妖狐乙嫁譚

サモト

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外出 4

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 間者と疑われて以来、月白に合わせて十和も淡々とした付き合いを心がけた。

「ご用がございましたら、なんなりとお申し付けくださいね」

 とだけ言ってよけいな質問や手出しはしないよう気をつけた。
 正直、つらい。が、よけいなことをして嫌われるのはもっと嫌だ。
 十和はしょんぼりしながら日々、月白のかたわらで黙々と針仕事に勤しんだ。
 少しも話さないおかげで針仕事ははかどっている。もうすぐ一着仕立て上がりそうだ。

(――しまった。糸も買ってこればよかったわ)

 糸巻がカラだ。買いに出たいが、一人では外出することは危ない。
 ちらりと、ひなたぼっこをしている月白をうかがう。この間のようについて来て欲しいが、何も頼まれないとこちらも何かを頼みにくい。

(行商を待ちたくはないし。だれかお買い物に行くついでにお願いしてみようかしら)

 思案していると、赤城がやってきて風呂敷片手に月白に頼んだ。

「月白、これ届けてきてくれない? 妖都にいるうちの手下に。赤の広場の茶屋で待っているはずだから」

 渡りに船だった。月白がうなずくと、十和は針と糸をおいた。

「私もご一緒してよろしいですか? 糸を買いに行きたくて」

 拒まれなかったので、十和は急いで出かける支度を整えた。今回も月白は手を貸してくれたが、前回ほど緊張しなかった。一抹のさみしさを交えて手を取る。

 十和の目指す小間物屋は、赤の広場の途中にあった。ヒト型向けの日用品をそろえた大店で、店内は気をつけていないと人とぶつかりそうなほど繁盛している。

「外で待ってる」

 人が多いので、月白は中に入ることを避けた。ならば、と十和は申し出る。

「よかったら、この間にご用事を済ませてきてください。私、ここでお待ちしています」
「わかった」

 糸を買う用事はすぐに済んだが、十和は退屈しなかった。小間物屋に来ている多くの女性客同様に、買わずとも他の商品を見て楽しんだ。
 美しい細工を施されたかんざしやくし。おしろいや紅。眼鏡やきせる。根付や袋物。
 品ぞろえは現世の小間物屋と似ているが、飾りとして天狗の羽根だとか龍のうろこだとかが売っているところが異界らしい。

「――あ、すみません」

 夢中で端切れを見ていたら、人とぶつかった。相手の落としたかんざしを拾って差し出す。

「こちらこそ」

 紅とおしろいできっちり顔を整えた女性が笑む。

(どこかで……?)

 目が合った瞬間、めまいを覚えた。十和は首を左右にふる。ぶつかった女性は何を買うでもなく、さっさと店を出て行った。

(縫物を夢中でやりすぎて疲れているのかしら)

 店の外をのぞく。そろそろ月白が戻ってきてもよさそうだ。
 通りの中に姿を探していて、十和は身をすくませる。

(お……鬼!)

 額から角を生やした大男が通りを闊歩している。
 さあっと血の気が引いた。妖怪の中でも十和はとりわけ鬼が苦手だった。

(大丈夫大丈夫。このお店にはこないわ)

 一応、通りから見えない位置に隠れる。男の鬼だ。こんな店に用はないだろうと高をくくっていたら、鬼が店に入ってきた。だれか探しているように店内を見回す。

(い、いったん外に出ていよう!)

 お客にまぎれて十和は通りに出た。鬼が近くにいると怖い。落ち着かない。
 いっそ自分の方が月白を迎えに行こうかと考えていると、後ろから声をかけられた。

「十和」

 月白と思ってふり向いて、十和は顔がこわばった。
 避けている例の鬼が後ろにいた。相手が名前まで知っていることに恐怖する。

「帰ろう」

 手を取られて、十和は悲鳴をあげた。半狂乱で手をふりほどく。

「人違いです!」

 騒ぎに気づいて、妖都の警邏たちが走り寄ってきた。なおも十和に近づこうとする鬼を抑える。

「君、見ず知らずのお嬢さんに乱暴をするんじゃない!」
「俺は彼女の夫だ」

 十和は頭がもげそうなくらい、必死で首を横にふった。

「ちがいます! その人は夫じゃありません! 私にはちゃんと別に夫がいます!」

 十和は一目散に駆け出し、その場からはなれた。肩越しに後ろをうかがうと、鬼は警邏たちに連行されていた。番所行きだろう。一安心だ。

 赤の広場にある茶屋へ行ってみると、月白の姿はなかった。茶屋の娘に帰った後だと教えられ、十和はまた小間物屋に舞い戻る。だが、月白の姿はない。

(さっきお店をはなれたときに行き違いになってしまったのかしら)

 十和は小間物屋で待っていたが、月白は一向に現れなかった。閉店時間になっても。

(月白様に何かあったの……?)

 不安に乱れる胸に、不穏な想像がよぎる。

(私なんていらないと思われて置いて行かれたのでは……)

 被っている衣を握りしめると、機尋は蛇へと姿を変えて陰気につぶやきだした。

「あの男、裏切りやがったわね……きっと今ごろどこかで女と遊んでいるんだわ……男なんてみんな一緒よ……許さない許さない許さない……!」
「機尋ちゃん、待って待って待って! どこかで行き違いになったのかもしれないから。いったんお屋敷に戻ってみましょ」

 十和は月白を探しに行こうとする機尋を押しとどめ、来た道を一人で戻りはじめた。
 日の暮れた妖都は物騒な雰囲気だ。それまで開いていなかった店が開き、昼の間は現れない者たちがやってくる。魔のけはいが濃い。機尋をしっかり握りしめて、十和は早足に大きな妖魔のそばをすり抜ける。
 現世につながる小部屋に帰り、隧道を出、長屋門が見えた時にはほっと息がもれた。

「十和ちゃん、良かった! 戻ってきたのね」

 門から赤城が飛び出してきた。見張りをしていた酔星も駆け寄ってくる。

「月白が、十和ちゃんは他に夫がいてもう戻ってこないとか変なこというから。一体なにが起きてるのかと混乱してたところよ」
「え? 私、月白様とはぐれていただけですけど。他に夫ってなんの話ですか?」

 まったく訳が分からない。十和は屋敷の方を見やった。

「月白様は? 先にお戻りなんですよね?」
「ええ、ちょっと前に戻ってきて――ああ、ほら。門の上にいるわ」

 赤城の指差した方向を見て、十和は絶叫した。

「な、なんでっ、なんでここにもいるの!?」
「十和ちゃん?」
「鬼! 鬼が! 私、町であの鬼に捕まりかけて。あの鬼のせいで月白様ともはぐれて」

 ここに来てまで鬼。悪夢のようだ。赤城にしがみついて震える。

「十和ちゃん? 何いってるの、鬼なんていないわよ?」
「で、でも、屋根の上に」
「いないっスよ、奥様。鬼のにおいもしませんし。月白様だけッスよ?」

 酔星にまでいわれると、十和は自分に疑問をもった。途端、視界がゆらいだ。鬼が見慣れた月白の姿に変わる。

「あ、あれ? 月白様? なんで?」
「十和ちゃん……ひょっとしてだれかに幻術でもかけられてた?」

 いわれて、十和ははっと気づいた。昼間に小間物屋でぶつかった女性を思い出す。

(ふだんとお化粧が違ったから気づかなかったけど、あれ……吉乃お姉様の侍女だわ)

 主犯は吉乃だろう。十和は小さい頃にも吉乃に幻術をかけられ、屋敷内をさ迷わされたことがあった。
 注意した父に、吉乃が「わたくしたちの兄弟なら、こんな幻術くらい解けると思って」と澄まして答えていたのは苦い思い出だ。

(この間、呉服屋で会ったときに睨まれていたから、嫌な予感はしていたけど)

 今日も十和の慌てぶりをどこかから見て哂っていたのかもしれない。
 十和はぐったりしながら門に近づく。地面に下りた月白におずおずと尋ねた。

「私に声をかけて、帰ろうと手を取ってくださったのって」
「俺だが」
「申し訳ございませんでした!」

 十和は土下座した。つまり警邏に連行されていった鬼は月白だったのだ。

「あの後、どうなりました?
「説明しても全然信じてもらえなくて、参った。……身なりが悪いのもまずかったらしい」

 月白は自分のボロボロの着物を見下ろし、きまりが悪そうにしていた。

「警邏に、う、打たれたりは」
「懲罰はなかった。付きまとうのはよくない、とか、あきらめなさい、とか二刻くらい説教されたが」

 合わせる顔がない。十和は地面に突っ伏した。

「私、鬼が苦手で。昔さらわれてお嫁にされそうになったので、とても苦手で。また鬼の屋敷に連れ戻されるかと怖くて。本当に申し訳ございません!」
「いい。……誤解ということでいいんだな?」

 力強くうなずくと、手を差し出された。
 月白が淡々とした中に安堵をにじませてつぶやく。

「先日あんなことをいったから……愛想を尽かされたかと」
「それを心配するのは私の方です。待ってても全然いらっしゃらないから……捨てられたのかと」

 月白の手をつかむと、十和は一気に緊張が解けた。思わず月白に抱きつく。ぎこちなく抱きしめ返されると、涙がぼろぼろこぼれた。

 赤城が胸をなで下ろす。

「まあまあ、びっくりしたけど。一件落着ね。お帰り十和ちゃん」
「ご心配をおかけしました」

 屋敷の居間にたどり着くと、十和はようやく落ち着いた。最後の涙を拭き、料理番の千代が運んできてくれたお茶を飲む。

「ずっと小間物屋にいたのか」
「はい。――そうだ、月白様。お財布を作るならどちらの柄がいいですか?」

 十和は巾着を開いて、二種類の端切れを見せた。待っている間に小間物屋で買ったものだ。

「やっぱりお金を紙に包んで持ち歩くのは不用心ですよ」
「……十和」
「はい」

 月白の声が緊張をはらんでいたので、十和は背筋を伸ばした。

「俺は柄の善し悪しだとか、食べ物のうまいまずいとか、好き嫌いとか、そういうのがよく分からない。考えたこともない。
 食い物は腹が満たされればいいし、着物は着られればそれでいい。
 あなたに色々聞かれると、答えにとても困る」

 十和は衝撃を受けた。好みに細かい父のもとで育ったので、何もこだわらない人がいるとは想像したこともなかったのだ。あっけにとられたのち、己の視野の狭さを恥じた。
 ふり返ってみれば、十和の質問に月白はたいてい詰まっていた。

「申し訳ございません! まさかそれがご不快だったとは気づかず」

 十和は青くなったが、月白は頭《かぶり》をふった。

「違う。あなた責めたいわけではない。いいたいのは、俺は自分に嫌気が差したということだ。あなたと話していて、俺には何もないのだと気づいたから」

 月白の声は静かで乾いていた。

「俺は生まれた場所もよく覚えていないし、好きも嫌いもない。きれいも汚いもよく分からない。
 過去にしてもそうだ。親兄弟は俺に引き寄せられてやってきた妖魔のせいで死んだ。
 仲間は結局、寝返ったり裏切ったりで敵になり、殺してきた。そうでない奴はいい奴だった。でもいい奴は生き残らない。みんな死んでいった。
 今までの人生に、あなたに語って聞かせるようないいことはなかった。からっぽだ。何もない」

 二人だけの北棟には風の音がよく響いた。

「それを知られるのが嫌で、先日あなたを間者呼ばわりした。ここのヌシにされた時に、俺自身が疑われる段階は過ぎたと知っていたのに。
 何も聞かれたくないと思った俺のわがままだ。悪かった」

 頭を下げられて、十和はしばし呆けた。こんなに月白が話してくれたのは初めてだ。
 やっと心が通ったような気がして、胸がじんと温かくなった。

「お考えがわかって、安心しました。私ばかり話しているので、うるさいと思われていないか不安だったんです」

「それはまったく。聞かれるのは困るが、語られるのは苦にならない」
「よかった。では、そういうことならお財布は私の好きに作らせていただくとして。
 月白様、もしこの先、好きなものができたら教えて下さいね。一番に」

 二人が和解したところで、千代が夕餉の膳を運んできた。
 今日はいなり寿司だ。千代が自信作と胸を張っただけあって、十和もおいしいと思ったが、月白は小首をかしげた。

「……食べられるが。この間、あなたが出してくれた油揚げの料理を食べたいと思うのは、好きということか?」
「たぶん」

 十和はにこりと笑った。
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