妖狐乙嫁譚

サモト

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別離 3

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 十和が人間の中で暮らすようになって、二年余りが過ぎた。
 天遊の祠がなくなったため、神社に以前のようなにぎわいはないが、参拝客は途切れずやってくる。旭の巫女としての実力は本物で、お祓いの依頼や怪異の相談は続いていた。

「うちは今はもうない神社の神主の家系でな。そのせいか、十和や私のように霊力を持った人間があらわれるんだ」

 兄夫婦を亡くした後、旭は仇討ちのために有名な神社で修業し、妖魔を払う術を身につけたらしい。
 十和も旭に習って妖魔を祓う術を学び、たいていの妖魔なら祓えるようになった。今では、弱い妖魔なら向こうの方が逃げていく。

(あんなに怖がっていた日々が嘘みたい)

 十和は結界に頭突きをくり返している妖魔を、えいっと竹箒で叩いて霧散させた。
 ついでに境内を掃き清める。今日も神社は安全そのもの。結界にほころびはなく、境内は清浄だ。

 箒を片づけ、ふと空を見上げる。冬ほど硬く澄んでいない、やわらかい色合いの青空が広がっていた。境内の桜の蕾はまだ硬いが、桃の蕾はほろこびかけていた。
 八重咲のかわいらしい桃花を髪に飾った日のことを思い出して、胸の奥がうずく。

 感傷に浸っていると、鳥居の方から騒がしい声が聞こえてきた。

「はなせババア! ちょっと人の財布から金を借りただけだろ! 
 はなさねえと末代まで呪うぞ、祟るぞ! おまえの母ちゃんでーべーそー!」

 騒いでいるのは、旭が首に縄をかけて引きずってきた茶狐だった。かなり口が悪い。

「お帰りなさいませ、旭おばさま。その狐は? 妖怪のようですけれど」
「市中で女に化けてスリを働いていた野狐だ。おい、悪童。名前は」
「久礼」

 名前を聞いて、十和はあっと口を押えた。
 野狐の方も折れている尻尾を立たせる。

「あれ、あんた。ムッツリスケベの嫁じゃん」
「月白様です。変なあだ名を広めないでください」

 旭が捕まえてきたのは、十和も知っている相手だった。以前妖狐たちの花見の席で、美人の踊り子に化けてスリを働いていた年若い野狐だ。

「あんた、何で巫女の格好なんてしてんの?」
「色々あって、今はここで修行しているのです」

 十和はしゃがんで、木の幹に括りつけられた久礼と目線を合わせた。

「まだスリを続けていたんですね。どこか妖狐の群れに入って修業はしないのですか?」
「集団生活合わねーんだよ」

 久礼は小声でつけ足す。

「……一応、群れで修行しようとは思ったんだぜ。でも、断られてさ」
「どこの群れですか?」
「あんたの旦那のとこ」

 久礼はふてくされ、地面に腰を下ろした。人間のように足を投げ出して長座する。

「あそこのヌシになったって聞いたから、手下になってやろっかなーって御殿に行ったんだけど、赤毛のオカマに門前払いくらった。
 あんた、ヌシの女房だろ? なんとか取りなしてくれよ」

 十和は眉を八の字にした。

「久礼さん、残念ですが。私はもう月白様の妻ではないのでお力にはなれません」
「えっ、女房じゃねえの!? 別れたってなんで――ああー、あいつ、なんか女心分からなさそうだもんな。愛想尽きるよな」

「違います! 私の方が離縁されたのです」
「うっそ! あんたがされた方? あっちの方が別れた女房にじめっと陰からつきまといそうな感じなのに」

「だから、よく知りもしないのに月白様に変な印象を持つのは止めて下さい! 月白様はいい方ですよ!」
「いいヤツなら、ついてるあだ名が『白い死神』とか『赤い白狐』なわけないと思う」

「なんですかその物騒なあだ名」

 十和は元夫の妖怪界隈での立ち位置が心配になった。

「まあ、なんにせよ。オイラ、誰かの下につくなら月白の旦那しかないと思ってるからさあ。
 更生させたかったら、取りなしてくれよ奥さん」
「奥さんではなく。十和です」

 久礼は括りつけられた木の幹に背をあずけ、どっかりと座りこむ。白い腹毛をさらしてくつろぐ姿は、完全に十和を侮っていた。

「なんかツテねーの? あんたの古巣だから知り合いの一人や二人いるだろ?」
「いるにはいますけど……。久礼さんを門前払いなさったの、赤城さんという方では?」
「そう。ヌシ代理だぜ。すっげー、やっぱ頼りがいのあるツテもってんじゃん」

 久礼は拍手をまねて前脚を叩き合わせた。

「なー、御殿についてきて一緒に頼んでくれよー」
「でも、私は半分追い出されたような身ですので……」

 十和が悩んでいると、それまで静観していた旭が動いた。弓と矢を持ち出す。

「旭おばさま、何を?」
「いやもう面倒だし。態度でかいし。更生の兆しもなさそうだし。祓って毛皮にして売ろうかと」

 十和の叔母はわりと短気で容赦がなかった。

「ぎゃー! 妖怪虐待!」
「なんとか頼んでみますので! 待って!」

 旭に弓を下ろさせると、十和は木に括りつけられた久礼の縄をほどいた。

「久礼さん、あんまり期待はしないでくださいね。
 おばさま、戻りは明日になるかもしれません。よろしくお願いします」
「一人で大丈夫か?」

「一人の方が良いかと思いまして。向こうに警戒されたくないので」
「分かった。備えは万全にな」

 狐姿の久礼を連れ、十和は神社を出発した。
 妖狐たちの住まう御殿は神社からかなり遠いが、妖怪育ちの十和は近道を知っている。おぼろな記憶を掘り起こし、日暮れ前に到着した。

(……入れてもらえるかしら)

 御殿の門が見えてくると、十和は不安でみぞおちの辺りが重くなった。冷たく追い返される場面を想像して、足が萎える。

(やっぱり来なければよかった)

 ひそかに後悔しはじめたところで、門から大柄な男性が飛び出てきた。

「十和ちゃーんっ! 十和ちゃん十和ちゃん十和ちゃん!」

 はでな柄の着物に、高いところで一つに括った長い赤毛。赤城だ。走り寄ってくると、十和を力いっぱい抱きしめてくる。相変わらず胸板が厚い。

「よかった、幻じゃない。十和ちゃんだわ! いやーん、久しぶり! 元気にしてた?」

 両手で顔を挟まれる。十和は目の端に涙が浮かんだ。

「赤城さんもお変わりなくて、よかったです」

 感動の再会を終えると、赤城は十和を頭のてっぺんから足の先までながめた。白衣に緋袴という巫女装束を、感慨深そうにする。

「本当に巫女修行してるのね。月白のいってた通り」
「……事情は、お聞きに?」
「……ええ。びっくりしたけど。納得はしたわ」

 赤城は十和を御殿の方へ促した。

「もー、心配してたのよ。本当の肉親が見つかったのは良かったと思ったけど、肉親だからといって仲良く暮らしていけるかは別問題でしょ?
 でも、月白は十和ちゃんの様子を絶対観に行くなっていうから」

 門をくぐろうとしていた十和は、足を止めた。

「やっぱり私がここに来るのはいけないことでしたか?」
「十和ちゃんの方から来るのはいいんじゃない?
 月白は、アタシたちが十和ちゃんの周りをうろうろして、十和ちゃんに狐憑きってうわさが立つのを心配してのことみたいだから」

 十和は安心して門をくぐった。御殿は建物自体は変わりないが、働いている顔ぶれは少し変わっていた。

「豊乃と吉乃はいなくなったわ。天遊様の一門は残らず」

 ぽそりと、赤城が後日談をこぼす。

「あいつには度肝抜かれっぱなしよ。天遊様を救出に行ったはずが、討ち取って戻ってくるんだから。
 おまけに帰ってくるなり、御殿の制圧に出陣。アタシたちも巻きこんでね」

 十和たちが客間に入ると、酔星が十和に座布団を出してきた。その時の思い出を、拳を握って語る。

「ひどいっスよ、あの人。天遊様が討たれるなんて、俺らにとっちゃ天地がひっくり返るようなことだったんスよ?
 なのに、出陣命令に戸惑ってたら『早く行け。でないと反逆者とみなす』って牙剥いてきて……」

「後ろから追い立ててくるんですよう。すっごく怖かったですう。月白様、前職は地獄の獄卒だったんじゃないですか? 十和様、聞いてません?」

  お茶を運んできた千代はさめざめと泣く。
 こちらはこちらで大変だったらしい。その代わり今は御殿住まいで出世しているようだが。

「まあ、月白の行動自体は大正解だったと思うけどね。もたもた行動してたら、今ごろ豊乃と泥沼の争いを繰り広げていたかもしれないもの。
 迅速果断。あいつ、やっぱ修羅場を数々経験しているだけあるわ」

 赤城は前髪をかき上げ、十和のとなりに目をやった。

「ところで、そっちの野狐は?」
「ここの仲間になりたいそうなんですけど」

「入れてくれよー、オカマー」
「失礼ね! アタシはオカマじゃなくて、仕草や趣味が女っぽいだけのふつうの男よ!」

 赤城は久礼の頭をはたいた。

「あんた、いつかの礼儀のなってない悪ガキね。
 入りたかったら、まずはその態度と言葉遣いを改めなさいっていってるでしょ!」
「アンタじゃ話になんねえな。月白の旦那に会わせてくれよ。知り合いなんだ。直談判する」

 疑いの眼を向ける赤城に、十和はうなずいてみせた。仲がいいかどうかは別として、久礼と月白に面識があるのは嘘ではない。

「直談判は難しいわよ。月白はふだんこの御殿にいないから。どこにいるかはアタシも知らないし」
「居ないって……ヌシですよね?」
「ヌシなんだけどね。ヌシになった後は全部アタシに丸投げして隠居してやがるわ」

 赤城は苛立たしげにため息を吐いた。

「一応、何かあったときは来るっていって、見張りを置いていってるけど」

 赤城が両手を打ち鳴らすと、水干姿の少年が現われた。月白に似て髪も肌も白く、端正な顔立ちをしていた。十和を見て控えめに笑む。

「雪白ちゃん! 大きくなりましたね」
「月白のやつ、今や九尾だもの」

 月白は望んでもいないのにとうとう妖狐の最高位まで上り詰めてしまったらしい。
 十和は苦笑し、霊力で作られた月白の分身に頼んだ。

「ヌシ様に会わせていただけませんか?」

 作り手と違い、子狐は表情豊かだった。困り顔になる。謝るように頭を下げてきた。

「十和ちゃんが頼んでもダメ、か。本当に何か起きないと来ないのね、あいつ」
「何か……起こしてもよろしいですか?」

 十和はふところから魔封じのお札を取り出した。
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