エリュシオンでささやいて

奏多

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第5章 Invisible Voice

 13.

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 *+†+*――*+†+*


 時刻は午前十時ちょっとすぎ――。

 似たような可愛い店ばかりで、ここがいいという決め手がないままブラブラと、手を繋いだまま歩いていたあたし達。

 早瀬がスマホを取り出して、色々とネットで調べた結果、ひとつの店を強く推す。

 そこは、ストロベリーだけではなく、ラズベリー、クランベリー、ブルーベリー……あらゆるベリー類で作られたケーキが作られているらしく、ベリーが好きなあたしは、飛び上がって喜んだ。

「あなたも、ベリーが好きなの?」

 そういえば、早瀬の匂いはベリームスク。

「……ああ。昔、お前に言われて、好きになった」

 口端を持ち上げるようにしてそう笑った早瀬を見て、そういえば音楽室で、あたしが持っていたメロンソーダ味とクランベリー味のアメのどちらがいいか、じゃんけんをして決めたことがあったことを思い出した。

――あたし、ベリーが好きだと言ってるのに、どうしてベリーのアメを選ぶの!?

 どんなにベリーが好きか語ったのに、勝った特権とばかりにぽいと自分の口に投げ込んでしまった早瀬。

――ふぅん? これがお前の好きな味と匂いなのか。だったらさ、俺がこんな甘い匂いをつけてたら、俺を舐めにくるの、お前?

――あ、あんたアメじゃないでしょ!? ベリーの匂いなら、あたしじゃなくて蟻が舐めにたかってくるわよ。

――気持ち悪いこと言うなよ、だったら違う匂いも混ぜればいいんだろう? お前、きりっとしているものより、絶対甘ったるいもの好きそうだよな……。

 ……今まで忘れていたけれど、早瀬がベリームスクの匂いをしているのは、まさか九年前のあの些細な会話に端を発していないよね?

 まさかね。

「あ、あのさ……」

「ん?」

「あなたの香水、どこの? ベリーとムスクの混ざったような」

 すると早瀬は眼鏡の奥の目を嬉しそうに細めた。

「ようやく、気づいて貰えた」

「え?」

「オリジナル。俺の好みの匂いになるように、調合して貰ったものだけど」

 どきんと、心臓が跳ねた。
   
 まるであたしが思い出した、九年前の記憶から続いているようで。

 だけど――たまたまだ、きっと。

 勘違いするな、柚。

 ……そう思うのに。 

「いつから?」

 確かめて仕方がないと思うのに、愚かなあたしは、自分にとって都合のいい答えを求め、

「……さあね。さ、ついたみたいだぞ」

 答えをはぐらかされたことに、落胆する。

 あたしは、「九年前から」という早瀬の言葉を期待している。

 ……ありえないのに。
 言われたとしても、冗談かもしれないのに。
 早瀬は忘れた会話で、ただの気まぐれかも知れないのに。

 それなのに――。

 ぶっつりと切れてしまった絆は、あの時から少しでも繋がっていて欲しいと思ってしまっている。

 早瀬に恋をしていると自覚してしまったあたしは、早瀬にヤリ捨てられたという記憶を、別のものに上書きしたいから。

 ……そんなことをしても、九年間は戻ってこないのに。
 なにひとつ、過去が変わることはないのに。

「ほら、行くぞ?」

 こうやって、優しく微笑みかけられるだけで。
 こうやって、手を繋がれるだけで。

 あたしはどうして満足していられないのだろう。

 どうして、傷つけられた〝言葉〟からまた、新しい関係を築きたいのか。
 どうして、九年前のことを忘れられないのか。
 
 どうして、あたしはまた、こうやって迷い続けるのだろう――。

  

 
 目的の店は、焦げ茶の外壁にワイン色の屋根や飾りがアクセントになっているお洒落な外観だった。

 茶色とワイン色ということは、チョコとベリーをイメージしているのだろうか。選ばれた色からして、期待に胸を膨らませる。

 前に迫り出たワイン色の屋根と、ぐるりと店を取り囲む大きなガラス壁中央にあるワイン色のアクセントには、銀色の文字でフランス語が書かれてある。

 『Gâteau aux framboises』……ラズベリーのケーキとでも直訳される文字が、この店の名前だ。

 正面の自動ドアを開けると、左側がお持ち帰り用の店舗、右側が喫茶室になっているようで、茶色のスーツにワイン色と短いタイをした綺麗なお姉さんが、通り沿いが見える窓際を一望できる……二人ずつ横に並べる席に案内してくれた。

 テーブルは横一列窓の端から端まで続いているが、左右に並ぶ座席が恥ずかしいあたしが、別の普通の向かい合わせの席がいいと店員さんに言おうとすると、早瀬はあたしの口を手で抑えてあたしの懇願を無に返した。

 礼儀正しく振る舞うお姉さんは、早瀬をちらちらと見ていたが、音楽家の早瀬須王だと気づいていないらしく、周囲も互いの相手との談話に夢中になっているのか、こちらの方に向く顔はない。

 ワイン色の表紙をした縦長のメニューを広げると、写真に燦々と輝くようなベリーが、形を変え品を変え……。

「……っ」

 見ていたら、じんわりと滲む涙でメニューがよく見えなくなる。

「なんで泣くんだよ、嫌だったか、ここ」

「違うの、ベリーが一杯なのが幸せすぎて。昨日ベリー食べずに違うものに浮気してしまったから、余計。どうしよう決められない」

 すると、窓から差し込む太陽光で、髪や瞳の青さを強めながら、早瀬はテーブルに肘をついたまま、柔らかく笑った。

「好きなだけ食えば?」

「食べたら破産します」

「別にお前が出すんじゃねぇからいいだろう?」

「へ?」

「俺が食いたいからここに来た。お前はおまけでついてきただけ。だから金出すことねぇだろう?」

「い、いや……それはちょっと……」

「俺、借金ねぇから金に困ってねぇの。お前の金で食べてると思って、素直に奢られておけ」

 ……そう言われるとなにも言い返せず。
   
 急かされるままメニューからお好きなものひとつ。複数勧められたけれど、せめておひとつだけ。誘惑に負けて、いらないとは言い切れなかった。

 だが、あまりに商品が素晴らしすぎて選びきれない。

 ラズベリーモンブランってなに?
 ベリー入り抹茶のオムレットってなに?
 上にたんまりと様々なベリーとバニラアイスが乗せられている、濃厚チョコとベリーのパフェってなに?

 とにかく品数が豊富で、決められない。
 あたし、そこまで優柔不断ではないのに、まるで決められない。

 そう訴えると、面白そうにあたしを見ていた早瀬は、笑いながら言う。

「お前昨日ケーキ食ったなら、今はパフェにしろよ。俺ケーキにするから、ちょっとやる。お前のパフェもちょっと寄越せよ?」

 二種類味見できるなんて最高。

 そしてふたつになってもやはり決められないあたしを笑って、店員を呼んだ早瀬が選んだのは、あたしが特にじぃぃぃっと見ていた二種類……ラズベリーモンブランと、濃厚チョコアイスとベリーのパフェだった。

 茶色いデザイン性がある椅子に座り、テーブルはワイン色。
 広い店内装飾も、そのふた色で統一されている。

 窓からは、車が行き交うちょっとした大通り。
 休みのせいか、カップルばかりが歩いているように思える。

 あの早瀬と、こんなところで横に並んでスイーツ。
 ちょっと前には考えられなかった状況だ。

 長い足を組んだだけでもう別世界の王子様になれる早瀬に、ちらちらと周囲から熱視線が向いてきたようだが、あたしに向けられるのは氷より凍てついた冷視線のように思える。

 あたしのことは、オブジェとも思って下さい。

 はい、身の程知らずにも来週告白しようとしているただの馬鹿者ですので。
 笑いたければ笑って下さい。
  
「明日は、家で音楽やろうと思っている。連れ出してやれねぇけど、大丈夫か?」

 物憂げな早瀬の顔があたしを斜めに見下ろしてくる。

「え、もしかして外に出たのはあたしに気分転換をさせるため、とか?」

 早瀬はそれには答えず、テーブルに肘をつけた手の上に顎を乗せて、窓の外を見ている。

「……騒がしい奴らばかりだが、いなくなるひとりの時間が来れば反動が来るかもしれねぇ。それくらい銃っていうのは厄介だから、気分転換出来る時はしておけ」

 早瀬は、銃を見知っているかのように言う。

「随分と詳しいけど……本当にただの音楽家?」

「当然」

 ……本当かな。
 本当じゃなければ、このひと何者なの、という話になる。

 その時、ケーキが来た。
 正しくは、早瀬が頼んだケーキだけが速攻で来た。
 
 ラズベリーモンブランは、巨峰の汁のような鮮やかなワイン色。
 ぐねぐねと山盛りになっていて、カシスのアイスみたいだ。

 早瀬が一口フォークで切ると、中にはベリーがごろごろだ。

「ここまで詰まっているのか、すげぇな」

 そして早瀬は一口食べてみて、顔を綻ばせた。
 
 フォークを口に入れる瞬間は眉根を寄せるのに、こういう笑みはただの子供の王子様みたいで、こちらも思わず微笑みたくなってくる。

 早瀬はまたフォークに掬うと、言った。

「はい。お前の分」

「あ、ありがとう……」

 あたしのところに置かれてあるパフェ用の長いスプーンで食べようとすると、早瀬に怒られる。

「なんでそっちだよ。俺が用意してるだろ!?」

「あ、ああ。ありがとう」

 フォークの柄を手にしようとしたら、反対側の手でぴしっと叩かれる。

「な、なんで不正解なの?」

「ん」

 あたしの顔の前に突き出されるモンブランケーキ。

 ……これは、皆の前で〝あーん〟をしろと言うのだろうか。
  
「い、いやいや。自分で食べるから。そっちの方……」

「ん!」

 王様に戻った彼は、反対の手でモンブランが載ってる皿をあたしが届かない遠くに置くと、さらにずいとフォークを突き出した。

 周りから視線。
 横からも視線。

「そ、その……」

「食えよ。いらねぇなら、俺ひとりで食べるぞ?」

「いや、あの……」

 それ、美味しそうなんですけど。
 食べてみたいんですけど。

「なに? じゃあ食べる? はい」

 あたしが周りを気にしていることをわかっているかのように、にやにやとした……ある種ドヤ顔であたしを餌付けようとする早瀬。

「いらねぇの?」

「……っ」

「ほら」

 意を決して、身体を乗り出すようにして、一瞬にして一気にばくん!といこうとしたが、早瀬の反射神経の方が一歩早く。

「おおっと!」

 身体ごと、フォークを後方に反らした。

「なんで逃げるの!?」

「大丈夫だから、ゆっくり来いって」

「………」

「ほら。大丈夫だ、ゆっくり来い。ゆっくり……って、なんでそんなに顔赤くするんだよ!」

「あ、あなたこそ!!」

 なんだかいやらしく誘われている気がして。

「お前のが移ったんだよ、ああまったく!!」

 早瀬は赤い顔をあたしから背けるようにして、だけどフォークをあたしに向けるから、仕方がなく変形〝あーん〟。

 恥ずかしくてもしょもしょと食べていたあたしは、早瀬がズボンのポケットからスマホを取り出して、表情を曇らせていたことに気づかずに、やって来た店員さんが持つ豪華パフェに心を奪われて。

 よかった。

 せっかくだったけれど、ラズベリーモンブラン、味なんかわからないから、自分のを堪能しよう。

 あたしのパフェは、広口のガラスカップの中に、これでもかと、幸せが詰め込まれている。
 
 嬉しくてほくほくして食べる。
 一口食べたら、ほっぺたが落っこちそうなほどおいしくて、次々と食べる。

 チョコとベリーの組み合わせもいい!!

 ……気づくと、テーブルの上に片肘をついたまま、詰るような目で早瀬があたしを見ている。

「な、なに? 欲しいなら、あげるよ。はい」

 あーんは却下して、器ごと早瀬に押しつけるが、早瀬はさらにじとっとした目であたしを見た。

「いらないなら、それ返して……」

 パフェを取り戻そうとするが、早瀬の手がそれを遠ざけた。

「……返してってば」

「むかつく」

「へ?」

「なんで、俺よりこっちの方が嬉しそうなわけ?」

「え、美味しいから……」

 すると早瀬はスプーンを持つあたしの手を掴んで、パフェの中にスプーンを入れて山盛りにすると、あたしの手ごと口に運んで男らしい首筋を見せつけるようにして、食べる。

 あ……間接キスだ。

 なんて思ったら、もう手が離れないこの状況をどうにかして欲しいと、あたしも赤い顔を早瀬から背けると、急に艶めかしいなにかで指を舐められて、飛び上がる。

「それ、手! あたしの指!」
 
「わかってるよ」

 わかっているのなら、そんなに美味しそうにぺろぺろしないでよ。

「ずっげー、顔真っ赤。こんな程度で赤くなるのなら、お前金曜日どうするんだよ」

 意味ありげな、それでいて挑発的な眼差し。

「……っ、な、なななな!!」

 あたしは全力で手を早瀬の元から奪い取った。

「……身体の隅から隅まで、舐めるぞ?」

「ひぃぃぃぃぃぃっ」

「あはははははは」

 全身総毛立ったあたしに、早瀬は愉快そうに笑った。
  
「この鬼畜っ!!」

「鬼畜がお望みなら食うけど。なんだお前、食って欲しいのか。随分とグロい女だな」

「違うぅぅぅぅ!!」

 さらに違う意味で、全身鳥肌が立つ。

「お前、ここほっぺにクリームついてる」

「え、ここ?」

「違う。鈍くせぇ奴だな、もうちょっと来い」

 早くとって欲しいと顔を近づけると、早瀬も顔を近づけてきて……手ではなくて舌であたしの頬を舐めたあと、唇まで舌で舐めて。

 さらには――。

 カシャッ。
 カシャッ。
 カシャッ。

「おー、よく撮れてる撮れてる」

 早瀬がスマホを見て喜んだ。

 至る所から視線を感じる。

 ……今、公衆の面前でなにが起きましたか。
 
「……どうした、固まって」

「………」

「あ、見たいのか。ほら」

 早瀬の口があたしの口角にあたっている瞬間の、美しくも悩ましい早瀬のカメラ目線の顔に対して、驚きのあまりに鼻の穴を広げている……ゴリラのように固まっているあたしの馬鹿面。

 それが角度を変えて何枚も撮されているのに、あたしの馬鹿面だけは治らない。ここまでの顔なら、普段もこんな顔をしているんだろうか。

 モグモグの方がよっぽど可愛い。

 あたしは項垂れ、両手で顔を隠してさめざめと泣いた。

 お嫁行けない。

 その間にも非情な早瀬は店員さんを呼んで、なにかを言っている。

「柚」

「……」

「柚ちゃん」

「……」

「……公衆の面前で、すげぇキスしてやるか?」

「なんでしょう?」

 顔を上げると、予想以上に厳しい顔をした早瀬がいた。

 早瀬は目でスマホを促すと、それを拡大してみせた。

 それは背景となった窓の奥の景色の一点。

 ……黒いボックスカーのようなものが見えた。
   
「な!!」

 早瀬は唇に人差し指をあてて、あたしを黙らせ、違う写真をまた拡大して見せた。
 
 そこには店内の客ではあるのに、堅気ではないようなサングラスの黒服が向かい合わせに座っているという、酷くありえない図。

「これ……」

 そして写真は、そこの席だけではなく、広い店内の他の怪しいふたり……またはひとりの黒服が、明らかにあたし達の方を見ていた。

 女性客が多いのに、明らかに異質だ。

 これを撮るために、キスをしたのだろう。
 どの写真もばっちりと怪しい姿は映っていた。

「今の状況、わかったか?」

 あたしはこくりと頷いた。 

「意味もなく、こんな小っ恥ずかしいことしねぇから。だからいい子だから、俺の言うことを聞くんだ」

 意味ないのなら、別にこんな馬鹿面の写真をこんなに沢山撮らなくてもいいのにと内心思ったが、黙っていた。

「今、なにもしてこないということは、俺達が店を出るところを狙っているのかもしれねぇ。昨日の失敗劇があったから、大人数での捕獲を目論んでるんだろうな、これは」

「……っ」

「この分じゃ、俺の車も抑えられてるかもしれねぇ。俺の車は危ないからここに置いていく。代わりに棗を呼びつけて、その車で動く。予定変更だ」

「なんでわかったの、ここの店に来てるって」

「棗から、今この店に俺がここにいると、誰かがTwitter投稿して拡散しているLINEが来てた。この中の誰かが、普通に投稿したんだろうが、出来るだけ俺、お前を隠してはいたけれど、その写真にお前が少し紛れていたのが見つかったらしい」

 隠されているとも知らず、あたしはバカップルまがいのことに狼狽していたのか。そう思えば、やけに早瀬の身体の位置は動いていた気がするけれど、モテる芸能人だからのマスコミ対策なのか、それともその気配に応じて対処できる男だからなのか。

「朝霞から、まだLINE来てね?」

 あたしは慌ててスマホを見ると、十分前くらいに一件、ひと言だけ来ていた。

 〝早瀬とそこから外に出るな〟
  
「やはり朝霞は事前に情報を聞いていて、お前を庇っているようだ。さてさて、事態収拾班がいねぇのならどう穏便にお前を拉致るか、となれば……逆に俺達が目立たねぇと駄目だな」

「え、いやらしいことは嫌だけど」

「それより目立ってここを出るようにする。お前も、ちょっと覚悟してろよ。虎を檻から放つから。出来るだけ俺に囓らせるようにはするけど」

 早瀬は不穏なことを口にして、スマホを弄った。

 そしてセットの珈琲が来て、飲んでいた時だった。

 窓の外に、真っ赤なBMWが停まったのは。

 そして中から出てきたのは、赤いスーツのボンキュッボンの美女。
 どこぞの大女優だろうか。

 縦巻きの髪を靡かせて、この喫茶店に入ってくる。

 華やかな絶世の美女。
 誰もが目を奪われる。

「ねぇ、こっちにやって来るけど。あの赤いひと。あなたの知り合い?」

 そう尋ねた時だった。

 珈琲カップの把手に優雅に指を絡ませて飲もうとしていた早瀬に、その美女が後ろから抱きついたのは。

「須王ちゃん、お久しぶり~!! 連絡くれてありがとう。私、早くまたあなたに抱かれたくて」

 そして、目の前で……ぶっちゅうとばかりに唇が重なった。

 トラウマが、フラッシュバックする。

 音楽室で見たような光景。

 見たような、ではない。
 ここまで派手ではなかったけれど、このひと……あの時の女性じゃないか。

 はは……。

 なにが手で隠していたよ。
 なにが、そんな女はいない、よ。

 いるじゃないか。

――私、早くまたあなたに抱かれたくて。

 手の切れていない女が。

 女は艶然とあたしを見ていて。

 そして早瀬は――。

「違う、これは――っ!!」

「嘘つき!!! 最低!!!!」

 あたしは憤然と立ち上がり、よろけながら店の外に出て行く。

「待てよ、柚っ!!」

 後から追いかける早瀬に腕を掴まれる。
 
 それをぱしっと手で払いながら歩く。

「離してよ、離し……」

 ……その時だ。

 後ろから駆けて来た美女があたしの腕を掴んで、BMWの後部座席のドアを開けると、あたしを押し込んだのは。
  
「須王、早く!!」

 美女の声。
 そして早瀬が助手席に座り、美女が運転席に座ってエンジンをかけた。

 慌てて黒服達が出てくる。

 車は少しバックして……猛スピードで道路を走った。

「え? え? え?」

 なにがなんだかわからない。

 拉致られたのかとも思うけれど、早瀬が乗り込んでいるのならこれは拉致ではない。だったら一体、なに?

「柚チャン、おひさ~。ごめんね、猛烈なの須王にかまして」

 美女が、フロントミラー越しに話しかけてくる。

 おひさ……って、お久しぶりということよね。
 やはり、九年前に早瀬とキスをしていたひと……。

「きゅ、九年越しの……早瀬さんの……恋人さん、ですか?」

 心が悲鳴……いや絶叫を上げている。

 早瀬が切れなかった女がいたということに。
 そして女優も霞むようなこんな美女を相手にしていたことに。

 ハナからあたしなんて、眼中になかったんだ。
 わかっていたのに、悔しくて――。

 だけど。

「上原、違うからな!! ありえねぇからな!!」

 早瀬の怒声と、

「ぶははははは!! 私は迫っているんだけどね、全然須王ちゃん靡いてくれなくてね……」

 笑う美女の声がユニゾンして。

「……えーと」

「いやーん、同級生を忘れちゃったの? 上原サン」

「は? 同級生……って」

 そして行き当たるのは、ひとつの事柄。

 まさか――。

「てめぇぇぇぇ……覚えてろよ、俺をひっぱたけと言ったのに、なにしやがったんだよ、棗!!!!」

 な、棗くん……?

「あらぁ、私を危険に巻き込んだんだから、それくらいいいでしょう? お久しぶりでーす。私、白城棗、柚チャンと同い年で、須王と同性でーす」

 後部座席で、脱力したあたしはずるっと滑り落ちた。

「は、はは……」

 早瀬の友達、白城棗くんは……見た目は超美女の男性でした。

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