瀬々市、宵ノ三番地

茶野森かのこ

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9. ミモザと楓5

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「すみません!」

そうしていると、この犬の飼い主だろう青年が、慌てふためきながら駆けてきた。急いでショパンと呼ばれたポメラニアンのリードを拾って引っぱるが、小さな体は必死に抵抗して、愛から離れようとしない。吠えるわけでも牙を見せるわけでもない抵抗に、愛はもう一度多々羅に視線を向けた。その瞳は、戸惑いながらも、何か決心したようにも見える。愛は躊躇いを見せつつもその場にしゃがみ、嬉しくて仕方ない、そんな様子のショパンの頭を撫でてやった。ショパンは千切れんばかりに尻尾を振って、愛の胸に飛び込んだ。

「…人懐こい、ワンちゃんですね」

多々羅はその様子に驚きつつ、どこかぽかとしている飼い主の青年に話かけた。青年は焦ったように表情を緩め、申し訳なさそうに項垂れた。

「すみません、いつもはこんな風には…どちらかと言えば人見知りをするタイプで…」

そう話す青年は、人が良く爽やかな好青年といった印象で、リードを手放してしまった事についても申し訳なく話してくれていた。だが、愛に視線を向けると、その表情は不思議そうな、何かを探るようなものに変わった。
多々羅もその気持ちはよく分かる、愛のショパンを撫でる手は優しく、犬全般というよりも、ショパンの扱いに慣れているように見えた。普段、よその犬を撫でる手付きとはまた違う、その感触を知っているかのような優しい眼差し。だから、多々羅は青年も愛の事を知っているのかと思ったが、青年の様子を見る限り、そうではないようだ。その事を不思議に思っていると、青年が躊躇いがちに口を開いた。

「あの、もしかしてショパンのお知り合いですか?この子、初対面の人には全然寄っていかないんですよ。僕にすらこんな風に懐いてくれることもなくて」
「え?」

飼い主なのに?、という言葉を、多々羅は寸でのところで止めた。青年に懐かないというのは、飼い犬にも何か思うところはあるのかもしれない、世話をしてくれる人よりも遊んでくれる人の方が、飼い犬にとってのヒエラルキーが上というのもテレビで見たことがある。多々羅は動物が好きだが、ペットを飼った事がないので、詳しい事は分からないが、過度に反応してしまった事を、青年は不快に思っただろうか。多々羅は心配になったが、青年は苦笑うだけで、その気分を害した様子は見えなかった。

「僕、この子の家族にはこれから仲間入りするので、ショパンにとっては、僕が大好きな飼い主を取ったって思っているかもしれません」

青年は困ったように笑う。愛は、その様子を見上げ、それからショパンと目を合わせると、穏やかに表情を緩めた。

「…そんなことありませんよ。まだ、仲良くなる方法が分からないだけで、きっとこの子だって仲良くなりたいって思っていますよ」

その優しい言葉に、頭を撫でられたショパンは、頷くように愛の手にじゃれついている。愛は、ショパンに微笑みかけ、それから思い切った様子で立ち上がると、青年に視線を向けた。

「…この子、もしかして時野ときのさんのワンちゃんですか?」

その緊張した声色に、「え…?」と声を発したのは多々羅だ。時野とは、愛が会いに来た人の名前だ。多々羅が驚いて青年を見れば、青年も驚いた様子だったが、その表情はすぐに明るく染まった。

「はい!やっぱり、お知り合いでしたか!では、かえでの…?」

楓という名前に愛は頷きかけたが、すぐに戸惑った様子で視線を俯かせた。その様子に、青年も何か気づいたのか、躊躇いを含みながらも口を開いた。

「あの、もしかして…瀬々市ぜぜいちさんですか?」
「え?」

それには、またもや多々羅が反応してしまう。
何故、愛だと分かったのだろう、楓という人だって交友関係は他にもあるだろうに、今の状況だけで、愛だと分かるものだろうか。
青年は、愛だと確信を持っているようで、どこか焦った様子で愛に詰め寄った。

「あの、もしかして、楓に会いにきてくれたんですか?」

青年の勢いに、咄嗟に愛を庇うように前に出ようとした多々羅だが、その言葉に思わず足を止めた。次いで愛に視線を向けると、愛は明らかに動揺していた。

「…あ、えっと」
「あの、会って貰えませんか?彼女、後悔してるんです、あなたに酷い事を言ったって」
「……」
「お願いします!」

頭を下げられ、必死とも思えるその様子に、愛は困惑して多々羅を振り返った。何が何やら多々羅には分からないが、それでも、ここで多々羅が出来る事は一つだけのように思う。

「大丈夫ですよ、一緒にいますから」

多々羅の言葉は、ちゃんと愛の心に届いただろうか。
愛はきゅっと唇を引き結び、頼りなく多々羅を見つめていたが、やがて決心がついたのか、しっかりと頷いた。それから、気持ちを切り替えるように小さく息を吸って、青年に向き直った。

「…私も、会わなければと思って来たんです…会わせて頂けますか」

愛の言葉に、青年は安心した様子で表情を緩め、早速家へと促した。愛は彼に断り、足元でじゃれつくショパンを抱き上げた。ショパンは嬉しそうに愛の腕に収まっている。

「はは、凄いな。僕なんか全然…振り回されるばかりで。きっと、ショパンもあなたに会いたかったんだな」
「…こんなに歓迎されるような人間じゃないんです。私は…彼女を傷つけてしまいましたから」

その言葉に、腕の中のショパンは不思議そうな顔をして、それからペロリと愛の頬を舐めた。擽ったそうに肩を竦めた愛に、多々羅は不安を抱きながらも、その背中を追いかけた。




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