金玉獣遊記(きんぎょくじゅうゆうき)

松田夕記子

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第二章 子授けの薬を探すの巻

47 申陽と肝油は犬猿の仲のこと

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 申陽は、己の金玉に対する行いを深く恥じていた。
 
 ――金玉には、もう私のことを忘れてもらおう。そして肝油と幸せになってくれ。
 そんな殊勝しゅしょうなことを思っていたが、やはり肝油を見ると一発殴りたくなってしまった。
 
 ――何かがおかしい……今までの展開で、金玉がこいつに急に惚れ込むようなところがあったか?――いや、ないだろう。常識的にいって。

「さあ、剣をとれよ」
 肝油が剣をつきつけていった。

「おまえなぞ、素手で十分だ」
 申陽はひしゃくを投げ捨て、桶をわきへ押しやった。
 実際、人間相手に負ける気はしなかった。

「へっ、もうおまえに勝ち目はないんだよ。
 金玉の初めてはおれだってことは、くつがえらないんだからな」

 肝油は、申陽を苛立たせるようなことをわざわざいう。

「おまえは金玉の素顔を何も知らないんだ。おれに必死にしがみつく姿、その時の甘い声、欲望にぬれた瞳……」

 ――こいつ絶対殺す、そう思った時だった。

「ぼく、そんなことしていないよ!」
 金玉の悲痛……ではないが、恥じらいのこもった叫びが聞こえてきた。

「金玉……だが、おまえから誘ったといったではないか?」
「え、ええっと、それはその、二人がケンカしないようにって……」

 ――そうか、そうだったのか!
 金玉が肝油とやったかどうかはともかく、金玉から誘ったのではないということに、申陽は曇天から陽の光がさしこむかのような思いであった。

「おらっ!」
 肝油の剣が、眼前にひらめいた――よそ見していたのだから、当然である。あわてて腕で受けとめた。

「なんだ、切れねえぞ」
「そんなもの、私には効かぬわ!」
 ふだんは人間ぶって過ごしているが、やはり化け猿の子孫であった。
 その肌は鋼のように固く、ふつうの刃物など通さないのである。

「ハハハ、見たか。その力。やれい、白猿怪人ッ!」
 李狷が遠くから命令してくる。

「おまえはもう金玉からフラれてるんだ。あきらめたらどうだ?」
 肝油が不敵に笑った。

 確かにその通りである……だが!
 
「略奪というジャンルがあるだろうが!」
「うるせえな。化け物に金玉を満足させられるもんか」

「おや、そうか? 人間の貧弱なモノに負けるとは思えないが?」
「大事なのは固さだろうが!」
 肝油はなぜか必死になって言い返した。 

「もうっ、やめてよ、二人とも!」
 金玉は下品な舌戦をやめさせようと必死に叫ぶが、その声は届いていないようだった。

「争うがいい……私の計画通りだ」
 李狷はにやにや笑っている。

「李狷さんは天界のお役人なんでしょう? どうしてこんなひどいことをするんだよ!」

「きさまにはわからぬのだ」
 李狷は意味もなく、金玉のおとがいに手をかけた。

 いや、意味はあった。
 李狷もまた男色家なのだから……。

「そもそも、桃林の管理人なんて、閑職中の閑職……ボケかけた老人がする職だ。
 私は神農しんのうさまにお仕えしていたんだぞ。
 天帝だの西王母だの、ポッと出の成金新興勢力のくせに!
 さも、昔からいましたみたいな顔しやがって。
 神農さまが生きておられたら、こんなことにはならなかったのに……」

 神農とは、歴史の最初期に登場した、農耕と医療の神さまだ。
 民衆のためにいろいろな食べ物を毒見して、最後はとうとう中毒死してしまった。まれに見る、自己犠牲精神にあふれた神なのである!

 李狷は有力な上司の後ろ盾を失って、つまはじきにされていたのだ。

「私は動植物に詳しいからと蟠桃園の管理人に任命されたんだが、やってられるか。
 そこで私は、勤務時間を利用して白話小説を書きはじめたんだ。

 主人公は、科挙試験を目指す青年だ。
 受験勉強をがんばっていたある日、一人の美少年に出会うんだ。
 青年は美少年に愛の詩をおくる。
 そしたら、美少年から「夜に忍んできて♡」という返事がくるんだ。

 青年は美少年のもとにいくが、叱られてしまう。
『あなたがこんなに意志の弱い人だとは思いませんでした。
 そんなことでは、科挙に受かることなど、到底できないでしょう』とね。

 青年は恥じ入り、美少年の高潔な心に打たれるんだ。
『私はきっと状元(科挙でトップの成績をおさめた者)になって帰ってくる。
 その時には、私と結婚してください』といって、二人は愛を誓って別れるんだ」

「え、えーと、それで……?」
 それは、どこかで聞いたことがある話の寄せ集めのように思われた。

「そこから山あり谷あり、美少年が青年の心変わりを疑ったり、美少年にいいよる恋のライバルが現れたり、青年が上司から、官位をやるからわしの娘と結婚しろと命令されたり、いろいろあるが、ともかくハッピーエンドだ。青年と美少年は結ばれる」

「よかったね」
 金玉は、とりあえずそういっておいた。

「これを、とある出版社に送ったんだがな……」
 李狷の声色が、急に重苦しいものに変わった。

 どんな地獄絵図が語られるのだろうか……。
 以下、次号!
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