アマくないイ世界のハナシ

南野雪花

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第1章 なにも良いことのない人生だった

なにも良いことのない人生だった 2

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 何も良いことのない人生だった。

 明かりの灯らない薄暗い部屋。
 痩せこけ、疲れ果てた青年がじっと天井を見つめる。
 どこまでもつまらない人生航路を振り返りながら。

 特筆することなどひとつもない中学時代。
 友人のひとりも作ることができなかった高校時代。

 とくにルックスが良かったわけでも、スポーツができたわけでも、成績が優秀だったわけでもない。
 平凡と呼ぶことすら躊躇われるような、凡庸ぼんような少年期。

 大学に進学するほどの頭もなく、一流企業に就職できるほどの社会性もなく、行き着いた先はライン作業の工場だった。
 十年ほど働いた。

 さしたる特技もなく、際立った才能もなかったから、真面目に働くことで有用性を証明するしかなかった。
 真面目に勤務し、余暇には趣味の動画投稿サイトを鑑賞する。
 不満はなかった。

 むしろ、けっこう楽しんでいた。
 だが、不景気のあおりを受け、勤めていた工場が大規模な人員整理リストラをおこなったとき、席を失ってしまった。
 よくある話である。

 当時の日本には、掃いて捨てるほど転がっているような。
 再就職は、なかなか決まらなかった。
 似たような境遇の者などいくらでもいたし、新卒でもなければやはり即戦力を求められる。
 とくに何のスキルも持っていないような二十代後半の青年に、世の中は優しくなかった。

 仕事の決まらない憂さを晴らすというわけでもないが、彼は自ら動画を作るようになった。
 自分で絵を描き、曲を選び、ストーリーを考え。
 苦労も多かったが、楽しかった。
 生まれてはじめて、生き甲斐のようなものを見つけたと思った。
 これで食べていければ、どんなに幸せだろうと夢を見た。

 しかし、現実は彼に歩み寄ってはくれなかった。
 プロにならないかという誘いもなく、流れるコメントは「才能がない」「ハロワ行け」、そんなものばかりだった。
 失業給付が受けられる半年が過ぎる頃には、すっかりやる気を失っていた。

 貯金を食い潰す日々。
 十年もの間、真面目に働いて貯めた金は、一年ももたなかった。
 あっけないものである。
 薄暗いアパート。
 電気を止められ、ガスを止められ、電話を止められ。
 ライフラインである水道だけ、かろうじて生きている状態。
 最後に彼が手に取ったのは、荷造り用のロープだった。





 目が覚めたとき、そこは住み慣れたアパートではなかった。
 病院のベッドでもなかった。

「ここは……?」

 声を出そうとするが、明確な言葉にはならない。
 あうあうという、鳴き声ともうめきともつかぬ、かん高い声が自らの鼓膜を刺激する。
 意味が判らない。
 現状を確認しようとしても、身体も思うように動かなかった。
 寝返りすら満足に打てない。

 植物状態。
 そんな単語が脳裏をよぎる。
 と、突然、身体が浮き上がった。
 何事かと視線を彷徨わせると、瞳に映ったのは巨人。
 巨大な女に抱え上げられている。
 認識は恐怖を呼び、彼は大声で泣きわめいた。
 まるで赤子のように。

 すると、巨人が胸を開き、乳首を口に含ませる。
 本能的に吸い上げると、どういうわけか気持ちが落ち着いてきた。

「お腹が空いていたのね。ナイル」

 頭上から降ってくる声。
 慈愛に満ちた。
 それが自分の名なのだと、ごく自然に認識できる。
 まるで、ではない。
 本当に赤ん坊になってしまっていた。
 聞いたこともないような名で呼ばれている自分。

「転生……したのか……?」

 理解が脳細胞を支配してゆく。
 ネットの世界にいくらでも転がっている小説群。
 多くが剣と魔法のヒロイックファンタジー世界への転生や転移を取り扱っている。
 お題小説でも書いているかのように。
 使い古されて、陳腐ちんぷという言葉すらもったいないほどに。

 そして、その陳腐な出来事が我が身にも降りかかったらしい。
 神の御業か、悪魔の計らいかは判らないが。
 もう一度、やり直す機会を得た、ということだろうか。

 ありがたい。

 生き直し。
 もう一度チャンスをもらえるなら……。
 ゆっくりとナイルが目を閉じる。
 強烈な睡魔。
 赤子の脳は、長時間の思考には耐えられないらしかった。



 幼少期は平穏だった。
 村で唯一の商家の長男として生まれ、何不自由なく過ごす。
 五歳になる前に病死なり衰弱死するものが幾人もいるような過酷な環境にあって、金銭面での苦労がないというだけでも、人も羨む境遇である。

 しかも、教育を受ける機会まで与えられた。
 読み書きと簡単な算術程度だが、これができるとできないのでは雲泥の差だ。
 文字が読めないのを良いことにお触れ・・・の内容を歪めて伝える役人。
 計算ができないことに付け込んで年貢の徴収量をごまかす代官。
 知識のなさを利用して詐欺を仕掛けてくる行商人。
 それこそ枚挙に暇がないくらい存在する。

 日本の落語『時蕎麦ときそば』の例を出すまでもなく、算術に明るくない者は、ちょっと言葉ではぐらかされるだけで計算が判らなくなってしまう。
 だから、どこの村にもたいてい一人くらいは読み書きができる者がいる。
 村長とか、居を構える商人とか、そういう人々だ。

 本当は全員ができた方が良いのだが、現実はなかなか甘くない。
 勉強なんかしている暇があったら、仕事の手伝いでもしろ。
 そう主張する大人は山ほどいる。
 子供といえども大事な労働力だからだ。
 豊かとはけっしていえない農村の生活で、仕事に従事しない無駄飯食らいを養うようなゆとりはない。
 それゆえにこそ、読み書き計算のできる者は敬われるし、重宝がられるという側面もある。

 どぎつい言い方をすれば、その人に責任をすべてかぶせることができるから。
 領主からの命令も、年貢の計算も、全部やってもらえば良い。
 自分たちは作物を育てていれば、それで良い。
 騙されたり上手く交渉できなかったりは、その人のせいだ。

 じつに判りやすい責任転嫁せきにんてんかだが、そのこと自体にナイルは疑問を持たなかった。
 日本の人々だって、だいたい似たようなものだ。

 責任を押しつける人の肩書きが、村長か政治家か役人か上司か親か、という程度の違いしかない。
 人間というものは、個人としてはともかくとして、集団として考えた場合、思考は似たり寄ったりになってゆく。

 なにかを変えようとする人は、まずその思考から異端とされるのだ。
 ナイルが六歳になった年のことである。
 彼は将来の希望を父親に語った。
 魔法使いメイジになりたい、と。
 返ってきたのは怒声ではなく、諦めにも似た微笑だった。

「うちに、そんな金はない」

 と。
 立身出世を夢見るとき、騎士ナイトや魔法使いというのが、まず筆頭にあがる。
 武勲を立て騎士に取り立てられる、または、叡智によって宮廷仕えする。それは、平民に開かれた唯一の出世街道といっていいだろう。

 ただ、いずれの道を進むにしても金がかかるのだ。
 前者であれば武芸を極めるため、後者であれば学問を修めるため。
 どちらも小さな村にいて、できることではない。

 都会に出るための費用、生活費、学校や道場の授業料、とにかく金がかかる。
 世に、魔法の才は万人に一人といわれるが、それは魔法を学べるほどの恵まれた環境にいるのが、その程度の割合という意味だ。

 才能とは、金銭的な余裕を含めてのものなのである。
 世知辛せちがらいことに。
 こうしてナイル少年の野心は、スタートラインよりもずっとずっと手前で転倒を余儀なくされた。

 転生したといっても、金銭的な問題を解決するような手段を、ナイルは持ち合わせなかった。

 村の収入を増加させようとしても、農業に従事した経験があるわけでもなく、農耕に関する造詣が深いわけでもない。

 技術革新をするにしても、インターネットで聞きかじった程度の知識で、何かをゼロから作ることなどできない。

 現代日本で培った知識は、すべてのハードウェアとソフトウェアが揃っていて、はじめて機能するものだ。

 まして、中途半端な知識で実験をおこなうことなどできなかった。
 仮に農業改革を断行したとして、万が一にでも失敗したら餓死者が出てしまう。
 誰もが、ぎりぎりのところで生活しているのだから。
 将来の繁栄という空手形で、人は動いてなどくれない。

 他人を動かせない以上、できることといえば、自らを鍛え上げることだけ。
 体を鍛え、知識を蓄え、人脈を築き。
 十五になるころには、村の中でも指折りの偉丈夫に成長していた。もちろんいずれは村を捨て、都に出るためだ。

 自分の労働力を売るしかない、労働者階級プロレタリア
 位置づけが日本にいた頃とまったく変わっていない。
 違いがあるとすれば、日本のような平和は存在しない、ということである。

 少年が街へと旅立とうとしていた矢先だ。
 山賊が村を襲った。
 身体を鍛えてきたとはいえ、ナイルは素人だ。本来であれば、彼の二度目の人生はそこで終わっていただろう。
 しかし、そうはならなかった。

 襲いかかってきた山賊が、突然、炎に包まれた。
 危機に立って目覚めたナイルのチカラ。
 魔法と酷似したそれは、呪文の詠唱もなく発動した。

 無詠唱魔法。

 思念を力に変える能力。
 ナイルが思うまま、炎が踊り、風が舞う。
 数個の死体を残して敗走する山賊ども。
 初めて人を殺めた。
 自らの為したことに涙し、嘔吐した。
 それでも彼は故郷を守ることができた。

 英雄だ。
 救世主だ。

 しかし、涙を拭って振り返ったナイルにかけられたのは、賞賛の声ではなかった。

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