妖狐乙嫁譚

サモト

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外出 3

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 呉服店の後は市をそぞろ歩きして、十和たちは屋敷へ帰った。
 手をつないで帰ってきた二人を、赤城がほほえましそうに出迎える。

「いいものは買えた?」
「おかげさまで。後日届けて下さるそうなので、届いたら教えてくださいませ。これ、お土産です」

 十和は油紙に包まれたたくさんの油揚げを差し出した。

「父が好きだったお店のもので。見かけたら、つい」
「うれしい! 美食家の天遊様がお好きなお店なら、味もまちがいないわね」

 赤城だけでなく他の妖狐たちも喜んだ。興奮のあまり変化が一部解けて、しっぽや耳を出してしまっている。

「アタシ、おそばやおうどんにのせて、おつゆに浸しながら食べるのが好きなのよねえ。十和ちゃんは?」
「私はカリカリに焼いて、おろし生姜とお醤油でいただくのが好きです」
「あたしは甘辛く煮てごはんと一緒がいいですっ。いなり寿司大好き!」
「俺は醤油原理主義者っスね。それ以外は認められないっス」

 赤城と十和の話に、他の妖狐たちも加わってくる。狐の好物だけあって、めいめいこだわりの食べ方があった。

「月白様は?」

 妖狐たちは油揚げをどう食べるかの談義で盛り上がっていたが、月白は静かだ。話に加わることもなく、北棟へ戻ろうとしている。

「どんな食べ方がお好きですか?」
「……食べられればなんでも」
「私の好きなようにしてお出ししてもよろしいですか?」

 うなずかれたので、十和は好きにすることにした。

 夕食後、七輪で油揚げをあぶり、台所にあった大根をおろしてのせ、青ねぎをちらす。本来なら出汁で割った醤油をかけるのだが、今日は簡単に醤油だけを回しかけた。仕上げに七味唐辛子をふれば完成だ。

 作業を見守っていた千代がため息をつく。

「うわあ、おいしそう。凝ってるう」
「父が好きな食べ方で。料理はできないのですけど、このくらいのことなら」
「さすが御殿は食べているものが違いますねえ」

 できあがったものを運ぶと、月白はしげしげとながめた。
 においも嗅いで安全を確かめた後、口に運ぶ。特に感想はないが、淡々と食べ進めているので不満もないようだ。

 十和は安心して自分の分に口につけた。自分のものは単純に、好みに従っておろし生姜と醤油のみ。油が良質なのでしつこくない。あぶった香ばしさと、ピリリとしたおろし生姜の刺激で次々とはしが進む。自然と頬がゆるんだ。

「……な、何か?」

 月白の視線を浴びていることに気づいて、十和はうろたえた。

「うまそうに食べるな、と」
「そうですか?」

 月白はじっと食べる様子を見つめてくる。
 人に見られていると食べづらい。十和は気を紛らわすため、適当な話題をふった。

「油揚げも土地によって差がありますよね。大きさとか、厚さとか。
 月白様の生まれたところでは、どんなものがふつうでした?」
「……さあ。生まれたところもよく覚えてない」

「寒いところでしたか? 暖かった?」
「暖かかった、と思う。今思うと、やたらと化け狸が多かった」
「では伊予では? あそこは狸が多いことで有名ですから」

 十和は興味津々で身を乗り出した。遠い国の話や、旅の話を聞くのは好きだった。

「伊予でしたら、私もお父様に連れられて松山の道後温泉に行ったことがございます。海の幸もおいしくて。良いところですよね」

「……そうか。俺は狸どもに追い回されていた思い出しかなくて」

 十和は揚げがのどに詰まった。
 生まれ故郷に幸せな思い出がない者もいるということを失念していた。

「こちらへは、どうして? 海を越えて大変でしたでしょう」
「他の妖魔に追いかけられているうちに自然と。全国津々浦々さ迷ってここへたどり着いた」

 まったく楽しそうでない回答に、十和は好奇心を引っ込めた。気軽に聞いていい話ではなそうだ。

「大変でしたね」
「さあ。生まれたときからそういう日常だったから。特に大変と思ったことがない」

 月白は縁側から銀月を仰いだ。白い髪と肌が、月の光を受けてほのかに輝いている。柱にもたれて夜空をながめる姿は一枚の画のようだった。

 不意に、十和は月白がとても遠い存在に思えた。きっと月白は三百年間こうやって何度も一人で夜を過ごしてきたのだろう。
 片膝を立てた座り姿には、ピンと糸を張ったような緊張感があった。危険を察知したなら即座に動こうという気配がある。
 自分だけを頼りにして生きてきた月白には、孤高の美しさがあった。

「どちらへ?」

 月白が急に立ち上がったので、十和は腰を浮かせた。

「川」
「今からですか? 危ないですよ、水辺はただへさえも死霊が多いですし」
「妖魔には寄ってこないから心配ない」
「身を清めにいかれるのですよね? 夜はまだ冷えますし、屋敷の湯殿を使われた方が」
「いい」
「でも」

 思い留まらせようとなおも言葉を重ねると、はじめて月白が不快そうにした。

「なぜそんなに俺にかまう?」
「え?」
「食べ物の好き嫌いだの経歴だの、なぜそんなにいろいろ聞たがる?」
「なぜって」

 十和はもごもごと口ごもる。
 なぜといわれても、月白が好きだからいろいろ知りたいとしかいいようがない。

「豊乃殿に、よくわからない新入りのことを探れとでもいわれているのか」

 十和はびっくりして月白を見上げた。前髪の下からのぞく金色の目は冷たい。

「人のことを探ったり油断させるのに女を寄こすのはよくある手だ」
「違います! 私がただ知りたいだけで」

 弁明を信じてくれたかは分からない。月白は一方的に話を終わらせ、塀を乗り越えて出かけていった。
 残された十和は呆然とする。

「月白、こんな時間から出かけてったの?」

 酒徳利を下げて、赤城が縁側へやってきた。

「たまには一緒に呑もうかと思ったのに」
「赤城さん……私って怪しいですか?」
「へ? なんで?」

「あれこれ質問していたら、月白様に豊乃様の間者かと疑われしまって。ひょっとしてみなさんにも怪しまれていたのかと……。
 天に誓って、そんなことは一切ございませんので! 私、豊乃様とは仲が悪くて。ここにきたのは、むしろ……むしろ、その、」

 「厄介払いされた」という言葉はいわなくても済んだ。
 赤城は十和の話を手で制した。全部分かっているというようにうなずく。

「大丈夫よ。十和ちゃんに疑いを持ったことはないから。
 えええ? あいつそんな心配していたの? さすが野生育ち。警戒心強いわねえ」

 赤城は月白に代わって縁側に腰を下ろした。

「手をつないで帰ってくるくらいだから、すっかり打ち解けたのだとばかり」
「月白様は……私を妻として大事にするとおっしゃった約束を、守ってくださっているんだと思います」

 こぼした言葉は跳ね返って、浮かれていた十和の心を砕いた。

(そう、月白様は約束を守って下さっているだけだわ。忠実に)

 外出に付き添ってくれるのも、手をつないでくれるのも、反物を買い与えてくれるのも。それが世間の良き夫のすることだからやっているに過ぎないのだ。特別な意味はない。

(形だけの夫婦と仰っていたのに、期待をのせて。浅はかね)

 ずきりと胸が痛んだが、だからといって十和は月白への想いを手放せなかった。
 人を拒む孤高の姿にも惹かれてしまうのだから、どうしようもない。

「十和ちゃん、一体どんなことを聞いたの?」

「生まれた所とか、今までどこを巡ってきたのとか。何が好きとか嫌いとか、です。
 赤城さんは月白様のことはどのくらいご存知ですか?」

「たぶん十和ちゃんと同じくらいにしか知らないわ。
 よく知っているのは月白がここに来た経緯くらい。月白は、アタシがここのヌシをしていたときに、アタシに仲間になりたいって頼みに来たから」

「ここに来る前、月白様はどちらに?」

「信濃に鬼熊っていう妖怪がいてね。妖狐でいうなら五尾くらいの強さで、雑多な妖魔の群れをいくつか束ねているんだけど。
 そいつの家来を倒したことで鬼熊に気に入られて、縄張りと手下を一部任されていたみたい。
 だけど、前もいったとおり『ヌシとか面倒だからだれかの傘下に入りたい』っていう理由で、こっちの仲間になりに来たの」

「で、仲間に」
「そんなすぐに仲間にはしなかったわ。一度は追い返したわ。
 だって、よそのヌシの手下よ? 同じ妖狐でも、急には信じられないわよ。まず間者じゃないかって疑ったわ」

「なら、月白様はどうやってここの群れへ入ったのですか?」
「鬼熊の首を持ってきた」

 十和は耳を疑った。

「持ってきたって……どういう?」
「言葉通りよ。あいつ、自分の親分で、ヌシだった鬼熊を倒してきたのよ!
 『これでもう手下でないからいいな?』って迫ってきて……正直、とんでもないのが来たって震えたわ」

 赤城は両手で自分の腕を抱き、さすった。鳥肌が立っている。
 十和も同じ心境だった。五尾相当のヌシを倒せるだけの力量があるのに、手下にしてくれなんて頼まれたら気味が悪い。怖いだけだ。

「アタシが月白について自信をもって語れるのはこの程度。
 直接聞いてもろくに答えが返って来ないから、後は言動の端々から察しているわ。

 でもまあ、絶対に愉快な人生は送ってきてないわね。
 生まれつきの二尾だから子供のうちは他の妖魔に狙われたでしょうし、生まれが化け狸の国の伊予みたいだから、身を寄せられるような妖狐の群れはない。相当苦労しているはずよ。

 あの年で、群れに頼ることなく独力で五尾になっているのは本当にすごいことだけど、気の毒にもなるわ。それだけ早く成長しないと生き残れなかったってことだから」

 十和は月白の淡々とした有りようを思い返した。
 ほとんど感情をあらわにすることがないのは、日々の生活にいちいち喜んだり悲しんでいられるような余裕もなかったからかもしれない。

「月白様、昔のことはあまり思い出したくないのかも知れませんね。余計なことは詮索しないよう気をつけます」

「十和ちゃんが悪く思う必要ないと思うけど。アタシはあいつが語らなさすぎだと思うわ。
 夫婦なんだから相手を知りたいって思うのは当然よ」

「まだ妻とは思われていないのでしょうね」

 さみしく微笑して、十和は遠い銀月をながめた。
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