アマくないイ世界のハナシ

南野雪花

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第4章 ふたつの王都

ふたつの王都 7

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 扉の向こうに立っていたのは黒髪の若者。
 もちろん摂政のサトリスである。

 どうしてどうして敵もけっこう動きが速いね。
 内心で呟いたセシルが、にこやかに招じ入れる。

「どうしました? 閣下」
「なんとか時間を作って会いにきた。すこし付き合ってくれないか。セシルどの」

 やや息を弾ませている摂政。
 まちがっても暇な役職ではない。本気で仕事をやりくりしたのだろう。
 そうまでして会いたい、というのは、なかなかに興味深い事態だ。

「閣下は人妻に興味がおありですか?」
「な、ばかっ そういう意味じゃないっ」

 笑ってしまうほど動揺するサトリス。

「冗談です」

 花が咲くような笑み。
 端で見ていたナイルが、少しだけ憮然ぶぜんとした。
 自分以外にその笑顔を向けられるのは、なんだかとても面白くない。

「君に見せたいものがあるんだ」

 ちらりと視線を相棒に送るセシル。
 サトリスには夫の機嫌を伺ったように見えただろうが、そうではない。

 これから虎穴に飛び込む、という意思表示だ。
 軽く頷くナイル。
 ここで引き留めるのは幾重にもまずい。

 セシルが人差し指と中指を立てた掌をナイルに見せ、くるりとひっくり返す。
 Vサインではない。
 二時間で戻らなかったら、王宮を脱出してマルドゥクに助けを求めろ、という意味のハンドサインである。

 当初の予定とは異なっているが、なぜかセシルの方に摂政が執心なので、もともとの役割を逆転させた格好だ。

「ホントに俺って添え物だよな。これじゃ黒のソーサラーじゃなくて、黒のバーターだ」

 内心で苦笑しつつも、まんざら悪い気分ではないナイルだった。
 天にも地にも、セシルが相棒として頼るのは自分だけ。
 この際、添え物バーターで充分である。

「おつきあいします。夫が嫉妬しない範囲で」

 くすくすと笑いながら、摂政の腕に自らのそれを絡める赤毛の冒険者。
 裂帛れっぱくの踏み込みに、ナイルには見えた。
 戦闘開始である。

「それはすでに嫉妬する範疇だぞ?」

 苦笑を作ってみせる漆黒の放浪魔導師。もちろん演技だ。
 ハニートラップというほどでもないが、相手の心理に付け込まないという選択肢は存在しない。
 だがサトリスは、ナイルの苦笑の意味をストレートに受け取った。
 ばつの悪そうな顔で一礼する。

「それではナイルどの。細君をお借りする」
「承知しました。摂政閣下」

 今度は演技ではなく、ナイルが苦虫を噛み潰したような顔をする。
 こいつはこいつで、めんどくさい男なのである。




 広大な庭園。
 王宮の内院なかにわだ。
 散策を楽しんでいるかに見える二人。
 一角に植えられた花。

 セシルの目が微笑む。
 故郷の花だ。
 自分の髪と同じ色の赤い花。

「君の好きな花だったよな。取り寄せて育てたんだ」
「やはり閣下は、わたくしのことをご存じなのですね」
「……その口調に違和感がすごいよ。チュチュ。僕のリトル・エリューシア」

 庭に片膝をつき、セシルの手を取って口づけする。
 小首をかしげる赤毛の少女。
 チュチュという呼び名は良い。幼い頃の愛称だ。
 ただ、もうひとつの呼称がおかしい。

 リトル・エリューシア。
 エリューシア王国の小さな姫、というほどの意味になる。
 そのように呼ばれるのは、国に残り婿を取ることになっている姫君だけ。
 チュチュ姫のように他国に嫁ぐことが生まれたときから決まっていた娘には相応しくない。

「ふーむー? どうにもあたしの過去と符合しないなぁ」
「君らしくなった」

 優しげに微笑するサトリス。
 セシルが四阿あずまやを指さした。
 座って話そう、という意味だ。

「摂政閣下はあたしのことを知ってるのね?」

 歩きながら問う。
 さきほどの質問の焼き直しだ。

「でも、君は僕を知らないんだな? チュチュ」
「その名前は、捨てたのよねー 城を飛び出して、お師匠さんに拾われたときに」
「城を飛び出したって? じつに君らしいよ。道理でいくら問い合わせても、チュチュリアなどという娘はいないという返事が返ってくるわけだ」

 木製のベンチに腰掛け、サトリスが愉快そうに笑う。
 そうまでして自分を求めた、ということだろうか。

 セシルにはよく判らなかった。
 そして判らないまま放置するというのは、彼女の流儀ではない。

「あなたは何者なの? サトリス」

 正面から切り込む。

「その質問も二回目だよ。セシルだったね。今は」
「一回目は憶えてないんだから、ノーカンだよっ」

 ぶんと勢いをつけて足を組み、摂政の対面に座る。
 かなり異常な事態なのに、これっぽっちの怖れもない。

「本当に、君は変わらないな」

 サトリスの目元あたりに懐旧かいきゅうの靄がたゆたう。

「あたしはいつだってあたしだよ。他の誰かになんかなれるはずもないからねっ」
「本当にすごいよ。君は何もかも変わってしまったのに、性格だけはそのままだ。驚嘆に値するね」
「変わったって何がさ?」
「姫じゃなくなっていた。英雄になっていた。そして結婚していた」

「ああ。それ嘘」
「へ?」
「結婚ね。嘘だよ。ナイルは相棒で、んーと友達以上恋人未満くらいの感じかな」

「……バラしちゃうんだ。ここで」
「これからケツ割って話し合おうってときに、隠し事をしてもしかたないじゃん」
「割るのは腹ね。ケツは最初から割れてるよ」
「細けぇことはいいんだよー」
「僕はね、チュチュ。世界に復讐するために戻ってきたんだよ」




 封じられていた魔王が復活し、人々は恐怖と絶望のどん底に叩き落とされた。
 物語などで何百万回も語られてきたような話だ。

 圧倒的な力を持つ魔王の前に、人々は平等だった。
 王も貴族も平民も奴隷も、富める者も貧しき者も。

 無力である、という一点において。
 毎日、何百人という人間が殺された。

 周辺各国の総力を結集した連合軍も、ただの一撃で粉砕された。
 世界に十二人しかいない大魔法使いウィザードたちが挑んだが、全員が惨殺された。

 魔王とその軍勢は、欲望と破壊衝動の赴くままに国々を蹂躙し、女性を陵辱し、手慰みに子供を殺していった。
 目の眩むような災厄のなか、アイリン王国の王女エオリアが太古に失われたはずの秘術を用いて異世界から勇者を召喚する。

 新井知あらい さとる
 のちにサトリスと名乗ることとなる十五歳の少年だ。
 それは人類に残された最後の希望。
 勇者サトリス。
 彼の元に、多くの勇士が集った。

 エリューシア王国の第三王女、チュチュリアもその一人だった。
 彼女には先頭に立って戦うような力はなかったが、知謀の面でサトリスを支えた。
 他にも、蒼眸の聖騎士パラディンことテリオス・クレッツェン。
 勇者の右腕ことイリューズ・サリス子爵。
 サトリスを召喚した「聖女」エオリア。などなど。

 多くの者たちが、サトリスとともに勝算のない戦いに身を投じた。
 熾烈という言葉すら生ぬるいような戦いの日々。

 負け続けの戦い。
 たくさんの味方を、仲間を失った。
 魔族に襲われている村を、どうしても力及ばす見殺しにしたこともあった。

 興廃してゆく国土。
 なんのために生きているのかも判らない状態。
 それでも人々が、たったひとつだけ捨てなかったものがある。

 希望。

 いつか必ず勝利できる。いつか必ず平和を取り戻すことができる。
 だから彼らは戦うことができた。

 たくさんの人々。
 たくさんの人生。
 たくさんの可能性。
 たくさんの喜怒哀楽。

 すべてを背負っての戦いである。
 つらいとか、くるしいとか、泣き言なんていっていられない。
 サトリスたちは百度も魔王に挑み、九十九回敗北した。

 砂を咬み、仲間を見捨て、命からがら何度も何度も逃げた。
 だが、たった一回だけ勝利の女神が微笑んでくれた。
 魔王は滅び、エオスに平和が訪れた。

ジャストワンたったひとつのビクトリー勝利っ かっちょいいねーっ」

 サトリスの話に目を輝かせるセシル。
 ほろ苦い表情を、若き摂政が浮かべた。

「ここで終われば、大団円だったんだけどな」

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