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第九章 社会のなかで、見られるということ
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駅前のビル。
午前九時のエレベーター前は、化粧を整えた女性たちと、襟元を正した男性たちでごった返していた。
私は、その中に、溶け込んでいた。
白いブラウス、くすみピンクのフレアスカート、グレーのストッキング。
髪は自然に揺れるストレート。耳元には、ほんの小さなシルバーのピアス。
何度も鏡を見直してきた朝だった。
けれど、それでも――人ごみに混ざると、自分の輪郭が曖昧になる。
「悠ちゃん、おはよう」
休憩室で制服に着替えていると、先輩の看護師が声をかけてくれる。
私は白衣の上にカーディガンを羽織り、鏡の前で襟元を直した。
「今日のメイク、ナチュラルで可愛いじゃん。どこのファンデ?」
「あ……梨乃に借りたやつで……」
笑ってごまかす。
でも、その会話の中で、私は“ちゃんと女の子として見られている”ことを感じていた。
昼休み。
休憩室の隅で、一人、スマホを見ていたとき。
ふと、別のスタッフのふたりの話し声が耳に入った。
「……ねえ、あの子、もしかして男の子だったって話、ほんと?」
「え? ああ……そういう噂あるよね。でも、ぜんっぜん見えないよね。声も綺麗だし」
「だよね。私より女っぽくてちょっと悔しいくらいだし」
心臓が、ひとつ大きく跳ねた。
すぐに背中を向けて、スマホに視線を落とした。
けれど、画面はもう、目に入っていなかった。
――気づかれている。でも、拒まれてはいない。
その事実は、なぜだか、嬉しさと怖さのあいだにあった。
午後の休憩、年上の看護師が私にお茶を淹れてくれた。
「悠ちゃん、ちょっと聞いてもいい?」
「はい……」
「私ね、最初、君のこと“すごく女の子らしい”って思ってたの。
でも、最近になって、他の人から聞いて――ちょっと驚いた」
私は、一瞬呼吸を止めた。
でも、その人は、続けた。
「でもね、それで見方が変わったわけじゃない。
むしろ、“ちゃんと自分で選んでる”って思ったの。……それって、すごくかっこいいことよ」
私は、小さく頷いた。
言葉にできないくらい、胸が熱くなっていた。
家に帰って、クレンジングでメイクを落とす。
顔に残るピンクの唇をティッシュでぬぐいながら、
私は鏡の中の自分をじっと見た。
たしかに私は“女の子ではない”かもしれない。
だけど、“女の子として振る舞いたい私”は、本物だ。
――見られるということは、怖い。
でも、それは同時に、“受け入れられる余地がある”ということでもある。
私は、それを少しずつ知り始めている。
枕元に置いたポーチの中で、いつものローズベージュの口紅がきらりと光る。
“見せたい私”がいること。
それは、自分を信じることの第一歩なのかもしれない。
午前九時のエレベーター前は、化粧を整えた女性たちと、襟元を正した男性たちでごった返していた。
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けれど、それでも――人ごみに混ざると、自分の輪郭が曖昧になる。
「悠ちゃん、おはよう」
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「今日のメイク、ナチュラルで可愛いじゃん。どこのファンデ?」
「あ……梨乃に借りたやつで……」
笑ってごまかす。
でも、その会話の中で、私は“ちゃんと女の子として見られている”ことを感じていた。
昼休み。
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ふと、別のスタッフのふたりの話し声が耳に入った。
「……ねえ、あの子、もしかして男の子だったって話、ほんと?」
「え? ああ……そういう噂あるよね。でも、ぜんっぜん見えないよね。声も綺麗だし」
「だよね。私より女っぽくてちょっと悔しいくらいだし」
心臓が、ひとつ大きく跳ねた。
すぐに背中を向けて、スマホに視線を落とした。
けれど、画面はもう、目に入っていなかった。
――気づかれている。でも、拒まれてはいない。
その事実は、なぜだか、嬉しさと怖さのあいだにあった。
午後の休憩、年上の看護師が私にお茶を淹れてくれた。
「悠ちゃん、ちょっと聞いてもいい?」
「はい……」
「私ね、最初、君のこと“すごく女の子らしい”って思ってたの。
でも、最近になって、他の人から聞いて――ちょっと驚いた」
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でも、その人は、続けた。
「でもね、それで見方が変わったわけじゃない。
むしろ、“ちゃんと自分で選んでる”って思ったの。……それって、すごくかっこいいことよ」
私は、小さく頷いた。
言葉にできないくらい、胸が熱くなっていた。
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