エリュシオンでささやいて

奏多

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第11章 Blue moon Voice

 3.

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 *+†+*――*+†+*


 シンフォニア社長は、瀬田さんよりも少し年下くらいの見知った顔だった。

 通称ナダマンこと名高満は、テレビに出てとにかくよく喋る、名物社長。
 ナダマンが有名すぎて、ナダマンがどこの社長だったのかを忘れるなんて、音楽業界に勤める者としては、あるまじきこと。

 あってないようだった名刺を取り出して、須王達と共に頭を下げて渡すと、瀬田さんにも欲しがられた。綺麗(だと思われる)な名刺を一枚渡すと喜んでくれたが、あたしの苗字を見ても特別に表情を崩すことがなかったのは、元友達の家族だと気づかなかったからだろう。

 まあ、上原なんていう姓はどこにでもあるからね。

 名刺がない未成年の裕貴くんに関しては、須王は名前も伏せた上で、弟子だと笑うに留め、恐らくは才能ある裕貴くんをシンフォニアの横槍で失いたくなかったのだろう……早瀬須王の弟子宣言は、逆にナダマンに興味を持たせてしまったようだ。

「ははは。彼の名前はデビューした時に」

 ……ナダマン以外は、知っているけどね。

「それは楽しみにしているよ。ナナシの少年」

 裕貴くんはナナシと呼ばれることになって、複雑そうだ。
 
 ナダマンと須王と瀬田さんと、音楽業界で名だたる人達が顔を合わせるその様は、写メにして出版社に送りつけたいほど、ビッグで貴重な場面だろう。

 音楽界で有名になるのは、親の肩書きではなく、自分の力。
 棗くんを除いて、須王と同じ音楽の世界に居るはずのあたし達は、その圧倒的な三人のオーラに完全に影となり、場違いな居心地の悪さを感じている。

「いやあ、あの早瀬先生が会いに来てくれるとはね~。そろそろ移籍してもいい頃合いじゃないかい? 何年ふられているのかな、シンフォニアは」

「ははは。申し訳ありせんが、私はエリュシオン一筋ですので」

「やだなあ、色男で音楽の才能があって一途なんて、そこのお嬢様達、惚れちゃわない?」

 突然に話を向けられたが、ひとりは男で、ひとりは須王にふられていて、もうひとりも昔にこっぴどくふられていたのに、また惚れてしまったという、なんとも単純でいて複雑なあたし達。

「そうですね、惚れてしまいますわね」

 そう、余裕で答えたのは、勿論棗くん。
 そして棗くんに促されて、女帝もまた顔を僅かに引き攣らせて言う。

「ええ、本当に惚れてしまいますね」

 女帝はあたしのために恋心を押さえ込んだ。
 それをあたしは、忘れてはいけない。

 そして皆の目があたしに向いた。
 特に須王がにやりと笑って見ている。

 え? あたしもこの茶番に乗じないといけないの?

「あたしも……」

 柚、皆と同じく愛想笑いでさらっと。

「あたしも早瀬さんに……」

 そう思っているのに、顔が火でも吹いているかのように熱い。

「惚れてます……」

 ふしゅう~。

 そんな音をたてて、あたしは赤い顔で俯いた。

 さらっと、さらっと、さらっと!
 そう念仏のように心で唱えていたのに、なぜかあたしの行動は心とは裏腹に、必要以上に真っ赤になって、皆の前で告白してしまった形となる。

 須王のこと、好き……だけど。
 どうして演技が出来ないの、柚!

「おお~、これは三人とも早瀬さんのファンですな? 早瀬さんならどの女性を……」

 いいから、あたしを見ないで欲しい。
 どうすれば顔の熱が引くの?


「上原さん」

 営業用の須王の声に、上目遣いだけで見つめた。

「ありがとう」

 そのにっこりと微笑むその顔は、茶化しているよりも素の須王に近く。
 
「嬉しいよ」

 月並みな台詞を吐くその美しい笑顔に、またあたしの顔がぼんと熱くなる。
 両手で頬を挟んでじろりと睨めば、愉快そうにそのダークブルーの瞳だけが笑っている。

 やっぱりからかっていたんだ。
 ピンポイントの名指しによる、おじさま達の揶揄の声を心の外に出して、心頭滅却すれば火もまた涼し。

 顔の熱さも涼しく……なんてならずに、あたふたしているあたしの耳に、須王の声が届く。

「ところで名高社長。インディーズのHARUKAはご存知で?」

 社長がなぜか、息を飲んだような音がした気がした。
 おかげで、顔の火照りが冷める。

「きみは、どこから……」

 なぜ焦るの?
 須王に取られると思って?

「ネットで有名ですから、シンフォニアならきっと行動に起こしているかと思ったのですが?」

「ネット……」

「ええ。そこの裕貴少年も興奮するほどの、ソプラニスタ。そのご様子では、ご存知ですね?」

「え、ああ……うん。今、一番シンフォニアが欲しがってる少年だ」

 すると瀬田さんが助け船を出してくれた。

「HARUKAの素性はご存知で? 家族が有名な音楽家とか……」

 家族が有名な音楽家ならあたしがあてはまるが、あたしにはHARUKAほどの音楽の才能はない。

 だが瀬田さんからの質問だったせいか、須王に対する警戒のような強ばりを解いて、今度は饒舌に話し出した。

「いや、それが……わからないんですわ、瀬田さん。HARUKAは都内の公園でアカペラのライブをするんですが、それも公式の地域のイベント情報をチェックしないとわからず、その前後に捕まえて話をしようにも、突然声量ある高い声で歌い出すものだから、ひとが集まってきて、それどころじゃなくなるようで。そして音が止むと同時に、宙をふわふわと飛ぶようにしていなくなると」

「HARUKAは歌だけを歌うんですか? なにか手品じみた余興をしたりとかは?」

 裕貴くんは、前座があると言っていた。

「なんでもピエロに前座をさせるようですが」

 ビンゴ。
 あたしの脳裏に上野公園のことが思い出される。

「それはどんな手品です? 例えば、頭を切り落としたりとか、悪趣味満載だったりします?」

 棗くんの言葉に、ナダマンと瀬田さんは同時に笑う。
 つまりは、そんな事実はないということだ。

 となれば、あたし達がいたあの時だけ、あたしの天使の記憶に触れる余興をしたということだ。

 なぜ?

――またね、お姉サン。

「しかし逃げられても素性くらいは、イベントの方に問い合わせるなりすれば、申込時の住所や名前ぐらいはわかりませんか?」

 今度は女帝が尋ねた。

「それがその住所に行っても、いないんだ。張ってもね」

「どこの住所なんですか?」

 須王の執拗な質問に、ナダマンは言った。

「住所は……」

 その住所は――。

「苗字はミヤタ、ミヤタユウキが本名で、芸名をHARUKAで登録している」

「それ、俺ですよ!」

 裕貴くんが立ち上がり、ズボンのお尻のポケットに入れていた、二つ折り黒財布の中から、カード式の証明写真つき学生証を取りだして見せた。

「前に母さんやばあちゃんが、俺が授業をサボッて公園で歌を歌っていたと言い張る、怪しげな男達がいると言っていたことがある。そんなことをしているのかと怒られて。学校を休んでいないとわかったら、相変わらず来る男達に俺のアルバムごと写真と、父さんのことを言って、ようやく引いてくれたと」

 いつも見ているはずのHARUKAの顔と裕貴くんとは違い、さらに裕貴くんのお父さんが警察のトップだと知ったら、さぞや慌てて逃げ帰っただろう。

 しかし――。

 AOPらしきもので、さっちゃんは宮田家に取り入った。
 そして息子のHARUKAくんは、その宮田家の仲がいい幼なじみを騙った。

 これはどういうこと?
 
 遥くんはいつも病院にいることを隠すために、裕貴くんの住所と名前を使ったの? 
 でもさっちゃんが今も住んでいる家に、住んでいたんだよね?

 実名を隠したいから、裕貴くん情報を拝借したのか。

 それとも――。

 裕貴くん情報を利用したいから、裕貴くんに近づいたのか。

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