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第八部 大嫌い
第二十二話 狂乱の聖霊
しおりを挟む雹はにこりと微笑むと、道場の壁を蹴り壊した。
蹴り壊された壁から見えるのは、――柘榴。
鴉座は目を見開き、主人を呼んだ。
「柘榴様ッ? 何故此処に?」
「――鴉座……よ、久しぶり。ね、かげ君、どこ? この人、誰?」
柘榴――なのだが、何処か空気が柘榴らしくない。冷気が漂っていて、いつもの日向のような柘榴には見えない。星座の皆が相談したくなるような、あの優男ではない。
鴉座は首を傾げる――と、同時に雹の行動に驚いた。
雹は、柘榴に剣を向けたのだ――それも、己の尤も得意とする、大剣で。
大剣はひゅっと空気を切り裂くと、柘榴の足下をなぎ払うように動いた。柘榴は下がり、溜息をついた。
「何、あんた。いきなり、何さ?」
「蛮族。よくぞこの土地に踏み入るなんて真似できたものだ。蒼め、さっさと引き取りに来ればいいものを……」
「はぁ? 何かわけわっかんないなぁー! 蛮族って何だよ、失礼だなぁー」
けらけらと笑う姿は、以前の柘榴を思い出して、嗚呼戻ったかな、と鴉座が思った瞬間、柘榴の瞳は、嫌悪に揺れていた――。嫌悪と憎悪に。
「おいらの先祖殺したのは、この国なのに――蛮族? 何ソレ、笑える。誓約書も、破棄したのは、そっちなのに。被害者面するんだ? あほらしい」
ゆうらり、髪の毛が揺れて、柘榴の周りを、妖仔の死に神が彷徨いた。何匹もいて、まるで柘榴を王と慕うように、彼の周りを守っていた。
くす、と笑うその一声だけで、心が押しつぶされるような恐怖心が鴉座に芽生えた。
主人に怯えるだなんて変な話しだが、この柘榴は、いつもの常識人ではなく、恐ろしい聖霊なのだ――ふと急に悟った。
雹は聖霊を目にして、両目をきっちり開き、口の端をつり上げた。
「この国に伝わる正義を俺は信じる――真実がどうだろうと。真実なんかより、一般市民を蛮族から守ることが大事ですからね。……蛮族、立ち去りなさい」
「――かげ君を返してくれたら、帰るよ。おいらの用件はそれだけだ。この国には何も望んでいない……返してくれないのなら、王族に何を囁くか、判ってるだろ?」
らしくない。こんな脅し方、らしくなかった。
柘榴は、「告白」を乱用するのを嫌っていた。だからこそ、誰よりもその言葉には臆病に生きてきたのに、何故か今は自信満々に、使おうとしていた。
鴉座は混乱し、咄嗟に雹の前に現れ、雹を庇ってしまった。
「――……鴉座? 邪魔するのか?」
「今の貴方は正気ではありません。……自分を取り戻してください、柘榴様。脅すなんて、貴方らしくないです」
「っは、物覚えの悪いバカカラスが何を言うんだ。――あんたがおいらの何を知ってるって? おいらだって、脅したりするさ。大事な物を守るためには、何だってする。この国は、いつだっておいらの大事な物を奪い続けてきた! 先祖に、誓約書……復讐したって、別に正当化されるだろ?」
「いい加減にしてください、柘榴様! 今のお姿、陽炎が見たらきっと怒るでしょう!」
柘榴は苛立っている、陽炎が居ないことに苛立っている。だから鴉座は不思議だとは思っても、バカカラスと言われても腹は立たなかった。
こっちがへたして何か言葉を発すれば、柘榴のただ一つ、絶対無敵の言葉で殺されるからだ。
復讐――確かに、ガンジラニーニならばその考えは普通あるべきものだ。だけど、今まで接してきたガンジラニーニの民を見ていると、意外に思えてしまう。
それはひとえに、説歌いの頃の柘榴による説得が効を成したのだろう。なのに、その説歌い自身が、復讐を口にするなんて。
今の柘榴は「何かがおかしい」――そうとしか判らなかった。
「――はは、かげ君なら怒らないよ。怒っても、ごめんなさいって言えば、それで済むよ。……おいらはね、蒼刻一の城で、眠り続けていた。その間も、ずーっとずーっと、かげ君を守ることを考えていた。だって、あの人には誰かがついていなきゃ駄目じゃない? 鴉座じゃあ、人間のことは判らないじゃないか」
「……――!」
いつもの柘榴ならば言わない言葉。でも本来の主人ならば口にしてもおかしくない言葉。
こうして言われて気付く――本来、自分たちと人間は違う生き物なのだということを。
陽炎や柘榴が、優しすぎただけなのだ。周りの人間だって、――そう思ってるかもしれない。
鴉座が傷ついた表情をしてるのを、感じ取ったのか、雹が少し、むっとした。
「不老不死の名を受け継いだ匂いがするが、ならば貴殿とて人間では、もうなかろう?」
雹は、だから鴉座を庇う言葉をあげた。
鴉座は驚き、後ろを振り向いた――振り向けば、雹が鴉座を押しのけて、柘榴に大剣を向ける。
「さっきから、何をごちゃごちゃと。纏まりがない。――蛮族め、去れ。この場から。無傷の騎士より、ガンジラニーニの民に告ぐ。第一の警告であるぞ」
「そっちがごちゃごちゃ話してきたんでしょ? かげ君を返してくれないんだね? なら、告白してあげよう――」
――柘榴は、柔らかに微笑み、人差し指に死に神を集わせ、それを雹に向けた。
「無傷の騎士、愛してる」
死に神が雹に向かった――雹は、目を細め、斬る準備をしたが体が動かない。
これほどまでに、聖霊の言葉の重みは深いのか。雹は、決して見た目では動揺してるようには見えなかったが、狼狽えた。
死に神が己の額にキスをしようとしたとき、死を覚悟した――だが、何かがばちっと光り、死に神を押し返した。
“死なせねぇ!”
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