。この成り行きはとてもありがたい。

 けれども、夫に心惹かれていた身としては、この成り行きはつらい。

(……形だけって、なぜ?)

 十和はじっと天井を見上げた。明かりを消した寝間は光一つなく、何も見えない。

 泣きたくなった。が、ぎゅっと布団をつかんで嗚咽《おえつ》をこらえる。
 ここ以外に行く場所はないのだ。たとえ仮初の夫婦でもつづけていくしかない。

 十和はかすかに聞こえる健やかな寝息を聞きながら、長い夜を過ごした。
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