盟約の花婿─魔法使いは黒獅子に嫁ぐ─

沖弉 えぬ

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「魔法使いは黒獅子に嫁ぐ」前編

2カルディア王子の務め

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 西の果てにイーヴという名の大陸があった。古代イーヴには十数の国が存在していたが、長い戦の歴史の中で国はやがて四つに分かれてまとまっていく。
 一つは魔法国家〈フォトス魔法国〉最も歴史が古く、先史時代からイーヴ大陸に暮らしてきた先住民族と言われている。魔法の不思議な力は他の国の人々に夢を見させるのか、何度かその領有権を巡って戦乱に巻き込まれている。古くは神の御座おわす土地、或いは神の使徒の暮らす国と思われていた時代があり、戦禍が森に及び開国に至るまでは謎に包まれた神秘の土地であった。
 一つは亜獣人国家〈シリオ武獣国〉大陸の南半島に位置し、沿岸部と内陸部で気候も大きく異なれば、暮らしている種族もまた様々である。国を宣言してからの歴史が浅く、現在の王は獅子族より選ばれる。
 残りの二つは文明国家を自称する〈クリーノス王国〉と〈トリンタフィーロ公国〉両国の特徴は魔法使いでも亜獣人でもない人間種が治める国である他、鉄を代表とする金属の加工技術が大きく発達している事である。フォトス魔法国より輸入した魔法燃料を用いてさまざまな開発を行っている科学の国とも言える。
 次に各国の元首について。
 フォトス魔法国の国王の名は『フローガ・フォトス』で──。
「ふ、ああ~……」
「おやカルディア様、随分大きな欠伸を召されましたなぁ」
 ふっふっと小さくて丸っこい体を揺らして笑う老爺はフォトスの王子たちの教育係で名をイエルノという。イエルノは今のフォトス魔法国内で最高齢の男性Ωで、長らく王家に仕えてきた人だ。
 物知りで穏やかな性格をしているが、春の木漏れ日のような温かな性格が語りにも出てしまってどうもいけない。まるで寝物語を聞かされているような気分になって、今日はとうとう欠伸を漏らしてしまった。
「ごめんイエルノ。今日はもう駄目かも」
「では、お次はシリオ亜獣人語をおやりになりますかな?」
「うん、そうしよう」
 他言語の学習なら口を動かすので眠くなる事はない。そうしようと頷きながらもしかし、カルディアの気分は全く上向かなかった。
 どうして、という気持ちがずっと根っこから消えていかないのだ。
 どうして他の国の言葉を話さなくちゃいけないんだろう。どうして大陸史なんて知らなくちゃいけないんだろう。
 どうして、僕はΩの次男に生まれてしまったんだろう──。
 そんな風に考えてしまうせいでいつだって学習には身が入らない。それでもイエルノはカルディアを叱る事はなかった。父母も兄姉もカルディアの立場を憂えて幼い頃から好きにさせてくれた。
 末の妹が産まれる十三歳まで末っ子で周囲から甘やかされてきたカルディアはそれはもう自由奔放に育った。好きなものは欲しいだけ与えられるし、嫌いなものは遠ざけても怒られない。少しのわがままならみんな笑って許してくれたし、日常で不快だと思う機会が極端に少ない生活だった。
 そんな中で絶対に逃げられないものが学習の時間だ。「王子たるもの教養高くあれ」という矜持のためではなく、カルディアは必ず外の世界の事柄を知る必要があるからだった。
 勉強は退屈だったが十三歳になって妹が生まれると、カルディアは勉強に対して文句を言わなくなった。実際には大いに文句はあったので心の中に封じ込めただけなのだが。
 兄として妹を守れるよう一人前にならなくてはならない。そんな意識が芽生えてからは、まっさらだったノートが少しずつインクで黒くなっていき、イエルノが話すシリオ語を聞き取って言葉を返す事が出来るようになっていった。
 何だかひとつ大人になれたような気がする一方で、刻一刻と迫る〈婚礼の儀〉を思うと鉛を抱え込んだようにずっしりと気が重たくなった。
 そう、カルディアは間もなく結婚する事が決まっている。相手は亜獣人国家であるシリオ武獣国の若き年上の王子だ。だからイーヴ大陸史や亜獣人の言葉が分からなくては今後困る事になるのは自分なのだ。そう頭では理解していても、心が追い付いてこなかった。
 カルディアの結婚は所謂政略的なものではあるが、フォトス魔法国にとってのメリットは無きに等しい。形式上は国際結婚だがその中身は『人質の献上』と言って過不足無い。
 カルディアは魔法具の婿入り道具と共にシリオ武獣国に技術者として送られる──表向きは。その内実は「どうか我が国を攻めないで下さい」と平にお願いするために、αアルファβベータでもなく長男でも長女でもない王子或いは王女が嫁がされるのである。
 歴史や語学への意欲は低い一方で、カルディアは魔法訓練や魔法に関する学習は好きだった。フォトスの森に溢れる〈ディナミ魔力〉を感じながら森の中を魔法で駆け抜けたり、或いは魔法具の使い方を覚えて実践してみたり。魔法にまつわるものなら何でも好きだった。
 しかし結局のところ、将来の事を考えて暗くなるカルディアの心を真に晴らせるものはない。いっその事魔法すらも学びたくないと思えたら諦めがついたのだろう。そうしたら故国への未練も断ち切れたのかも知れない。
「──さてカルディア王子、今日はこの辺りにしましょう」
 シリオ語の学習時間なのでイエルノは最後までシリオ語で話す。それに多少舌を縺れさせながらも「分かったよイエルノ。今日もありがとう」と答えると、イエルノは目の皺を更に深くさせて優しく笑った。
 教本を閉じると、イエルノの目元から俄に笑顔が消えていく。
「寂しゅうなりますな、カルディア様」
 フォトス語に戻っている。おかげで彼の感情も分かりやすい。
「そんな顔しないでイエルノ。僕まで悲しくなってしまう」
 使い込んだ教本を持つイエルノのしわしわの手に手を重ねる。痩せて皮ばかりの手は妹の丸くて柔らかい手とは全然違っていた。イエルノの生きてきた長い時間が、その手には刻まれている。
「ねぇイエルノ。イエルノはどうして教育係になったの?」
「はて、私の経歴に興味がおありですかな?」
「うん、教えて欲しい」
 普段ならしないような質問をしたので些か驚かせたようだ。虚を衝かれた顔で瞬いてから、その表情に郷愁を浮かべる。
「先々代に目を掛けて頂いたので御座いますよ。昔の私はただの村夫子でした。塾を開こうにも先立つものは無く、配偶者もなく、近所の者が頼りに来るのを少しばかり助言して助ける。その見返りでどうにか暮らしていけるような有様で御座いました」
 カルディアは広げた左の手の平に陶器のポットを、右にはカップとソーサーをポンッと魔法で出現させて机に置くと紅茶を入れる。それからシュガーポットとミルクピッチャーを揃えてティースプーンをソーサーの上に出して「どうぞ」とイエルノに向かって笑いかけた。
 恐縮したように肩を上げたイエルノだったが、カルディアの厚意を無駄にするような人ではない。たった今までカルディアが座っていた椅子を譲ると、イエルノが「ありがとう坊ちゃま」とカルディアがまだ幼かった頃の呼び方をしたので、上手く彼の心を解せたようだ。
「魔法は目覚ましい成長を遂げられましたな」
 カルディアが小さかった頃を思い出したのか、紅茶をゆっくりと飲みながら、ほ、ほ、と声に出して笑う。生まれ持った豊富なディナミ魔力に翻弄されてバンニの木を複数本まとめて風の魔法で薙ぎ倒したのは五歳か六歳の頃だった。空を飛ぶのに失敗して泉に頭から落ちた事もある。どれもカルディアにとってはほとんど事故のようなもので出来れば消し去りたい失敗である。
「やめてよ、もう子供じゃない」
「これは申し訳ございません。爺やにはあの頃のふくふくと愛らしく笑う坊ちゃまがほんにかわゆうて仕方がなかったのです」
「まぁ、僕は可愛いからね。それは紛れもない事実さ」
「ほっほっ」
 カルディアの可愛いは容姿の事を指し、イエルノの可愛いは仕草を指していると分かっているが、そうでも言っておかないと顔が赤くなりそうだったのだ。
 つんと胸を反らすカルディアを見て笑うイエルノは随分と歳を取ったように見える。その分カルディアも大人になった。
 歳は間もなく十九を迎える。昨年の十八歳の誕生日に〈エニリキオシス成人式〉を終えたのでカルディアはもう立派な大人としてみなされる。けれど、カルディアは今後この国のために魔法で貢献し続ける事は叶わない。
 フォトスの民に恒久の安寧をもたらす事が王族としての務めだというのに、カルディアにはそうする事が出来ない。
(いや、ある意味で僕の結婚はフォトスを守る事に繋がるんだ)
 ふと会話が止まっていた事に気付いてイエルノを見ると、憐れむようなイエルノの視線がそこにあった。そんな風に見られる事はこれまでに何度もあったが終ぞ慣れる事はなかった。何を言ったら良いか分からず、勝手に苦笑が頬に張り付く。
「もし、もしも、坊ちゃまがどうしてもお辛くなられたなら、国に戻──」
「帰らない。帰らないよ、僕。ねぇイエルノ。それだけは許されないんだ。だからどうか僕を惑わせるような事を言うのはやめてくれ」
 老爺の枯れ木のような体が弱々しく震え始める。イエルノは顔を覆い泣いていた。こんなにも親身になってくれるイエルノの事を幼かったカルディアが慕わずにおれるだろうか。今だって大切な家族のように思っている。だけどどうしてだろう、イエルノの涙する姿を見ても、カルディアの目に涙が浮かぶ事はない。
 家族と会えなくなる事、国に帰れなくなる事。そして人生をかけても良いと思えるほどにのめり込んだ魔法を二度と使えなくなる事。それらの実感が今ひとつ湧かないからだろう。
 心から結婚は嫌だと思う一方で、たった今ティーポットを取り出してみせた魔法も、武獣国ではわざわざ置いてあるところまで歩いて取りに行かなくてはならない。そんな生活が全く想像出来ないでいた。




「お兄さま~!」
「ああリルディ、慌てちゃ駄目だ。転んでしまうよ」
 イエルノを見送るために自室から廊下に出ると今年六歳になったばかりの妹のリルディが、にこにこと笑顔いっぱいで駆けてくる。カルディアが屈んでぱっと腕を広げるとその胸に遠慮なく飛び込んでくるので「うっ」と呻いて踏ん張った。
「また大きくなった。もうすぐ抱っこが出来なくなってしまいそうだね」
「せいちょうき、リルディは、せいちょうきなんです!」
 いかにも受け売りらしい口調で得意気になるリルディは無邪気で愛らしい。フォトス王家の正真正銘の末っ子は、みんなに愛され伸び伸びと育っている。
 イエルノが昔のカルディアを懐かしむ気持ちは、カルディアにもよく分かる。産まれたての真っ赤でしわしわだった小さなリルディが元気に育っていく様を間近で見てきたのだから。しかしそれももうあと幾日過ぎれば、妹の成長も見納めである。
「イエルノ、こんにちは!」
「はい、こんにちは、リルディ姫様」
「お兄さま、ニーマが来てるよ!」
「ニーマが?」
「うん!」
 なるほどそれでリルディはご機嫌だったのだ。
 ニーマはカルディアの乳兄弟で同い年の従兄弟だ。ニーマは親より兄弟よりとにかくニーマに一等懐いており、ニーマが城に訪ねて来ると必ずカルディアを呼んで遊びたがった。
 カルディアはまだ腕にしっかりと収まる幼い妹を腕に抱え上げて階段を降り始める。
 フォトス国のシンボルであるフォトス城は樹齢七千年を超える巨木〈バンニの大木〉をくり抜き、塔のようにしてそびえ立つ大樹の城だ。各階を繋ぐのは木製の階段で、奇数階の階段は屋外に張り出している。
 カルディアの部屋は三階にあり、足元が覚束ないリルディが外階段を駆け上がり踊り場を走る光景はひやひやものだ。彼女のやんちゃぶりはカルディアの幼かった頃にそっくりだとよく両親に言われた事を、吹きさらしの外階段を見て思い出す。
 自分で歩きたがるリルディに「兄様に抱っこさせて?」とお願いすると、しょげた顔して「仕方がありませんね」と大人のような口調でカルディアの首に抱き着いた。そういう年頃というやつなのだろう。ふわりと香る甘いような子供の匂いに思わず笑みが漏れる。
 リルディを片腕で抱え直しながら、改めて彼女の言っていた事を思い返しカルディアは首をひねる。ニーマはどうして城に来たのだろう。
 ニーマは城に来ると大抵カルディアの部屋に直接来るか、そうでなければその日採ってきた果物や鳥などを食堂に持っていくので今向かうべきは二階だ。蔦草の巻き付いた手摺りを掴みながら階段を降りて中に入ると、予想通り淡い金色の短髪の青年が大量の果物をカゴから下ろしているところに出会した。
「やぁカルディア王子。リルディ姫はちゃんとお兄様を呼べたね?」
 金髪の青年はカルディアたち兄妹に気付くと笑顔になって片手を上げた。
「リルディいい子!」
 リルディは母にそうしてもらうように自分で自分の頭を撫でる。今すぐ画家を呼んでその可愛らしいリルディの姿を描かせたいところだが、リルディはいっときもじっとしていられない性質なので下書きする度にポーズが変わってしまうだろう。
「ニーマ、先週ぶりだよね。何かあったの?」
「何だよ? その口ぶりだと俺はここに用がなくちゃ来ては駄目みたいだ」
「そんな事はないけど」
 ニーマはカルディアに向かって目配せをする。場所を変えようという合図だ。
 カルディアの腕から降ろしてもらったリルディは、テーブルの上からバンニの実を一つ手に取ってコック長に見せに行く。デザートの催促だ。人の良いコックなので、暫くはリルディの相手をしていてくれるだろう。
 バンニの木にる実は冬の終わりに青い実をつけ春から夏に変わる頃に拳大の黄色い実に育つ。仄かな酸味と砂糖要らずの甘さはデザートやパンに混ぜて焼くと美味しく食す事が出来た。他にも果実酒や煮込み料理の隠し味に使ったりと、フォトス人にとってバンニの実は身近で欠かせない食材の一つである。
「コック長、リルディにあげるバンニプリンは一つまででお願いね」
「はい、心得ておりますとも」
 一緒に二階まで降りてきていたイエルノが一階に向かって降りていくのを見送って、カルディアはニーマと共に外階段に出て元来た道を戻る。再び自分の部屋に帰ってくると、テーブルを挟んだ向かいに魔法で椅子を一脚出してやった。つい先日まで城で暮らしていたニーマにとってここは実家のようなものなので、イエルノのように彼が気後れする事はない。
「それで? 何があったの」
「やっぱり王子は俺が疎ましいんだな?」
「面倒な絡み方をしないで」
 ニーマは戯けた仕草で肩を竦めると、革の手袋をはめた両手を広げてテーブルの上に差し出した。一瞬その行動の意味するところが分からなかったがすぐにはっと気づいて眉を顰める。
「もう? 早くない?」
「そんな事もあるんだろうさ。何せ発症の原因が分からない病だからな」
 何でもない事のように言ってニーマはぐっと腕を伸ばして手を近付けてくる。横柄な病人の態度にカルディアはふうと嘆息しつつ、ニーマの手袋を外して彼の手の平に自身のそれを重ね合わせた。
 ニーマの病というのは先天性のものだ。彼は魔法使いの暮らす国に生まれながら、魔法が使えない病を患っている。自分の中で生成されるディナミ魔力を外に出せないのだ。
 何事も過ぎれば毒になるもので、発散出来ないまま体内にディナミを溜め続けるとやがては体調に異常を来してしまう。〈濃魔症オヒマギア〉と呼ばれるこの病、今のところ根治する方法は見つかっていない。対処療法として魔法が使える者が定期的にディナミを吸い取ってやる事で命を繋ぐのが現代魔法学の限界だった。
 そしてカルディアにとってもこの濃魔症オヒマギアは決して他人事ではなかった。
 魔法とはフォトス大森林という土地に起きる奇跡なのだと言われている。故に森を離れたらフォトス人魔法使いであっても魔法を使えなくなる。つまり亜獣人の国に嫁いでいくカルディアもまた濃魔症オヒマギアと同じ状態になる事は避けられないのだった。
 カルディアは身近に魔法を使わず育ってきた存在ニーマが居るというのに、婚儀を間近に控えた今になっても自身が魔法を使えなくなるという事がどうしてもよく分からないでいる。魔法が使えないという感覚もそうだし、結婚も森の外で暮らす自分というものも上手く想像出来ない。
 どう? と訊ねるようにニーマが指を曲げ伸ばししたおかげで、つい考え事をしてしまっていた自分に気付く。改めて治療に意識を集中させたがカルディアはすぐに首を傾げる事になった。
「……んー……?」
 いつものようにニーマからディナミを吸収してみたものの、カルディアは怪訝な顔でニーマを見つめる。
「そんなに濃度は上がってなかったけど……?」
 ニーマから流れてくるディナミの量は控えめだった。治療が必要だったとは思えない。
「あれー? おかしいなぁ。今朝がた立ちくらみがしたからそろそろかと思って来たんだけどなぁ」
「…………ニーマ?」
 カルディアがじっとりと睨みつけてやると、ニーマは観念したように舌を出す。「バレたか」
「立ちくらみしたくせにバンニの実を採りに行ったのなら、許さないところだった」
「わぁ、怖い」
 何と心のこもらない感想か。魔法は使えなくとも体格で勝るニーマには、カルディアなど恐るるに足らないのだろう。幼い時分、ニーマと喧嘩をすると取っ組み合いでは負けるので魔法を使って逃げ出すのはいつもカルディアの方だった。
「今日は休みを貰えたんだよ。仕事を始めて今日でちょうど半年だからね」
「半年……そんなに経つのか」
「そんなに経つんだなぁ、これが」
 ニーマはカルディアより半年早く生まれたので、彼は既に十九歳の誕生日を迎えている。
 フォトスでは十八歳になって〈エニリキオシス成人式〉を迎えると、それから一年間仕事を探す猶予を与えられる。一年後、十九歳になる日までに仕事を見つけられなかった者は晴れて魔法騎士団に入団だ。しかしほとんどの者は家業を継ぐので、騎士見習いになるのは全体のほんの少ししか居ない。
 フォトスは平和主義で中立国だ。太古より齎され続ける強靭な結界魔法によって森を守られ、武力はその保険に過ぎない。他の国を攻める事には決して行使する事はなかった。そもそも『国を一度でも出た人間は二度とフォトスの土地を踏む事能わず』という厳しい掟がフォトスには存在する上に、森を出たら魔法が使えなくなるので他国へ侵攻する事そのものが不可能である。
 国を守るためにある騎士団だが、残念ながらフォトス人は争いを好まないせいで戦になると及び腰になるのか、過去に度々攻め込まれては土地を割譲させられてきた忌まわしい歴史がある。二度と戦に巻き込まれないように、花婿生贄となってシリオへ嫁ぐのがカルディアの生涯で唯一果たすべき王子としての務めである。
(務め……まさか、ニーマは……)
 カルディアははっとしてニーマの顔を見た。
「仕事をクビになったんじゃあ……」
「違うよ! そうじゃないだろうカルディア王子~」
 やれやれと言いたげに首を左右に振るその仕草は何だか芝居がかっている。もともと身振り手振りも大きければ口も達者な男だが、それにしたって今日は何だかやけに絡むのである。
 うーんと唸って考えていると、「もう七日を切ってるんだよ、王子」とニーマが呟いた。
 今日から五日後、カルディアは十九歳を迎える。国のしきたりではいよいよ働かなくてはならない歳だ。尤も多くの国民たちは幼い頃から家の手伝いをしているので、ほとんどは十九歳という年齢を契機に仕事に就くという感覚はさほど身近ではない。あくまで魔法騎士の候補を招集するための仕組みに他ならなかった。
「仕事、か」
「そうだよ仕事だよ。だから来たのさ」
 手袋をつけ直しながら「言わせるなよなぁ」と漏らすニーマはどこか照れ臭そうに見える。
「それなのに、一度くらい城に顔を見せに来いとも言ってこない。寂しいじゃないか、カルディア王子」
 握った拳でトンと胸を軽く叩かれる。その瞬間、言い表せられない情動が胸の奥から溢れてきて言葉を返せなくなる。困ったように笑うのがやっとで、ニーマの拳をやんわりと退かすとニーマもまた困り顔で唇を伸ばすのだった。
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