妖狐乙嫁譚

サモト

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外出 1

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 十和が月白の元へ嫁いで半月ほどが経った。
 すっかりとはいかないが、十和は新しい場所での生活に慣れた。屋敷にいる妖狐たちの顔も覚えた。
 縄張りの警備は二尾以上の妖狐が、家事や雑事は若い妖狐や野狐が、全体の采配は赤城がふるっているので、十和の仕事はもっぱら夫の身のまわりの世話だ。

 十和は朝起きると、まず北棟の縁側に水の入ったたらいを置くことが習慣になった。お行儀悪く塀を乗り越えて帰ってくる月白のためである。

 赤城には渋い顔をされるが。

「十和ちゃーん、甘やかしちゃダメよ。玄関にはちゃんと足洗うたらいがあるんだから、そっちに行くようにいわないと」

「でも、たらいを置いておきさえすれば、月白様ちゃんと足をきれいにして上がってくださいますし」

 十和のいう通りだった。今日も塀を乗り越えて帰ってきた月白は、何をいわずともたらいに足を入れていた。

「十和ちゃん、甘やかすと一生このままよ? あとで困るわよ?」

「赤城さんのおっしゃる通りだとは思うのですけれど……人の性格が変わるには、生きてきたのと同じ年数がかかると聞きました。
 月白様は三百歳ほどでいらっしゃいますから、ちゃんと足を洗って玄関から上がるようになるまで後三百年ほどかかることになります。
 私の生きている間に変わる見込みはないので、私は月白様の習慣に合わせるのが一番だと思って」

 赤城は不服そうにするが、十和は身軽に動きまわる月白を見るのが好きなので、わざわざたらいを用意するのもまったく苦にならない。なんの屈託もない笑みを月白にむける。

「月白様。私のいる間は、どうぞ気にせず塀から帰って来て下さいね」
「……」

 十和はとまどった。てっきり喜んでくれると思ったのに、月白は無言だった。長い前髪のせいで表情もよく分からないが、少なくとも喜んではいない。

 赤城がぽんと月白の肩を叩く。

「月白、あんた今、思いっきり見限られたわよ。もうどうしようもない男だって」
「見限っていませんよ!? 月白様のご意向に添ったつもりだったのですが、何かいけませんでしたか?」

「十和ちゃんはまだ十六年しか生きてないけど、ちゃんと玄関から入ってくるし、着物が汚れたり裂けたりしないよう気をつけるし、礼儀作法を完璧に身につけたお姫様に育っているのにねえ」

「私は子供のころからそうしつけられたからできるだけで。
 何百年もそういう習慣がなかったのに変える方が大変ですよ。
 私は本当に気にしないので、月白様の好きなように生活なさって下さい」

「……」

 月白はやっぱり無言だった。が、水を捨ててたらいを伏せ、十和へ返してきた。
 もういらないとでもいうように。
 十和は衝撃を受けた。朝食の膳を受け取りに台所へ向かいながら、打ちひしがれた。

「月白、次回からちゃんと玄関から入る気になったみたいね。
 アタシが何回いっても聞かなかったのに。十和ちゃん、すごいすごい」
「朝、縁側にたらいを用意するのが、私の唯一の仕事のようなものでしたのに」

 赤城は褒めてくれるが、十和は気落ちした。

「赤城さん、月白様が全然お世話をさせてくださらないのです。
 どうしたらよいでしょうか? なんでもご自分でなさってしまうので、私、何もすることがございません」

 十和は月白の身支度を手伝おうと早起きするのだが、自身が支度をしている間に月白も起き出しさっさと着替えて出て行ってしまう。
 洗顔用の水は川で洗うからと断られ、髪にくしをいれることも嫌がられ、一服時にお茶を淹れようとしてもたいてい拒否される。
 気づくと自室の掃除すら自分でやりだすので、十和が頼みこんでやらせてもらうというありさまだった。

「何のお役にも立てていなくて辛いです」
「月白、一人が長かったからねえ。なんでも一人でやるクセがついてるんでしょうねえ」

 十和の悩みに、赤城は苦笑した。

「月白がここのヌシになってから、アタシ、月白に身の回りをする小姓をつけたのよ。
 その時も十和ちゃんと一緒。全部自分でやっちゃうのよね。
 『小姓の仕事を取るな!』って叱ったんだけど、月白も頑固でさ。
 『俺の世話をするより、妖魔の一匹でも狩った方がよっぽど今後に役立つ』っていって。
 小姓をザコ妖魔の巣に放りこもうとしたものだから。あきらめたわ」

 赤城は深々とため息を吐く。

「基本的に、人に近づかれるのが苦手なんでしょうね。
 ここに来たときも仲間になりに来たくせに警戒心強かったし」

「月白様って、なんていうか野良猫みたいですよねー。近づくと毛を逆立てる感じで」

 ご飯を盛りつけながら女中が口を挟む。料理番の野狐、千代《ちよ》だ。狐なのだが丸い眉のせいで顔立ちは犬っぽい。

「猫っていうより、犬っぽくないっスか? 戦いぶりが狂犬って感じ」

 通りすがりの妖狐も口出しする。二尾の妖狐、酔星《すいせい》だ。酒に弱く、すぐに酔ってしまうらしい。

「いや、あの行儀の悪さは野猿でしょ!」

 力説して、赤城ははっと十和をふり返った。ヌシの奥方を前に、失言をおぎなう。

「でも、いいやつよね!」
「そうそう、若いけど本当に強いし!」
「実は美形ですよね!」

 部下たちの補足はとても微妙だったが、十和は気にしていなかった。自分の悩みごとで頭がいっぱいだった。できあがった二つのお膳を抱えて苦悩する。

「お食事の給仕も必要ないといわれて、一緒に取るように言われる始末ですし。妻ってなんなんでしょう……」

 肩に重石がのっているような気分で、とぼとぼ居間へむかう。月白とともに膳をかこんだ。
 白米に味噌汁に香の物というのが通常の献立だが、今日はもう一品ついていた。

(う……妖魔のお肉)

 台所にカラスの羽根が散っていた覚えがあるので、元はカラスだった妖魔だろう。
 わざわざおいしいもも肉の部分をのせてくれていたが、十和ははしをつけなかった。

(妖魔のお肉って、お腹を壊してしまうのよね)

 月白の方をちらりとうかがう。野良猫だの野犬だの野猿だのいわれている月白だが、食事姿は人並みだ。座っている時にいつも背筋が伸びているので、それだけで美しく見える。

「月白様、お肉いかがですか? 私は相性が悪くて食べられなくて」

 十和は嬉々として肉を差し出した。妖魔の血肉を喰らうことは、霊力を増す一つの方法だ。十和には無用のものでも、妖魔にとってはごちそうといえる一品である。

 だが、月白は首を横にふった。

「鳥肉はお嫌いでした?」
「いや。これ以上食べる必要を感じない」
「……そう、ですよね」

 考えてみれば道理だ。霊力の高い十和に興味を持たない月白なのだ。もっと強くなるために妖魔の肉を食べたいとも思っていないのだろう。

 見れば、月白の膳にはそもそも妖魔の肉がなかった。料理番も月白が妖魔の肉を食べないことは承知らしい。十和はがっかりしながら膳のすみに肉を追いやる。

「月白様は、苦手な食べ物はございますか?」
「……べつにない」
「好きな食べ物は?」
「……とくには」
「私は辛いものがだめで。辛子やわさびは平気なのですが、唐辛子の辛さは苦手なんです。月白様は大丈夫ですか?」
「毒でなければ何でも」

 十和は気まずくなってきた。月白の回答は端的で会話がつづかない。

「月白様、私にして欲しいことってありませんか?」

 考えるように、目線が上をさ迷う。

「……帰って来たとき、無傷で息をしていてくれればそれで」

 十和は黙った。何も期待されていないことを知った。
 沈んだ気持ちでお膳を返しに行くと、赤城に呼ばれた。

「十和ちゃんは縫物はできる?」
「はい。得意な方です」
「よかった。なら月白に着物でも仕立ててやってくれる? あいつ着る物ほとんど持っていなくて」

 降って湧いた仕事に、十和は顔をかがやかせた。

「二着しかお持ちでないですものね。夜着と合わせて三着」

「来た当初は着たきり雀よ。夜着も十和ちゃんと結婚するから用意したもので、それまで寝るときは狐姿。
 礼装もないし。これも婚儀に合わせて用意したかったけど、時間がなくてアタシの知り合いに借りたやつだったのよね。
 二尾の妖狐ならまだしも、ヌシがこれじゃ困るから、頼める?」

 十和は手を叩いて喜んだ。

「いっぱい作らないといけませんね。部屋着に普段着にお出かけ着に礼服に。羽織や浴衣も」
「まずは外出着をお願いしていい? もうすぐ御殿で花見の宴があるでしょ。その時にふさわしい装いが欲しいの。五尾の妖狐として恥ずかしくないような」
「かしこまりました。父の着物を仕立てるのは私の仕事でしたので、お任せください!」

 十和はすぐさま居間に取って返し、縁側にいる月白にうきうきと尋ねた。

「月白様、月白様。好きなお色は何色ですか?」

 月白は困ったようにしばし宙に視線をさまよわせた。

「……特にない」
「お着物をお仕立てしようと思っているんです。好きな柄やこだわりはございます?」
「地味な色。汚れが目立たない色」
「濃い色ですね。月白様は髪も肌も白くていらっしゃるから、きっと映えますね」

 十和は頭のてっぺんから足の先まで月白を観察した。

(背はお父様と同じくらいね。お父様用に仕立てたお着物で丈がちょうどよかったもの。
 でも、胴回りは細そう……身幅も違いそうだわ)

 巻き尺を片手に近づくと、飛び退られた。敵から逃れる兎のように素早い身のこなしだった。
 十和は敵意がないことを示そうと、思わず両手を上げる。

「すみません、採寸をしたくて。お着物を仕立てるのに必要なものですから」
「……適当でいい」
「そういうわけには」

 十和が巻き尺片手に困っていると、音もなく月白に近づく影があった。
 赤城が背後から月白を羽交い絞めにする。

「さ、十和ちゃん。測って」
「赤城さん、これはさすがに失礼かと」

 及び腰の十和を、赤城が激励する。

「いいから! 婚礼の日もこんな感じだったから!
 よく洗えっていってるのに鴉《からす》の行水で出てくるから、川に蹴り落として沈めて全身きれいに洗って。
 ろくに身体拭かないのをとっ捕まえてよく拭いて、着つけて。
 髪油はべたべたするから嫌って逃げるのを三人がかりで押さえつけて。
 あとは整えた髪をくずさないよう、直前まで柱に縛りつけてたのよ」

「……月白様のあのお姿は、赤城さんの苦労の結晶だったのですね」

 十和はゆっくり近づいて、自由の利かない月白に巻き尺を握らせた。

「測って、教えてくださいませ。多少誤差が出るかもしれませんけれど、そう支障はでませんから」
「……いい。あなたが測ってくれ」

「よろしいのですか?」
「俺は頭で安全だと分かっていても、反射で行動してしまうから。
 いいかげんその悪癖を治したい」

 赤城に捕らえられた直後は抵抗していた月白だが、今はおとなしい。強張った四肢は緊張しているようだが、暴れないよう自制しているふうでもあった。

「さあ十和ちゃん、一思いに」
「し、失礼いたします」

 採寸だけでこうももめるとは。
 先を思いやりながら、十和は手早く採寸を済ませた。
 月白を解放して、赤城が十和を誘う。

「十和ちゃん、アタシお昼から出かるけど。一緒に行く?
 嫁ぐときについてきた妖魔のせいでずっとお屋敷にいて、いいかげん気が伏せってくるでしょう。一緒に反物を買いに行かない?」
「行きます!」

 二つ返事でうなずくと、月白が口を挟んだ。

「俺も行く」
「めずらしい。人が多いところ嫌いなくせに」
「妻を守るのは夫の役目だろう」

 当たり前のように吐かれた言葉に、十和は頬を赤くした。赤城が笑う。

「月白が行くならアタシは留守番してるわ。用事はまた今度でもいいことだし」
「私で間に合うことでしたら、赤城さんのご用事を承りますけど」
「そう? じゃあ、悪いけど河童《かっぱ》の店で傷薬を買ってきてくれる? 二人でどうぞごゆっくり。これ、お金ね」

 十和はあずかった金子を握りしめた。月白と二人きりでお出かけ。心が嬉しさと緊張でふくれていた。
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