策士オメガの完璧な政略結婚

雨宮里玖

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第3章

55.策士ライオネル

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「ノアぁっっ!!!」

 悲鳴にも似たライオネルの声が聞こえた。
 俺は動けない。背中が焼けるように痛くて、意識も朦朧としてきた。
 でも、まだ戦いは終わってない。起きて戦わなくちゃ……。ライオネルを守らなきゃ。

「ノアぁぁっ!!」

 俺の頬に、冷たい雨が降った。
 違う。雨じゃない。これはライオネルの涙だ。
 泣くなよライオネル。
 ちょっと意識が朦朧として身体が動かないだけ。俺はまだ戦えるよ。
 そんなことされたら、俺がもうすぐ死ぬみたいじゃないか。
 俺はライオネルを慰めたくて、腕を動かそうとする。
 でもなぜか俺の腕は言うことを聞かない。ライオネルの涙を拭ってやりたいのに、指一本動かすだけで精一杯だった。

「誰かいないかっ!! 救護をーーーーっ!!!」

 ライオネルの悲痛な叫び声。でも、誰もいないよ。俺はわざと教会に人がいない日を選んでここに来たんだ。

 ズシン……。
 床から振動が伝わってきて、ライオネルが息を呑んだ。
 ライオネルは俺を静かに床に寝かせた。俺は虚ろな目でライオネルの足を眺めるだけ。瞼を開けるのもやっとだ。
 ライオネルは剣を持ち、立ち上がる。

「…………」

 ライオネルは聞いたことのない言語を話している。悪魔に話しかけている……?

「…………っ!」

 なんだ……? 悪魔言葉か……?
 ライオネルは、何を言っているのだろう。

「うらああぁぁっ!!」

 ライオネルが思い切り駆けていく。剣を振るい悪魔に攻撃を仕掛けているが、まるで効いている様子はない。
 ライオネルは、あっという間に、俺が吹き飛ばされた側の壁とは反対の壁に追いつめられている。

「ライオネル……逃げて……」

 俺はありったけの声を出したのに、まるで声にならない。これじゃ遠くにいるライオネルに声は届かない。
 ひとりじゃ絶対に無理だ。ここから逃げて、封印の魔法を使える魔術師を呼ぶなり、援軍を呼ぶなりしてほしい。
 俺の祈りはライオネルには届かない。勇敢なライオネルは壁を背にしても逃げることをしなかった。

 悪魔がライオネルに向かって強い光を放つ。あれを至近距離で食らったら、ひとたまりもない。
 悪魔の放った強力な一撃は教会の壁を突き破った。
 瓦礫が崩れる音と地鳴りのような衝撃。目の前が見えなくなるほどの砂埃が舞う。いきなり入り込んできたまぶしい外の光に目がくらむ。

 ライオネルは、どうなった……?

 俺はひどい眩暈で歪む視界の中、ライオネルの姿を探す。
 頭が痛い。背中が痛い。身体を起こしたくても俺は動けなかった。それでも霞む視界に、ライオネルの姿を捉える。

 ライオネルは悪魔の背後に立っていた。攻撃の瞬間、前に走ったのかもしれない。
 ライオネルは口笛を吹いた。
 これは普通の口笛じゃない。竜騎士たちがドラゴンを操るときに使う特殊な音だ。
 まさか、ライオネルはキールを操ろうとしている……?
 十年も前の話だが、キールは二年間、城で竜騎士たちと訓練をしていた。だから竜の口笛の意味は理解しているかもしれない。

 悪魔が壊した壁の方角から、強い風が吹いた。
 そこに現れたのは白い皮膚を持つドラゴン、キールだ。
 キールは悪魔に向かって炎を吐いた。キールの攻撃に悪魔はひるんでいる。
 ライオネルはもう一度、キールに向けて竜の口笛を吹いた。今度は音が違う。指示が違うのだろうか。
 キールはライオネルの口笛に反応したのか、眩しい光を放った。その光は悪魔の目に直撃する。
 悪魔は目を覆い、苦しそうに唸り声を上げ身悶えている。その隙にライオネルは果敢に悪魔に突っ込んでいく。

「…………!!」

 ライオネルが何かを叫んだ。跳躍し、剣を掲げて悪魔に斬りかかろうとしているところで、俺の目の前は暗くなり、意識が遠のいていった。


 ◆◆◆


 俺は温かい光に包まれていた。
 ひどく懐かしい感覚だ。
 遠い、遠い昔の記憶。ここは実家のベッドかな。寒い夜に凍えそうになっていたときに、こうやって眠った夜があった。
 あのころの俺は、世の中のことなんて何も知らない、素直ないい子だった。今は人の裏を読むことばかり考えて、すっかり心が汚れてしまった。
 ライオネルはすごいよな。大人になっても清い心のままだ。人を陥れることも、蔑むことも、恨むこともなく、ただ真っ直ぐに今を生きている。
 ライオネルは、本当にいい奴だ。そんなライオネルが、どうして俺なんかと一緒にいてくれたんだろう。

「ノア……ノア……」

 ライオネルが俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。
 そうそう。俺はライオネルに名前を呼んでもらえると嬉しいんだ。存在を認めてもらって、ここにいていいと言われているようで、安心する。

「ノア」

 ライオネルは俺を抱きしめてきた。
 ああ。すごくあったかい。でも、血の匂いがする。いつものライオネルの匂いじゃない。
 ライオネル、怪我をしているのかな。
 早く起きて、ライオネルを治療してあげなくちゃ。
 俺はゆっくり目を覚ます。
 俺がいたのは実家のベッドではなかった。
 俺はライオネルに身体を抱えられながら、キールの体に包まれている。キールは淡く光を放ち、その光が俺の身体を包んでいた。
 これは治癒魔法だ。キールが魔力を持っていることは知っていたが、攻撃だけじゃなく治癒の力も持ち合わせていたとは知らなかった。

「ノア……? ノア? 起きたのかっ? 具合はどうだっ?」

 ライオネルが俺を心配そうに見つめている。ひどく泣き腫らした目に、傷だらけの顔をしていて、せっかくの男前が台無しだ。

 あれ。俺は何をしていた……?
 たしか、えっと……ライオネルを助けたくて……。

「ライオネルは、無事なの……?」
「俺っ? 俺の心配してるのか!? そんなことより自分の心配をしろ!」

 大丈夫だよ。俺は。憎まれっ子は世に憚るって言うだろ。死んでたまるか。俺はライオネルのそばにいるって決めたんだから。

「ノア、ノアが意識を取り戻した……キールのおかげだ。よかった……よかった……」

 ライオネルは俺を抱きしめ嗚咽をもらす。
 そんなに心配してくれてたの? こんな俺のことを……?

「あのさ、悪魔はどうなったの……?」

 俺は途中で意識を手放してしまった。キールとライオネルは無事みたいだけど、あれからどうなったんだろう。

「ノアの言うとおり、契約解除を申し出た。話が通じなくて苦戦したが、キールの目くらましで気がついて、まともになってくれたところで俺は悪魔言葉で交渉したんだ」
「ライオネルは言葉を……話せる……の……?」
「少しな。ここ最近書物を読み漁って大切な言葉だけ習得した」

 ライオネルはアルファだ。身体能力だけじゃなく、勉学にも長けているんだな。

「相手の言葉のほうが、話を聞いてもらえると思ったんだ。ノアが俺に払う必要はない、契約解除をすればいいと教えてくれたから」

 ライオネルの話を聞きながら俺がめまいが辛くて目をつむると、ライオネルは「キール、もう少しだけ治癒魔法を頑張ってくれ」とキールを撫でた。

「契約解除した。俺の身体から嘘のようにアザが消えたよ」

 ライオネルは微笑んだ。
 その言葉をずっと聞きたかった。ライオネルの呪いは消えたんだ。ライオネルはこの先ずっと生きていけるってこと?
 ライオネルはわざわざシャツをめくって腕を見せてくれた。

「本当だ……」

 ライオネルの腕からあの痛々しいアザが消えていた。
 代わりにフォルネウスの魔力はガタ落ちだろうな。おかしいと思ったんだ。いくら両親が魔導師とはいえ、あんなダメそうな奴が、やたらと魔力だけは強かった。
 なんだよ、あれは悪魔ブーストだったのかよ。学校の魔法の授業の点数から付け直してもらいたい。

「悪魔も棲み処に帰っていった。キールにおののいたんだろう」

 聞けば俺が気を失ってからすぐに決着はついたそうだ。契約解除のあと、キールは魔法陣へと悪魔を追いやった。ライオネルが悪魔言葉で意思を伝え、静かにお帰り願ったんだとか。

「ライオネルはどうしてここに?」

 ずっと聞きたかった。ライオネルがここにいると悪魔に言われて俺は初めて知ったんだ。

「ノアが俺の言うことを聞かないからだ。自分を大事にしろと、城でティータイムをしていろと言ったのに、ノアはキールに乗って城を飛び出していった。ずっと嫌な予感がしていたんだ。ノアは俺のために悪魔を召喚したりしないかって疑っていた。特に今日は教会から人がいなくなる日だ。俺は警戒していたんだ」
「バレてたんだ……」

 俺の策はライオネルに全部お見通しだったんだ。
 ライオネルには敵わない。
 俺が政略結婚を目論んだときも、ライオネルは最初から俺の目的に気がついていた。
 今回も俺の用意周到な策は、ライオネルに見抜かれていた。
 こんなんでどこが策士オメガだよ。
 本当の策士はライオネルなんじゃないのか?
 俺はライオネルの手のひらで転がされている気分だ。

「俺が教会に来てみたら、教会の隣にキールがいた。これは間違いないと思って、俺は突っ込んでいったんだ」
「え……? キールは森に置いてきたのに……」

 森からここまではかなりの距離がある。なんでキールは移動してしまったんだろう。

「キールは賢い。お前がよからぬことをしていることを察知して、教会まで来たんじゃないか?」
「そうなの? キール……」

 俺はキールのざらざらの肌を撫でる。
 キール。俺があんなに「待て」と言ったのに、言うことを聞かなかったんだな。
 でもキールが来てくれて本当によかった。そうでなければ俺もライオネルも助からなかったかも……。

「本当にキールは賢いドラゴンだ。俺の指示に的確に従ってくれたんだ。俺とキールが訓練を重ねたおかげだな」
「訓練……?」
「ああ。ノアと帰って来てから、俺は毎日のようにキールに口笛の指示を教え込んだんだ。十年前のことなのに、キールは覚えていたよ」
「ライオネル、いつの間に……」

 俺の知らないことばかりだ。俺は自分が賢くてなんでもわかっているつもりでいたけど、本当は何も知らない。
 ライオネルがキールと仲良くしていたことも、キールが密かに俺のあとを追って教会にくるなんてことがあるということも、ライオネルがすべてを見抜いていたことも、全然わかっていなかった。

「教会の聖堂はめちゃくちゃだ。ノアは悪魔召喚の罪に問われるかもしれない。本当にノアは、ひどいことをしてくれた」
「ごめん……」

 本当だよ。結局、俺ひとりでは何も成し遂げられなかった。

「でも、俺にとっては感謝をしてもしきれない。ノアのおかげで俺は呪いから解放されたんだ」

 ライオネルは俺を抱きしめ、額にキスをした。それから「ノアの覚悟と機転のおかげだ」と切々と俺のいいところを語り始めた。
 俺が召喚しなければ、悪魔と会うことはできなかったって。悪魔を祓うことばかり考えていたが、その必要はないと気がつけたこと。他にもいろいろ褒めてくれるんだけど、俺は意識が戻ったばかりで、頭が朦朧としていて話半分だ。
 俺がぐったりしてから「あ! すまない!」とライオネルは俺の体調に気がつき、話を中断してくれた。



 その後、騒ぎを聞きつけた人が治療院をやっている魔術師を呼んできてくれた。

 俺は体調が良くなるまで数日間、教会のベッドで休むことになった。その間、ライオネルが俺と一緒に教会に泊まってくれて、司祭たちに事情を説明してくれたらしい。
 聖堂を派手に壊してしまい、多額の寄付金を送ることになったことには、さすがのライオネルも渋い顔をしていた。
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