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やわらかな唇⑦
しおりを挟む正直いって、「被疑者」という言葉は辛かった。もちろん、カズのことを指しているのだが、犯罪者だという決めつけに違和感があった。
ただ、人は誰でも被疑者になりうる可能性を秘めている。イリーガルな仕事をしている僕など、被疑者予備軍の先頭に立っているのかもしれない。
「宮下さん、でも、××が被疑者というのは確かなんですか? 本人は仲間たちにはめられた、と言っていました」
「主犯かどうかはともかく、窃盗事件に関わったことは確かだよ。複数の物的証拠によって、充分な裏付けはとれている」
なるほど、違和感は認識不足だったらしい。
「犯罪者で間違いない、ということですか」
「少なくとも、警察はそう見ている。ただ、被疑者死亡につき不起訴、という結果に落ち着くだろう」
死んだのだから、検察に起訴されて、法で裁かれることもなくなった。もし、生きていれば、人生はいくらでもやり直せる。僕たちは若いのだから尚更だ。
生きてさえいれば……。カズには、やはり、生きていてほしかった。
そこまで考えて、僕は心の中で苦笑した。いつのまにか、カズが死んだことを前提にしているが、まだ彼の死を確認したわけではない。そのために今、僕たちは監察医務院に向かっているのだから。
「そういえば、遺体を見るのは初めてです。飛行機に乗る時みたいに、気が重いですね」
「申し訳ない。見るのは顔だけでいいから、協力してほしいんだ」
ということは、身体は悲惨な状態なのだろうか。宮下さんに確認する気にもなれなかった。
「飛行機が苦手なのは、僕も同じだ。離陸する時、尻がむずがゆくなる感覚は何とも言えないね」そう言って、宮下さんはハンドルを切る。「ほら、見えてきた。あそこだよ」
監察医務院の外観は、近代的な建造物にしか見えなかった。都内で見つかった死因不明の遺体や不審死、事故死などの遺体が、毎日運び込まれているという。
宮下さんが簡単な手続きを済ませ、僕たちは遺体安置所に通された。テレビでは薄暗いイメージがあるけれど、明るく清潔なオフィスだった。フロアの大半を占めているのは、アイボリーの巨大なキャビネットである。
どうやら、それぞれの引き出しの中に、遺体が収められているらしい。宮下さんがスタッフに指示をして、引き出しの一つが開けられる。ドライアイスの白い煙が上がった。
宮下さんに呼ばれて、僕はゆっくり歩み寄る。引き出しの中を覗き込み、ああ、顔がきれいでよかったな、と思った。頬はこけているけれど、それは確かにカズだった。
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