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第二章
第二十ニ話 赤毛の男
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思い違いだと頭を数回横に振って邪念を取り払うと、玲は再び絵に集中することにした。しかしすぐにそれは破られる。
「画家さんかい?」
視界の端にスエードブーツが入ってきたのだった。玲が見上げると、近づいてきた男の正体は先ほどの男だった。カメラを携えて玲ににこりと笑うと、肩につくほどに伸びた赤茶の髪がふわりと揺れる。
「隣、座ってもいいかな」
「隣にですか?」
玲からの返答も待たずに男は足を庇いながらも、ひょこっと体の向きを変えた。怪我でもしているのだろうか。玲ははっとして咄嗟に手を貸そうかと思ったが、男は自由にならない足を気にしていない様子で身軽に隣へ座った。
「君は留学生?」
「は、はい、そうです」
「そうか。じゃあ絵の勉強をしにきたのかな?」
「い……いいえ」
「美術学校じゃないの?」
「経済学部です」
「あぁ、さてはセントアンドリュース大かな。優秀な留学生ほどそこに通っている」
男は緩やかにカールした髪を耳に掛けた。優秀だなどと言われ少しうれしい気持ちになってしまった玲は、つい微笑んでしまう。数正を支えるためにと猛勉強したのだ。見知らぬ人とは言え、褒められたようで嬉しかった。それが伝わったのか男はさらに言葉を続ける。
「私もそこの卒業さ」
「そうなのですか?」
「あぁ」
ゆっくりと落ちついた低音の口調、この人はアルファだ。冷たい風に乗って少しだがアルファの匂いが届く。玲は色鉛筆を握ったまま、無意識に首に巻かれたマフラーを触った。つい笑顔を見せてしまったが、ひゅっと息を飲んで色鉛筆を握る手に力か込もる。
──悪い人には見えないが警戒はしておかないと……。
「趣味だとしてもとても勉強したように見える」
「え……?」
「君の絵だよ」
男は笑った。
「これ、ですか……?」
玲は描きかけのはがきを見せた。
「うん。それでいて、こっちの人間にはないタッチがある」
「……というのは」
「東洋人というエッセンスだろうね、素敵だ」
こっちの人間とはスコットランド人のことだろうか。この人は絵に詳しいのだろうか。感心したようにはがきを覗き込んでくる男をちらりと盗み見ていると、ふいに目が合った。薄い緑色の瞳をしていた。
──とても美しい色だなぁ。
「君の目も美しい色をしているよ」
男はまるで玲の心の声が聞こえているかのように、こやかに答えたのだった。
「えっ!?」
「黒い瞳も神秘的だね、とても」
「ご、こめんなさい」
まさか、心が読めるのかと驚いた。玲は急いで視線を逸らした。一気に恥ずかしくなり俯いてつい出た言葉は謝罪だった。
「何故謝るんだ? 面白いなぁ」
「えっと…………」
男はクスクスと笑いを堪えている。その隣で、玲の脳内にはある出来事が浮かんでいた。
留学して数日のことであるが、講義を終えて長い廊下を歩いているときだった。
『どうかアルファを惑わすようなことはしてくれるなよ、アジアのオメガ』
すれ違いざまにそう言われたことがあった。声の方へ振り向くと三人の男が玲を見て笑っており、同じ参考書を手に持っているのだから同じ講義を受けている学生で間違いないだろうと玲は思った。
玲がどう返答すべきか考えていると『どうやら言葉が通じないらしい』と嘲笑うかのように続けざまに言われ、玲はぎゅっと手を握り拳を作った。
『言葉は分かっておりますが、その意味が理解できかねます』
玲が勇気をだしてそう返すと、途端男たちははっと口を閉じたのだった。ちょうどそこに直前で受けていた講義の教授が通りすがると、玲と男たちの間に立ったのだった。
『大勢でひとり相手に何をしておる。紳士たるもの、慎みたまえ』
そう一蹴したことで、男たちは悔しそうな顔をしながら去って行ったのだった。教授は何かあれば我慢せず職員や警備員を呼ぶようにと助言をくれ、玲は深く頭を下げた。
そんなことがあってから玲は、一層誰とも口を利かないようにしているのだった。そして首を守るようにマフラーやスカーフをするようになった。日本とは違いここでは『アルファとオメガ』という言葉を公然の場でも使う。日本よりあからさまな差別が横行している現実に、玲は自身の体は自身で守るしかないのだと自覚せざるを得なかった。そして、また自身で一体どう守らねばならないのかを悩むようになった。これまで日本という治安の良さと、一ノ瀬という名によって守られていたのだと痛感しているところだったのだ。
「オリエンタルなその瞳やその艶やかな髪は、本当に魅力的に映るよ」
甘い声にふと意識が戻される。
目の前の男を見ると、目を細め柔らかな表情を浮かべて玲を見つめていた。アジアではなくオリエンタルと呼称することにも、この男の知性を感じさせられる。それに緩やかな話し方や所作は紳士的である。玲が黙ったままでいると男は笑顔を保ちながらもついに戸惑うように眉を下げ、玲の髪を指先で掬った。
「そんなに見つめられると、お茶にでも誘いたくなる」
「画家さんかい?」
視界の端にスエードブーツが入ってきたのだった。玲が見上げると、近づいてきた男の正体は先ほどの男だった。カメラを携えて玲ににこりと笑うと、肩につくほどに伸びた赤茶の髪がふわりと揺れる。
「隣、座ってもいいかな」
「隣にですか?」
玲からの返答も待たずに男は足を庇いながらも、ひょこっと体の向きを変えた。怪我でもしているのだろうか。玲ははっとして咄嗟に手を貸そうかと思ったが、男は自由にならない足を気にしていない様子で身軽に隣へ座った。
「君は留学生?」
「は、はい、そうです」
「そうか。じゃあ絵の勉強をしにきたのかな?」
「い……いいえ」
「美術学校じゃないの?」
「経済学部です」
「あぁ、さてはセントアンドリュース大かな。優秀な留学生ほどそこに通っている」
男は緩やかにカールした髪を耳に掛けた。優秀だなどと言われ少しうれしい気持ちになってしまった玲は、つい微笑んでしまう。数正を支えるためにと猛勉強したのだ。見知らぬ人とは言え、褒められたようで嬉しかった。それが伝わったのか男はさらに言葉を続ける。
「私もそこの卒業さ」
「そうなのですか?」
「あぁ」
ゆっくりと落ちついた低音の口調、この人はアルファだ。冷たい風に乗って少しだがアルファの匂いが届く。玲は色鉛筆を握ったまま、無意識に首に巻かれたマフラーを触った。つい笑顔を見せてしまったが、ひゅっと息を飲んで色鉛筆を握る手に力か込もる。
──悪い人には見えないが警戒はしておかないと……。
「趣味だとしてもとても勉強したように見える」
「え……?」
「君の絵だよ」
男は笑った。
「これ、ですか……?」
玲は描きかけのはがきを見せた。
「うん。それでいて、こっちの人間にはないタッチがある」
「……というのは」
「東洋人というエッセンスだろうね、素敵だ」
こっちの人間とはスコットランド人のことだろうか。この人は絵に詳しいのだろうか。感心したようにはがきを覗き込んでくる男をちらりと盗み見ていると、ふいに目が合った。薄い緑色の瞳をしていた。
──とても美しい色だなぁ。
「君の目も美しい色をしているよ」
男はまるで玲の心の声が聞こえているかのように、こやかに答えたのだった。
「えっ!?」
「黒い瞳も神秘的だね、とても」
「ご、こめんなさい」
まさか、心が読めるのかと驚いた。玲は急いで視線を逸らした。一気に恥ずかしくなり俯いてつい出た言葉は謝罪だった。
「何故謝るんだ? 面白いなぁ」
「えっと…………」
男はクスクスと笑いを堪えている。その隣で、玲の脳内にはある出来事が浮かんでいた。
留学して数日のことであるが、講義を終えて長い廊下を歩いているときだった。
『どうかアルファを惑わすようなことはしてくれるなよ、アジアのオメガ』
すれ違いざまにそう言われたことがあった。声の方へ振り向くと三人の男が玲を見て笑っており、同じ参考書を手に持っているのだから同じ講義を受けている学生で間違いないだろうと玲は思った。
玲がどう返答すべきか考えていると『どうやら言葉が通じないらしい』と嘲笑うかのように続けざまに言われ、玲はぎゅっと手を握り拳を作った。
『言葉は分かっておりますが、その意味が理解できかねます』
玲が勇気をだしてそう返すと、途端男たちははっと口を閉じたのだった。ちょうどそこに直前で受けていた講義の教授が通りすがると、玲と男たちの間に立ったのだった。
『大勢でひとり相手に何をしておる。紳士たるもの、慎みたまえ』
そう一蹴したことで、男たちは悔しそうな顔をしながら去って行ったのだった。教授は何かあれば我慢せず職員や警備員を呼ぶようにと助言をくれ、玲は深く頭を下げた。
そんなことがあってから玲は、一層誰とも口を利かないようにしているのだった。そして首を守るようにマフラーやスカーフをするようになった。日本とは違いここでは『アルファとオメガ』という言葉を公然の場でも使う。日本よりあからさまな差別が横行している現実に、玲は自身の体は自身で守るしかないのだと自覚せざるを得なかった。そして、また自身で一体どう守らねばならないのかを悩むようになった。これまで日本という治安の良さと、一ノ瀬という名によって守られていたのだと痛感しているところだったのだ。
「オリエンタルなその瞳やその艶やかな髪は、本当に魅力的に映るよ」
甘い声にふと意識が戻される。
目の前の男を見ると、目を細め柔らかな表情を浮かべて玲を見つめていた。アジアではなくオリエンタルと呼称することにも、この男の知性を感じさせられる。それに緩やかな話し方や所作は紳士的である。玲が黙ったままでいると男は笑顔を保ちながらもついに戸惑うように眉を下げ、玲の髪を指先で掬った。
「そんなに見つめられると、お茶にでも誘いたくなる」
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