エリュシオンでささやいて

奏多

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第3章 Bittersweet Voice

 1.

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・━…‥・‥…━・

◆シンセサイザー
 電子回路の演算による波形信号を作る電子楽器・音源のひとつで、ピアノ(鍵盤)形式以外にも、ギターシンセ、ベースシンセ、ウインドシンセ(EWIを代表する電子管楽器)などがある。


◆MIDI
 Musical Instruments Digital Interfaceの略で、国際基準となっている電子楽器の世界共通規格で1990年代に全盛した。主に演奏を記録出来る楽器やソフトのシーケンス機能によって、記録された音色や音量、音の並びといった楽曲データの形態や保存方法のデータをMIDI規格で送受信することで、どのメーカーのシンセサイザーら電子楽器やコンピュータなどでも自動(再生)演奏させることができるが、声などの音声は扱えない。
 電子楽器以外にも、通信カラオケの送信データ、携帯電話の着信メロディの自動演奏などもMIDIシステムによるもの。

◆DAW
 Digital Audio Workstationの略で、DTM(パソコンで作る音楽。音を出す機能は不要で、MIDI信号だけ出力できればいい)の制作ソフト。初音ミクなどのボーカロイドの曲をパソコンで作成編集する時にも、必要となるソフトウェアである。
 楽器のトラックごと独立して録音・修正出来る多重録音機能、多数の音源で自動演奏をさせる打ち込み機能(シーケンス機能)、記録した音にエフェクターをかけたりバランス調整をするミックス機能などがある。
 
 電子音楽機器は、MIDIケーブルで繋げることで、音源が違う……別のシンセや、鍵盤を持たない音源(GS音源など)、或いはDAWなどで同時再現出来るが、現在MIDIケーブルで繋ぐことは少なく、MIDI端子がない楽器は増えているものの、DTM・DAWでの入力手段としてのMIDIキーボードや、通信データとしてのMIDIは今も使用されている。

・━…‥・‥…━・
 

 *+†+*――*+†+*


 考えてみれば、クラシック育ちのあたしがクラシック以外の楽器についても予備知識があったのは、音を奏でる楽器を理解しろという前社長のおかげだ。

 文明の利器というべきか、今は簡単に様々な音が出る。

 その代表格はシンセサイザーであり、これひとつでドラムの音でリズムも作れるし、エレキギターのチュイーンという音もつまみやレバーを動かすだけで再現出来る。セットされている音色の雰囲気も変えられる。

 例えばオルガン。昔ながらのロックに使われているオルガンは、オルガンの音が一定の強さではなく、中心が抜けているような軽さがあり、パイプオルガンの重い音色とは違う。そのロックオルガンの音色を、もっと勢いが欲しいとなにかがギュインギュインと回転しているようなうねりをつけることも出来るし、鍵盤を押した瞬間から音をガツンと強く押し出したいか、徐々にじわじわといきたいのか、そういう微妙なところの設定も、シンセでは出来る。

 音は周波数。だから音が作る各周波数の形を変えるのだそうだ。

 ただどうしても機械の音だから、どんなにリアルに近づけても、そこにひとの温もりは感じられない。どんなに緻密に曲を作れても、生の音には敵わない。

 だからこそ、音の専門家である早瀬は、管楽器は不明だけれど、すべての音を自分で奏でられるようにしたのだろうと思う。あくまで迫力あるバッキングのひとつとして。

 その早瀬が、指が動かないあたしでが弾くのが難しい音が弾けるように作ってくれたが、一曲分のドラムのリズムも作ってしまっていたらしい。

――俺の曲、そんなに簡単!? なに簡単に凄いドラム作ってるのさ!

 いやもう、早瀬だからだね、裕貴くん。
 あたし大急ぎで、着ぐるみを借りてきたんだけれど。
  
 ドラムなりシンセのフレーズなりを自動演奏させ、それに早瀬と裕貴くんが合わせるのはいいとして、本番で微妙にずれていくことだってある。そうした時、どうすればいいのかと思ったが、そこに活躍するのが足のペダルらしい。

 なんと音の早さに合わせてペダルを踏めば、その速度によって自動演奏しているものの速さも調節出来るものらしく、よくある音を伸ばすためのペダルの活用はしないらしい。

 つまりピアノソロみたいなメロディアスな旋律の速さすらも、ペダルで統制できるという、なんという優れものなんだ、ローランド!

 ローランドは電子ピアノを出しているからよく知っているメーカーだ。
 ピアノ系の音が強いと聞いたことがある。

 まあそんなんで、コードにそった音の鍵盤であるのなら、どこを弾いてもそれらしいメロディとフレーズが自動再生されるけれど、和音とオクターブが必要であるのなら鍵盤の左側中心の割り当てに。ブラスやストリングスなど華やかに飾る音色(音の厚み)が必要ならその1オクターブ右。一番の右側のオクターブには、早瀬の即席アドレブのフレーズが記録されている。

 さすがローランド76鍵、古かろうが同時再生出来る音源も半端なく。

 曲のどこにどんなものを使うのか、そこはあたしの裁量に委ねられたたが、割り当てられていない鍵盤もあるわけで。

 弾けないのをわかっているくせに、だからシーケンスなんて使ったくせに、それでもあたしがピアノを弾くことを前提にしているのが、なにか悔しい。

 黙々と、ただひたすら黙々と。

 ドラムのリズムがリピートし続けている中、ちょっと休憩しようと顔を上げ、そして気づいた。
 
「………」

 ――部屋に、りすがいる。

 確かにあたし、じゃんけんで勝ったけれど。
 確かにあたし、可愛いりすくん勧めたけれど。

 ウサ子より大きいりすが、ドラムに合わせてベースを弾いている。

 長すぎた元の人間の足はどう見ても短足で、高い位置にあっただろうお尻はだぶだぶと下に垂れ、無駄にフェロモンを振りまいていたお美しいお顔は、思わず微笑んでしまう愛嬌がある大きなもの。

 手だけは早瀬の長い指を出しているけど、ちゃんとふさふさ尻尾もつけていた。

 ……なんであたしみたいに、早々に頭もすべて着てしまったのだろう。
 そんなに気に入ったんだろうか。

 その格好で、身体を揺らしながら、ベースを指で弾いている。
 出っ歯の巨大なりすが、真剣な顔をしてギターを弾く裕貴くんと、小さく出した音色を合わせ、凄いベーステクを披露しているようだけれど、どうしても微笑ましく思ってしまう。

 ベーシストならぬ、べーリスト。
 
 くふりと笑ったら、りすが言った。

「なんだよ」

 早瀬……りすがあたしの方を向くと、大きなふさふさ尻尾が左右に揺れた。

 尻尾はとてつもなく優雅で雄々しくて、格好いい。

 やばい。
 あの尻尾、素敵。
 
「だからなんだよ。シンセのところから、じっと見るなよ。不気味なんだよ」

 尻尾。
 尻尾。
 
「りすぴょん」

「あ゛?」

 かなり嫌々そうな声ながら、返事をしてくれるりすの王様。
 ウサ子は、素直に褒め称える。

「とても格好いいぴょん(尻尾が)」

「……っ」

「必要不可欠だと実感したぴょん(尻尾が)」

「そ、そうか」

 照れたように身じろぎしながら、あたしに背を向くと、ベースをまた弾き始めた、巨大な王様リアルりす。

 大きな尻尾がふぁさりふぁさりと左右に揺れて、あたしの顔は満面の笑み。

「素敵(尻尾が)」

「……っ」

「もっと(尻尾を揺らして)」

 なぜか激しいベースが聞こえるが、尻尾が揺れてあたしは満足。


「だあああああ!! かぶり物のりすとうさぎでなにおかしなことしてやがるんだよ!! 全身鳥肌立つ、こっちの身になってくれ――っ!!」

  



 時間になり、ステージに移動した。

 勿論あたしと早瀬は、着ぐるみを着たまま楽器を持って移動。手だけ外して、あとはもこもこなうさぎとりすだ。

「俺、本当にうさぎとりすとステージに立つんだ……」

「細かいことは気にしない。時間があれば裕貴くんの分も見つけて上げたかったけど、ごめんね。あたし達だけが着て」

「いらねぇよっ!! そんなの着てギター弾いて歌歌ったら、俺速攻笑いものにされる」

「されないよ! インパクト大」

 親指を立てて見せたら、裕貴くんは複雑そうに言った。

「確かにインパクトはこの上なく大きいけどさ……」

 前のバンドが終曲に向かい、裕貴くんが係員に連れられ別の場所に移動した。バンド参加ということではあったけれど、メンバーが急遽変わったため、変わらぬ裕貴くんだけがフロントに立たないといけなくなったらしい。

 つまりあたし達は、ソロの後ろで演奏するバッキングのように、目立たない入りをしないといけなくなったのだ。

 ステージに上がって歌っている少女は活き活きとしていて、見ているだけで興奮するが、何年ぶりかの演奏者の立場であるのなら、妙に緊張してきてしまった。

 曲構成も打ち合わせもすんでいるというのに、ほぼ指を一本ずつ鍵盤に置けばいいように、早瀬が作ってくれたというのに、弾けなくなったあの絶望感が恐怖と不安となって、あたしの胸に押し寄せてきた。

 弾けないというトラウマが。

 あたしの手が震えた。

 今のあたしを家族が見たら、鼻でせせら笑うだろう。

〝電気の玩具がピアノのわけないでしょう?〟

〝触れれば音がなるそんなものに1指乗せて、それで音楽だって?〟

〝指一本で弾いているとでも?〟

 ぐるぐると回る。

 クラシックこそが至高の音楽だと思っている彼らの声が。

 蔑むように、嘲笑うように、あたしひとり残して彼らはいつものように対岸から、指の動けないあたしをきっと――。

「大丈夫」

 早瀬の声がした。

「俺が野次を飛ばさせねぇから」

 ……りすだけど。  

「お前はお前の奏でる音楽に誇りを持て。お前の人生に、家族は関係ねぇ」

「……なんで家族のことを考えていると……」

 次第に、ざわついていた心が落ち着きを見せ始めているのは、早瀬の声のトーンゆえなのか、それともりすだからなのか。よくわからないまま、疑問をぶつけた。

「お前は家族のことを考えて劣等感を抱いている時、左手の中指の爪を右手で弄る癖がある。そんな風に」

「!!」

 今まさに、あたしは爪をかりかりと引っ掻いていて。
 そんな癖があったなど、あたしも知らなかった。

「音楽は心を反映する。だから俺は、お前の家族の音楽は決して認めねぇよ。あんな……ひでぇ奴らの音楽など」

 声のトーンが低く沈められた。

 ……彼はあたしの家族と仕事はしていないはずだ。
 だとすれば、九年前にあたしが話したことについて?
 
 その表情はかぶり物でわからないけれど、その声に憎しみすら込められているように思えて、なにか気になってしまった。

 そこまでのことを話したことはない。
 だとすれば、早瀬の反応はなに?

「ねぇ、あたしの家族に「俺、お前に音楽を楽しいと思って欲しいんだ」」

「え?」

「……俺が、お前に教えて貰ったように」

 心が、ずきんと痛む。

 ねぇ、どうして。
 どうして九年前のことを持ち出すの?

「音楽を好きで居て欲しい。仕事だからではなく、お前自身が」

 冷たいあたしの手に、温かな早瀬の手が触れ、

「……っ」

 そしてぎゅっと握られた。
 払おうとしたが、早瀬が強く握って抵抗が出来なかった。

「俺は言葉が苦手だ。俺の言葉で、絶対に傷つけたくなかった……この世で一番大切な女を傷つけてしまったから。傷つけなければならなかったから」

 頭を鈍器で殴られたように、ぐわんぐわんとする。

 彼は今、なにを言った?

「自分勝手だということはわかってる。また傷つけたくなくて、なにも考えさせずに強引にことを進めてしまうけれど、俺にだって……伝えたい言葉はあったんだ。……九年前から、あんな形ではなく――」
  
 心臓が、どくどくと大きな音をたてている。
 走馬灯のように九年前の思い出が回る。

 笑う早瀬。
 切なそうな早瀬。

 あたしが好きだった早瀬がそこにいるのに。

――性処理でもいいって言うなら、抱いてやるけど?

 心が痛いよ。
 ナイフのような鋭利な刃物が、あたしの心臓を貫いたかのようで、痛くて苦しくて呼吸が浅く乱れてしまうんだ。

 それなのに、頭の中で元凶ともなる不可解な言葉が回って。

 〝この世で一番大事な女〟?

 それ、なに?

「今更だけどな。……お前に嫌われているのは十分わかっている。俺が口に出した言葉に、弁解もする気はねぇけど、それでも今、一緒に音楽をやりたかった。昔みたいに」

「……っ」

 なにを言えばいいのかわからない。
 だけど、無性に早瀬の声に心が絞られるようで。

「決してお前の指をからかって弾かせたかったわけじゃねぇ。怒らせたいわけではなかった。お前の……楽しそうに笑った顔が見たかったんだ」

――須王、ねぇ今日はこれ!

――マジにこれ、読譜するの? お前鬼だな!

――あははは、これあたしが好きな曲だから、おすすめ。

――柚が好きな曲……。難しすぎるって!!

――あははは、須王、頑張って!

「まるで信用できねぇかもしれねぇけど、それだけは信じて欲しい」

 なぜ……涙が出るの。

 ねぇ、この男はあたしを傷つけて人生を狂わせた。
 どうして今までのように、嫌悪感に身震いしないの。

「……なんて。十七のガキに説教されて、しかもこんな被り物をしてねぇと言えねぇなんて、俺も不器用通り越してクズだけど。とにかく、今は……楽しんで貰いたい。鍵盤から逃げないで。俺がカバーするから」

 どうしてあたし……彼と指を絡ませて手を握っているの。
 
 こんな、愛おしいという恋人のような弄り方で。
 こんな、焦げるように熱い体温で。

 早瀬がどんな表情をしているかわからないけど、互いに被り物をして顔を隠していてよかったと思う。

 きっとあたしは、この苦しげに聞こえる言葉を吐いた、早瀬の表情に絆されてしまっただろうから。
  
「……上原?」

「………」

「なんか言えよ。いつもみたいに、〝嫌い〟でもいいからさ」

「………」

「……言ってくれよ。お前の声を聞きたいんだ」

 顔を見たい。
 どんな顔で言っているの?

 お願いだから嘲笑って、悪い男でいて欲しい。
 不遜で強引で、あたしをただ困らせるだけのなに考えているかわからない王様に。
 
 早瀬を拒絶し続けた九年を、揺らがせないで欲しい。
 
 そんな、懇願するような声を出さないでよ。
 
 胸が苦しいの。
 封印したはずの早瀬への恋心が、またじりじりと再燃しそうで、怖くてたまらないの。

 嫌だ。
 またあんなに苦しくて、辛い思いはしたくない。

 それなのに、どうして。
 どうして、信じたいと思うの?

 九年前、なにか事情があったのかもしれないという甘い期待は、捨てたはずだったのに。

 エリュシオンに来るまで音沙汰無かったのに、どうして今、そんなことを言うの。

 どうして、早瀬はあたしが好きだった姿が本当で、今もその姿を持っているのかもしれないとまで、信じさせようとするの。

 どうして。
 どうして。 

「頼む。柚――」

 その時、前の演奏が終わった。

 あたしは早瀬の手を離して、シンセを乗せたスタンドを持って、ひとり先にステージの方向に向かった。


 涙で震える声を、あたしは早瀬に聞かせたくなかった。
 
 あたし自身、泣いている理由が、わからないのだから――。
  
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