ナース服の中の僕・続編:そして、私になる

なな

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第四章 梨乃との再会、そして再確認

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 その日は、なんとなく鏡の前に立って、自分の髪をいじっていた。

 ずっとウィッグの下に隠していた地毛が、思ったよりも伸びてきていた。
 耳の下まで来ていた髪は、毛先がゆるく跳ねて、なんとなく“作られていない私”を思わせた。

 私は、それを見つめながら考えていた。

 ――そろそろ、この髪も、“私”として整えてあげたい。

 

 美容室の予約を入れたのは、その日の午後だった。

 行きつけのサロンではない。
 でも、女の子としてちゃんと扱ってくれそうな、レビューの中に「トランス女性も安心でした」と書かれていた小さな店だった。

 

「いらっしゃいませ。お名前は……悠真さんですね?」

 笑顔で出迎えてくれたのは、30代くらいの女性美容師だった。
 ショートボブの髪型が、彼女の表情をとても柔らかく見せていた。

「今日は、どんなふうに?」

「……女の子っぽく見える感じに、してみたくて」

「うん、いいですね。今、肩につくくらいありますし、顔立ちも柔らかいから、整えるだけで雰囲気変わると思いますよ」

 “女の子っぽく”という言葉に、彼女が少しも戸惑わず、
 ただ一人の“お客さん”として扱ってくれていることが、胸にじんと染みた。

 

「髪、カラーしてもいいですか?」

「はい。明るすぎなければ、仕事も大丈夫なので……」

「じゃあ、ナチュラル系で透明感出しましょう。あと少しだけレイヤー入れて、首筋をきれいに見せる感じに」

「……お願いします」

 

 シャンプー台で目を閉じる。
 お湯の温かさ、指先のリズム、流れていく泡。

 その全部が、なぜか“許された気がする”ほど心地よかった。

 

「髪、すごく素直に伸びてますね。大事にしてるの、伝わってきます」

「……はい。ずっと、隠してたけど」

「うん。きっと、出すタイミングだったんですよ」

 

 ドライヤーの風が、軽く肩をなでたとき。
 鏡の中で、前髪がふわりと落ち、頬に触れる。

 ふわっとレイヤーの入った丸みのあるボブ。

 首筋がすっきりと見えるように整えられたその髪型は、
 “ウィッグの下の私”ではなかった。

 ちゃんと、**“自分の身体でできた女の子の私”**だった。

 

「……どうかな」

「すごく自然。ちゃんと、“女の子”に見えますよ」

 美容師さんがそう言って微笑んでくれたとき、
 私は心の底から、嬉しかった。

 

 駅前のガラスに映った自分の姿を、帰り道にふと見た。

 ウィッグじゃない、素の自分の髪が風になびいている。
 頬にかかる前髪。動くたび揺れるサイドの毛先。
 それがすべて、“女の子らしさ”に自然に繋がっていた。

 

 私は、鏡越しに微笑んだ。

 ――ちゃんと、私の髪で、私を作れた。

 もうすぐ、梨乃にも会える。
 その前に、“ウィッグじゃない私”を見せてあげたい。

 

 そう思うと、胸がすっと軽くなっていった。




 午後、待ち合わせのカフェには、先に梨乃が来ていた。

 ガラス越しに見える彼女の後ろ姿に、一瞬だけ足が止まった。
 でも、私は一歩ずつ近づいていく。

 前髪が視界に揺れる。髪の重さが肩にふれる。

 その“全部が、自分の髪”だと思うと、少しだけ誇らしくなった。

 

「悠真……?」

 梨乃が気づき、こちらを向いた。
 その目が、ほんの一瞬、大きく見開かれた。

「えっ、髪……地毛、だよね? 切ったの?」

「うん……今日、行ってきたばかり」

 

 梨乃は、息をのんだような顔のまま、私をじっと見つめた。

 それから、少しだけ笑って言った。

「すごい。……いや、ほんとに、ちゃんと女の子にしか見えない」

「……ありがとう。私も、そう思いたかった」

 

 テーブルを挟んで向かい合う。

 前よりも、ずっと“等しい立場”で話している気がした。
 彼女が昔から変わらずいてくれること。
 そして、私が“この姿”で、ようやく隣に立てるようになったこと。

 それが、胸の奥にじんと沁みていた。

 

「変わったね、悠真。……いや、きっと“戻ってきた”のかな、って感じ」

「戻ってきた?」

「うん。最初に会ったときから、“こういう子”だったのかもって思う。
 ただ、ずっと見えないようにしてただけで」

 

 私は、カップを両手で包み込んだ。

 その言葉は、なぜだか涙が出そうなほど嬉しかった。

「……ちょっと寂しい、って思ったりする?」

 問い返すと、梨乃はすこし目を伏せて、静かに言った。

「……ほんのちょっと、ね。
 前までは私だけが“知ってる悠真”だった気がしてたから」

 

 でも――と、彼女は笑った。

「でも、こうして目の前にいるのが、“あなた自身”だって分かる。
 それがいちばん嬉しいの。……ほんとに」

 

 ふたりで並んで駅まで歩く帰り道。

 私はふと、自分の髪の毛先を指先でつまんでみた。

 それは、私の決断で伸ばし、切り揃え、染めた髪。

 この髪で、私は“女の子として誰かに会いたい”と思えた。
 この髪で、“親友の隣に立ちたい”と思えた。

 

 “私であること”に、もう誰の許可もいらない。

 それでも、こうして「よかったね」と言ってくれる人がいる。
 それは、どんな肯定よりも優しくて、あたたかい。

 

 春風が、髪をすくい上げた。

 揺れるその感触さえ、もう私は愛しく思っていた。
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