エリュシオンでささやいて

奏多

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第4章 Haunting Voice

 4.

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 *+†+*――*+†+*


 早瀬がエリュシオンに戻ったことで、HADESプロジェクト緊急会議は再開された。

 休憩しながら待ってくれていたメンバーに本当に申し訳ない(早瀬がいないとなにも出来ない奴ら、とも言うけど)。
 あたしがオリンピアに猛進せず、あたしが倒れず、あたしがスマホを落とさなかったら、プロジェクトの推進者である早瀬が抜けることはなかったのに。

 HADESプロジェクトの正式メンバーではないあたしは、会議に参加することは出来ないが、オリンピアによるプロジェクトの強奪で、プロジェクトが白紙になった場合、これまでかけた費用と見込み収益を考えると、かなり大きな痛手となる問題であったみたいで、プロジェクトに関係ない全課課長も招集されたまま、出てこない。

 ……三芳社長はどうしたんだろう。
 相変わらず女帝が受付におらず、一階の一室が閉まっていたけれど、怖くて確かめられない。

 あたしは……針の筵だ。
 美保ちゃんみたいに、あたしがオリンピアのスパイだと噂している社員が大半で、このわざとらしいひそひそ話と白い目の意味するところは、あたしにだってわかるんだ。

「恥知らず」

 ふたつ隣の席の、いつも茂と一緒に悪意を向ける育成課の藤岡くんの声。

 狐目のいつもキツいことばかり言う藤岡くんは、ムースで黒髪を流して格好は決まっているのだが、短足が残念なイマドキ系の子。

 彼は大声を張り上げて言った。

「あ~、テンション下がるなぁ。スパイが上司だと」

 大声を合図としたように、わらわらとひとがやってきて、悪意が集結する。

「……あのね、あたしは」

「まったくだよな」

 あたしを無視して同調したのは、藤岡くんと同期のイベント課の篠塚くん。
 茶髪を短く刈り上げ、ちゃらっとした感じだ。

 お顔は、現役高校生の裕貴くんの方がよっぽど整っていて、イケメンだ。

「だろ? お前俺の身になってみな、こんな奴の下にいる気分」

「ああ、最悪。なあ、皆も思わね?」

「思う思う」

「チーフ、ここやめなよ」

「そうだそうだ!」

「賛成~っ!!」

 二階の職場、部長・課長・チーフはふたりはプロジェクト会議中、唯一男性チーフであるライセンス課の雪村さんもおらず、たったひとりの上司であるあたしは、後輩であり新入社員でもあった社員に囲まれ、吊し上げられた。

 オリンピアでもそうで、エリュシオンもそうで。
 あたしには、居場所がなくて。
 
「早瀬先生に声かけられているからって調子にのってるよね」

「は、なに。早瀬先生の愛人なの、このひと」

「遊びだよ、遊び。顔は……まあまあいいから、玩具だよ」

「いいかなぁ? 最悪のブスじゃん」

「そうかな、ブスではないと思うけど……」

「黙れよ、ブス専」

「案外脱いだら凄いのかもよ」

「タルタロスのモグラに、脱げるところあるの? あはははは」

 ……生理で貧血の最中、上がいないからってここぞとばかりに。

 これが、オリンピアを選ばなかったあたしの罪?
 これが、オリンピアの変貌に気づかなかった罰?

 消えちゃったよ……。
 前社長が愛したエリュシオンが、どこにもないよ。
 
 あの時の、一致団結して、至高の音楽を求めていたエリュシオンの姿は、どこにもない。

 あたし、頑張ってたのに。
 あたし無力で、あたしひとりは弱すぎて。

 ……だけど、エリュシオンもオリンピアも金や権力に目がくらんだというのなら、あたしだけはこんな上から目線の悪意に屈するものか。

 あたしがしたいのは、至高の音楽を届けることなんだから。
 あたしはまだ、それを成し遂げてない!!

 頭に、昨日の早瀬が思い出される。

 ギターを弾いていた、りす早瀬。
 ピアノを弾いていた、早瀬。

 彼が紡ぐ音楽は、あたしの心の変化をもたらした。
 早瀬が大嫌いでたまらなかったあたしの心を絆したんだ。

 そこまでの音楽を奏でられるのは、早瀬しかない。
 それはどんな著名なあたしの家族ら音楽家でも出来ない。

 早瀬の奏でる音楽だから――。
   
 エリュシオンには、早瀬がいてくれる。
 エリュシオンであたしはひとりじゃない。

 早瀬も戦っている。

 早瀬ならどんな困難な中にあっても、負けずに至高の音楽を作ってくれる。
 あたしだって、こんな環境に負けないで、一緒に音楽を作り上げたい。

 聴いているひとの心を奮わせられる音楽を。
 変化をもたらし、前に進む力となる音楽を。

 あたしは演奏者にはなれないけれど、あたしに音楽は楽しいものだと改めて気づかせて貰った早瀬の、その心にガツンとくる音楽を至高のものにしたいから。

 だからあたしは、逃げるわけにはいかないんだ。

 柚、戦え!
 
 あたしは、分厚い名簿の冊子を両手で持ち――、

 バアアアン!!

 机を叩いて椅子から立ち上がると、周りを見渡した。

「静かにしなさい」

 やけに落ち着いた、低い声が出た。

 いつも音楽に関係ないことには、一方的に言われて終わりだったあたしが立ち上がったことに、唖然としている顔ぶれ。

「勤務中は私語を慎むように。それと藤岡くん。企画レポート再提出。誤字脱字が酷くて小学生並みよ。あたしにいいたい言葉があるのなら、まず辞書で調べて正しく書きだしてから、言って頂戴」

 藤岡くんの顔色が変わるのがわかる。

「企画に誤字脱字は関係ない……」

「随分と提出した企画内容に自信があってお暇そうだけれど、こんな程度の企画ならあたしが既に書いて課長に却下されているから。『面白くない』ってね。企画に自信があるのなら、企画百本ノックいってみる? あたしが通った道なら、あなたにも出来るでしょう? あなたはあたしより有能みたいだから。課長にあげておくわ、課長に直接指導して貰って。ここにいる全員が証人よ」

「な……っ」

「それと早瀬とのことを邪推しているようだけれど、あたし、彼と同い年で同じ高校出身なの。今まであなた達には言ってなかったけれど」

「え……」

「その気安さが悪いのだと、早瀬に言っておくわ。早瀬はブス専だと思われているって。それでいいわね? 水岡さん、篠塚さん、笹さん、早川さん」

「え、いや……」
「その……」

 わざと親密度を強調した苗字の呼び捨て。
 女性陣は、面白いほど青ざめて震えている。
  
「それと、他の課の皆さん、お暇だというのなら、所属チーフに毎週のチーフ会議で伝えておきます。やる気がありすぎて、仕事を既に終えられてかなり暇そうだと。最低でも今までの倍、毎日残業ありの方向で勧めてみますね?」

 にっこり。

 笑うと、誰もが怯えた顔を見合わせている。

「い、いや……暇では……」
「たくさん、案件抱えてるので……」

「そうですか。では、皆さん。仕事に戻ってください。はい!」

 パンと手を叩くと、誰もがしゅんとして自席に戻る。
 
 あたしはそのままお手洗いへと進む。
 足が震える。

 女性用の扉を開けると、誰も居ない洗面台のところでしゃがみこんだ。

「……やった……」

 あたしにしてはとても勇気がいること。
 初めて踏み出した第一歩。

「撃退出来た!」

 生理でぼぅっとしていたせいもある。
 ぐちゃぐちゃ考えて呑み込まずに、反撃出来た。

「あたしも頑張れば出来るんだ」

 ガッツポーズをしながら、嬉しくて泣いてしまった。

 二十六歳、名だけのチーフ上原柚。
 肩書きと早瀬を利用したけれど、初めてエリュシオンで大人の対応出来たと思う。

 涙が止まらない。
 二年間の積年の恨みはあったけれど、そこを我慢しながら出来たと思う。

 嬉しい――っ!!

「くそ……あたし泣いてばっかりだ。あ、オリンピアのスパイじゃないと言い忘れた。ま、いいや」

 化粧を直して目薬をさしてドアを出ると、早瀬が壁に背を凭れさせるようにして腕組をして立っていた。

「うわ、びっくりした。なんですか、ここ女子トイレですよ?」

 すると早瀬は気怠げにこちらを見ると口端をつり上げるようにして笑い、ぽんぽんと頭の上に手を乗せて、そのまま行ってしまった。

「なんだったんだろう……」

 謎の男、早瀬須王――。


  

 休憩を繰り返しながらプロジェクト会議は終わらず、あたしも残業しながら様子を見ていたのだけれど、休憩でげっそりとして出てきた課長の「帰りなさい」の一声に、帰ることになった。

 茂、痩せれるね!

 とも言えず、苦笑するあたしの後ろを早瀬が通り過ぎた。

「LINE……いや、電話するから」

 ……不意に耳打ちされた甘い声に、馬鹿なあたしはときめいてしまう。
 会議の結果を教えてくれると、言ってるだけでしょうに。
 
 力になれないことが口惜しい気がしながらも、全課課長からの命令でその他の社員は引き上げることになった。

 地下鉄に乗った時、ふと思い出した。

「あれ、そういえば三芳親子どうしただろう」

 まあ、いいや。

 家に戻り、何日かぶりの家での自炊。

 だけどあまり食欲がなくて、昆布と鰹ぶしで簡単に出汁をとって煮麺(にゅうめん)にした。
 スーパーで安い時に素麺(そうめん)をまとめ買いしておいてよかった。
 溶き卵と椎茸と刻んだネギを振りかけて、ふぅふぅして食べる。

 食べ終わった最中に、電話が来た。

 こんなに早く来るとは思わずに、慌ててバッグから取り出した。
 画面には、見慣れない電話。

 もしかしてプライベートの方でかけてきたのかと思って出たら、

『こんばんは。さっきぶり。体調は大丈夫?』

 ……朝霞さんだった。 

「この電話は使われておりません」

『なんだよ、それ』

 笑う朝霞さんの声が聞こえてくるが、懐かしいよりも警戒心の方が動いた。

「なんの御用でしょう」

『ん? 夕食のお誘い』

「もう食べました。お腹一杯です。では、失礼します」

 ぷちっと切った。

 恩人になんていうことをしたんだとちょっぴり良心が痛んだけれど、電話は懲りずにまた鳴った。

 しばらく無視していたけれど、ずっと鳴り響いていて……仕方がなくとった。

「あのですね『酷いじゃないか、元上司に』」
 
「……朝霞さん、本当に変わっちゃったんですか?」

『それ判断してよ、直接会って』

 ……爽やかな声だ。

 声だけ聞いていたら、HADESを自分のところのプロジェクトだと公開するような強引さは見えないのに。

 昔ながらの優しくていいひとなんだけどなぁ。
  
「なにかあったんですか、朝霞さんやオリンピアに」

『どうだろうね』

「教えて下さい。亡くなった前社長の教え、あたしはいまだに守り続けてます。エリュシオンを守って欲しいという言葉を守るために、あたしエリュシオンに残ったんです。だけど……」

『黙ってくれない?』

 朝霞さんのものとは思えない、冷たい声で。

「朝霞さん……」

『聞きたいのなら、俺と食事すること。明日の夕飯はどう?』

「……生憎予約が入ってます」

 脳裏に早瀬が思い浮かんだ。

『警戒心強いなあ。……あいつのせい? 早瀬須王』

 鋭い指摘に、言葉を詰まらせる。

『あいつより、俺……信用ないんだ』

 僅かに悲哀の混ざった声音に、あたしはなにも答えられなかった。

『きみと音信不通になって、二年だ。まあ木場に行けば会えたんだろうけど、大見得切ってやめた身の上では、そこまでの度胸もなくてね。俺は、きみに会えて嬉しいよ。きみは違うようだけれど』

「……っ」

『……俺はね、きみが好きだったんだ』

「な……」

『ん、今も好きの方が正しいな。だから俺のところにおいで?』

 あまりに自然に昔のように言うから、ただの好意の〝好き〟のように思えるのに、どこか艶っぽい声音はそれ以上のことを言っているようにも思えて。

『――なんてね、俺のこと、ちょっとは意識した?』

「な、冗談だったんですか! そうだとは思ったんですよ、キャラ崩壊してましたし!」

『あはははは』

 昔のように冗談好きな朝霞さん。
 どこにも変貌したようには見えないけど、女を勘違いさせる言葉を吐かなかった。ただひたすら優しく微笑んでいるひとで。

『上原、会いたい』

 不意に声が真面目なものとなる。

「え……?」

『……俺を助けて』

「朝霞さん?」

『――なんてね、これも冗談』

 笑う朝霞さんの声がなにか哀しそうで。

 朝霞さん、事情があるんだろうか。
 もしかして、力になれれば、元のオリンピアに戻れる?

 そう思ってしまったあたしは――。

「……もし、朝霞さんとお食事に行ったら、話してくれます? なんでHADESを奪う事態になったのか」

『……』

「朝霞さん、あなたやオリンピアが困っていること、あたしにも聞かせて貰えますか?」

『……会ってくれるの?』

「場合によります」
  
『……いいよ、上原なら。社長の理解者であった上原になら。いつが空いてる? 明日は?』

 明日は金曜日だ。
 次の日休日は、なにか嫌だ。

「だったら来週の月曜日のお昼」

『昼は駄目、夜』

「……じゃあ月曜日の夕食、ご一緒しましょう」

『ありがとう』

「ちゃんと話して下さいよ?」

『あはははは。じゃあね』

 返事を避けるように、スマホは切れた。

 まんまと夕食をとることになってしまったけれど、オリンピアがエリュシオンに喧嘩を売ったのなら、生半可な覚悟ではないはずだ。
 HADESだけではなく、もっと沢山の横やりが入るかもしれない。

 ……早瀬の音楽も盗まれるかもしれない。

 この関係を断ち切るために、朝霞さんと話をしてみよう。
 昔の朝霞さんなら、あたしの話を聞いてくれる……はずだから。

――俺を助けて。

 朝霞さん、なにか困っているんだろうか。

 いろいろとあれこれ考え込んでいた時、訪問を告げるチャイムが鳴った。

 相手の顔を確認出来るインターホンで見てみると、早瀬だ。

 なんで、早瀬?

 ピンポン、ピンポン、ピンポン!

 なんだかこっちを睨んでる!?

「は、はい。な、なんで……」

『……入れろ』

「だ、だから、なんで……」

『入れろ!』

 液晶画面越しに怒鳴られて、あたしはひぃぃとなりながらドアを開けた。

「どこ?」

「は?」

「いいわ、俺が行くから。あがるぞ」

 早瀬はドカドカと中に入ってきて、三畳のキッチンと六畳のリビングと、四畳半の寝室のドアを開けて、浴室やトイレまで見渡し始めた。

「ちょ、なに、なんなの!?」

 ベランダを開ける早瀬が、ぶっきらぼうに言った。

「あいつはどこ」

「あいつ?」

 すると苛立ったように、早瀬がこちらを睨み付けて怒鳴る。

「朝霞だよ! オリンピアの社長!」

「いないですって」

「今は事後? まだ事前? 間に合った?」

「なにがですか!? なんで朝霞さんがうちに来ないといけないんですか」

「いねぇの?」

 早瀬はまだ疑わしそうな眼差しで、上からあたしを見下ろした。
  
「居るわけないじゃないですか! あたし、男性部屋に入れたことないんです。それをドカドカと一体なんですか!」

「ガセ……?」

 早瀬は嬉しそうに破顔すると、あたしをぎゅっと抱きしめて、耳元で言う。

「ごめん。何度もお前にLINEしても既読にならねぇし、電話すればずっと話し中で。イライラしてお前の家に来る途中、朝霞から電話が入って。お前の部屋にいて、今お前がシャワー浴びてると。合意でお前を抱くって」

 朝霞さん――なに嘘をつくんじゃ!!

「ありえないから! 本気でありえないし、あたし今生理中なんです! 貧血起こしたでしょう、今日」

「俺に抱かれたくねぇから、お前がそう言ったのかなと思って」

「……あ、そういう嘘つけばよかったんだ。いつも」

 思わず素直にそう吐露してしまうと、早瀬に頭上をぐりぐりされた。

「そんな嘘ついた日にゃ、365日ずっと抱く!」

「しません! しませんったら、ハゲる!!」

「ハゲデブじゃあるまいし」

「だからって……ハゲるってば!!」

 早瀬は笑いながら抱擁を解くと、身を屈むようにして、文句を言おうとしたあたしの唇に啄むようなキスをして、魅惑的な笑みを見せるから、文句も言えなくなる。
 
「なんだ、飯作って食ったんだ。麺類? 俺も腹減ったんだけど」

 流し目をくれて、含んだ笑いを向けてくる早瀬。

「俺、昨日も今日もお前の介抱したんだけど」

「………」

「今日の会食キャンセルして、今まで俺、会議中で珈琲しか飲んでねぇんだけど」

「………」

「これから店行くの面倒だし、かといって腹減りすぎて動けねぇんだけど」

「勝手に来たくせに……」

「ん? どうした、その目」

 じとりと見ているあたしのを目を見ながら、確信犯的な〝おねだり〟をされたあたしは、部屋に入ってしまった早瀬を、恩があるのに無下に追い出すことも出来なくて、ため息をついて言った。

「煮麺でよければ、すぐ作れますけど?」

「やった」

 子供のような笑みを浮かべる早瀬に、あたしも笑うしか出来なくて。

 ソファがあるのにベージュのラグの上に座る早瀬は、あたしの質素な部屋には不釣り合いで。

 物置に置かれた、高級フランス人形みたいな感じで笑えたけれど、あたしの領域に早瀬が入って来たことが、……いつも会っているはずなのに、やけに緊張した。

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