エリュシオンでささやいて

奏多

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第6章 Overture Voice

 8.

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「……解除条件はなんだ。上原の拉致か」

「そうだ」

 朝霞さんは頷いた。

「どう解除する」

「監視役が上原拉致を確認して連絡したら、連絡先が解除する」

「お前はその連絡先に、連絡出来ないのか?」

「え?」

「仮に、想定外のことが起こり、たとえばお前も監視役も拉致出来ない状態であると告げたら、中断出来るか?」

「ありえない。監視役は単数ではない。皆が拉致不可能と思わせないといけないんだぞ。骨折程度では、見せしめに笠井が爆発されるだけだ」

 真理絵さんの声は笑い声になって、最早人間の言葉ではなく。

 うひゃひゃひゃとか、い゛い゛い゛とか、壊れかけている。

 早く救ってあげたいのに、下手に手出しが出来ないのがもどかしくて。

「骨折程度でなければいいわけだな?」

 超然と笑う早瀬に、怪訝な顔をして朝霞さんが尋ねる。

「なぜそう易々と言える? わかっているのか、上原の敵の正体を」

「〝我らは永久の闇より汝を求めん〟」

 それは前、赤いBMWで棗くんが言っていた呪文。

 明らかに朝霞さんは動揺した。

「ちっ。外が動き出したな。……朝霞、俺達と来るか?」

「いや、俺にはやることがある」

 朝霞さんはいつもの優しい笑みを浮かべてあたしを見た。

「なにがあっても、生きろよ。上原」

「朝霞さん、一緒に……」

 今生の別れのように感じてしまったあたしに、朝霞さんは頭を横に振った。

「俺は笠井を助ける」

 朝霞さんは、いつだって仲間を見捨てないひとなんだ。
 だから皆、朝霞さんを慕ったんだ。
 朝霞さんならなんとかしてくれると。

「じゃあ真理絵さんも一緒に逃げましょう」

「俺の監視として笠井は利用されている。笠井だけじゃない。他の社員も〝飼育〟されている」

「な!」
 
 飼育ってなによ!
 家畜のように扱っているってこと!?  
「全員の無事が確認出来るまで、俺だけ逃げられない。今は笠井も足手まといになるだけだ。連中の狙いはお前だ。……共倒れするより、笠井は残った方がいい」

「……っ」

「俺が止めてやる。……今まで口だけで来れたんだ。今度もなんとかなるさ」

 時間はあと80秒を切った。

「そうか。だったらせめて今……、お前の言葉に信憑性を出すために、派手にやってるよ」

 早瀬は悲哀に満ちた顔で言った。

「……上原、追加分の肉の蓋をとれ!」

「へ?」

 突然の意味不明な言葉に、あたしの声がひっくり返った。

 まさか、お肉がもったいないからここでシャブシャブしようとか、肉を奪って逃げようとか言うのだろうか。
 
 驚きの中にいるあたしは、いつの間にかあたしの手が裕貴くんの目から外れていることにも気づかず。

「早く! 中のを俺に寄越せ!」

 怒声に怯えながら、蓋を開けたら――細い筒状のものと、黒い銃があった。

「ひぃぃぃぃっ!!」

「ただのモデルガンだ。早く!」

 いや絶対、この使い込んでいるような感じは本物だ。
 棗くんの差し入れは、早瀬への銃だったなんて!

「ひぃぃぃぃっ!!」

 とてんと後ろに転がってしまうあたしの横で、裕貴くんがさっと動き銃を早瀬に投げた。早瀬は片手で銃を受け取り、さらに続けて裕貴くんが投げて寄越した筒みたいのものを回すようにして銃の先に取り付け、銃の背を撫でるようにしてカチャリと音をたてると、銃口を朝霞さんに向けた。

「ちょ、ちょ、早瀬、駄目だって! 早瀬!!」

 一体、なにをしようとしてるのよ!

「早瀬!!」

「ふんばれよ」

 右手で構える早瀬の銃が、左斜め45度に傾いた。

 その指が引き金にかかり――。

 パシュ!!

 いつもの爆音ではなく、空気音を強めたような音がしたと同時に、朝霞さんが左の上腕を抑えた。

 血がどくどく出ている。

「朝霞さん……!! 早瀬っ」

「大丈夫だ、掠めてくれた。……行ってくれ、また会おう」

 朝霞さんは辛そうに笑う。

「朝霞さん、一緒に!」

「行け! いいか上原、ザクロを口にするなよ」

「え、柘榴?」

「……冥府から、抜け出せなくなる」

 それはギリシャ神話の話?
 なんでそれをあたしに?
  
 質問しようとした時、どう見ても一般人のみなりをした女性が、乱暴に部屋に入ってくる。

 目から放たれるのは、殺気。

 ああ、敵は黒服だけじゃないんだ。
 そうだよね、木場で店員さんになりすましていたものね……などとどうでもいいことを考えているあたしの前で、女は銃を取り出した。

 なんで日本で、こんなにたくさん普通に銃が出てくるのよ!!

 銃口が定まるより先に、前に出た早瀬の銃が先に動く。

 パシュ!

 女は右手首を負傷したらしく、銃が転がり、それを早瀬は遠くに蹴り飛ばした。

 それを見ていたらしいパパ役をしていた男が、椅子を両手で持ち上げて早瀬にぶつけようとしたが、早瀬は銃を持っていない左手一本で、素早く床に沈めると、肉弾戦の真っ最中の棗くんの敵の足を銃で撃った。

 凄い命中率。
 モデルガンじゃないよ、硝煙が立ち上ってるじゃないの!

 棗くんは数人、帯のようなものでぐるぐる巻きにして柱に括り付けていた。

 やはり客のフリをしていたのが朝霞さんが知る仲間達であり、給仕さんは奥で怯えているようだが、数人棗くんが倒して床に伸びている。

 やはり店側にもスパイがいたらしい。

 誰が味方で誰が敵かわからない混沌とした状況で、静かな銃の音と耳をつんざくような銃音が交差した只中にいるあたしは、個室での朝霞さんの電話による説得は聞こえていなかった。

「はい、相手はサプレッサー(消音)付の銃を持ち、銃だけではなく格闘技術もかなりの腕前です。はい、負傷者が多く私も……大変な騒ぎになっており、このままでは隠しきれません。はい、これ以上の騒ぎにしないために、仕切り直しを。ひとまず爆弾の解除と撤退のご指示を!」
 

「三芳、裕貴! 上原を頼む!」

「「了解!!」」

 あたしは及び腰になっているというのに、どうしてこのふたりはこんなに好戦的なの!?

 爆弾だの銃だの間近で見せつけられて、どうして?
 それともこれが普通の感覚で、あたしが臆病すぎるの?

 モグモグ、怖いよ……。
 怖いけど、不思議と仲間と居る安心感はあった。

 女帝が、あたしに近づく輩に、華麗なるアッパーを入れて。
 それでも堪えて反撃に出ようとする一見紳士風のおじさまを、後ろから裕貴くんが肉を乗せたままの大皿を叩きつける。

「ちくしょ、肉……っ、肉、肉!! 霜降りの高級松坂牛、一枚でも食べてみたかった!」

 肉っ子らしい裕貴くんの恨めしげな声を聞きながら、女帝が別の男との組み手を苦戦しているから、あたしは傍にあったアク取り用の……アクが半分ほど入った壷を手にすると、その男の顔に豪快に振りまいた。

「ナイス、柚!」

 アクをかぶった男が、汚い顔でよろめいた隙に、女帝渾身のボディブロー。
 がっしりとした体格の男が、口から泡だかアクだかわからないものを垂らして、床に倒れた。

「あ、奈緒さん、横、危ない! ナイフ持ってる、奈緒さん!」

 それはスローモーションのように。
 女帝が振り返り、ナイフが女帝の首元を狙って。

 あたしと裕貴くんが声を上げようとしたその時、着物姿の棗くんが大股で走ってきて、男の横を駆け抜けた。ナイフを持った男の手の肘に、下から腕で掠めたように見えた瞬間、男は全身を硬直させるようにして床に倒れた。
  
「なに、超能力!?」

 女帝が声をあげると、棗くんは笑いながら言った。

「合気道の一種よ。須王もあんたに合気をかけたでしょう? 身体に触れたところはちょっとの力で重心を崩すことが出来るの」

 かつて、バタン、バタンとスタジオで倒されていた女帝は、目を見開く。

 倒した早瀬は――。

 豪快にテーブルをひっくり返すと、銃弾避けの盾がわりにした。そのまま相手を壁に挟むようにしてタックルをすると、銃を構えていた数人はその衝撃に伸びてしまったようだ。

「すご……」

 早瀬は細身の、いわゆる細マッチョタイプだ。

 怪力なのか、棗くんが言っていた合気というものによるものか。
 どうして格闘術や銃の扱いに優れているんだろう。
 
「大丈夫か?」

 あたしを心配して顔を覗き込みながらも、敵に振り返りもしないで手を伸ばし、筒がついた銃で敵の足を正確に撃つ。

「……ねぇ、あなた何者? 棗くんは前職で……というのは、なんとかなくわかるけれど、あなたはただの音楽家なの、本当に?」

「ああ。ただの音楽家だ」

 パシュ!!
 パシュ!!

 ……絶対嘘だ。

「なんで銃を使えるの!?」

「モデルガンだって。男の趣味だ」

「絶対嘘!」

「じゃあ、嘘か本当かお前も撃ってみれば?」

「撃ちません!!」

「あははは。……お前は撃たずに、俺に守られてろ」

 眼鏡越し、流し目の不意打ち。

 クールさに甘さが付加されて。

「俺が守るから」

 うう。
 こんな物騒で危険な状況で、いや、そういう状況ゆえの吊り橋効果だからなのか……、早瀬に守られていることに、心臓打ち抜かれたかのようにきゅんとときめいてしまう……、どうしようもなく不謹慎なあたしだった。
 
 店にいる敵の数、恐らくは三十人以上。

 その中には、サングラスをかけた同じ顔で増殖しているように見える、不気味な黒服はおらず、全員とも顔をさらし女性も混ざっていたのが、なにかひっかかりを覚えた。

 ……とはいえ、女帝とコンビを組んで中々の息を見せる裕貴くん達と、棗くんと早瀬の三方が(あたしもちょっとはお手伝いしたり)が床に沈める……息をしている骸は山積み状態。

 しかしなんで早瀬はこんなに強いんだ?
 
 早瀬は、持っている銃は誰かを助けるためだけに使い、基本体術で相手を倒している。

 背広姿の早瀬の動きは素早く、どんな攻撃も最小限の動きでひらりひらりとかわしていくくせに、敵の身体に打ち付けるリーチの長い手や、嫌味なくらいに長い足などの一撃の衝撃は、見た目以上に凄まじいらしく、悲鳴とは無縁そうな体格いい男達が声を上げて吹き飛ぶ。
 ……中には歯を飛ばした気の毒な女性もいた。

 なんというか……、無駄ない動きなんだ。

 戦い慣れしていた女帝のように、無駄に身体を動かすことなく、体力を温存しつつ相手を倒す……サバイバルで重宝されそうな動きで。

 まさか戦場とか無人島とかで鍛えたわけじゃないだろうに、彼は明らかに素人の動きとは違っていた。

「撤収!」

 凛とした早瀬の声と共に、散っていた皆が早瀬の元に集まり、出口から走って出て行く。

 エレベーターを見た棗くんが声を上げる。

「上に上がってきてる。もしかすると追加要員かもしれない」

「え、まだ来るの!?」

 どれだけの人数が、あたしを攫いにくるのだろう。
 どれだけの、銃を持った怖い人達が。

「早く! 階段で行く」

 早瀬が非常階段と書かれてあるドアを開いていた。
   
 ……この状況なら文句は言う方が筋違いだけれど、ここは八階だ。
 しかも非常階段のくせに、急な階段で。

 転びそうで怖い。

「柚、上りじゃないだけマシだって!」

 裕貴くんのお言葉はごもっともだけれど、あたしの靴、かかとが高いんです。女帝は家からぺちゃんこ靴を履いているけれど、あたし……通勤用の靴なんです!

「ひっ、ひっ」

 転げ落ちそうになるのを堪えて、年寄りのようにぜぇぜぇ息をして手すりに掴まりながら降りると、上から「下だ!」とか「下から上に上がれ!」とか怖い声が聞こえて、身震いした。

 挟み撃ちになるのも嫌だけれど、ここで転げ落ちたら皆まで巻き添え食うと思えば、なんとかして早く降りたいとは思うけれど、こんなに早く駆け下りたこともないあたしは脹ら脛(ふくらはぎ)をパンパンにさせながら、くらくらと貧血状態。

 そしてとうとう、ずるっと階段を踏み外して宙に浮いた瞬間、早瀬の腕の中に居た。

「……悪い、お前の体力考えてなかった」

 体力より、靴なんですけれど。

 そうだ、靴脱いじゃえばいいんだ。
 
 当たり前のことに気づいたあたしが、脱いだ靴を手にして言った。

「ありがとう。靴脱げば大丈夫だから、下ろして……」

 しかし早瀬は下ろしてくれる気配がなく。

 ……え?

「ねぇ、下ろして!」

「嫌だ」

 嫌だってなに!? 

「棗、先頭に。三芳と裕貴後ろに頼む」

「「「了解!!」」」

「下ろしてってば!」

「黙れ。守ると言っただろう!?」

 なんでこのひと、こんな場面で不遜なのよ。

「これは守るんじゃない、ただの意地悪だから、離せ、離せ~!!」

 しかしあたしは、早瀬にお姫様抱っこされながら階段を降りる。

「自分で降りるから!」

「……このまま下に放り投げるか? よく転がるぞ」

「ヨロシクオネガイシマス」

 弱いあたしは速攻諦めた。
  
 ……あたしが駆け下りるより早いってなに。
 あたしはカンガルーの袋に入っているか、親コアラにおんぶされているような気分になってしまった。

 少なくとも、制限された時間内、階段を王子様と駆け下りるシンデレラの気分には到底なれなくて。

「須王、下から来る!」

「須王さん、後ろからも来たよ」

「うわ、沢山の足音よ!?」

 物騒この上なく、完全挟み撃ち。

 横は壁と手すりだけ。
 あたしの頭の中、!と?だけ。

 さあ、どうする!?

 しかし焦っているのは、あたしと女帝と裕貴くんくらいなもので。

「棗、お前イーグル持ってるな」

「さすがね、でもあまり使いたくなかったんだけれど」

 棗くんが帯から取り出したのは、銀色の大きな銃。

「棗くんまで!? なによ、それ!」

 パニックになるあたしに棗くんは嬉しそうに言う。

「これ? デザートイーグルよ」

 名前聞いてないから!
 知らないから!

「うおおお、これがあの有名なデザートイーグル!?」

 しかし裕貴くんが食いついた。
 あたしには、食いつく要素がわからない。
 
 あ、スイーツと勘違いしているとか!?

「須王さんの銃は、なんなの?」

「須王のは、Five-seven(ファイブセブン)よ。クラス3のボディアーマーを貫通できるの。上原サンはどう? どちらが好き?」

 どの程度のボディーアーマーなのかわからないし、仮に凄くても怖いだけだから! 怖い銃に違いはないから!

 なんで「ご飯にする? お風呂にする?」のノリで聞いてくるのよ、棗くん!

「ノーコメントで。敵が来ているのに、なんでこんなにほのぼのしてるの!?」

 音が上と下から聞こえ、今度は似たような黒服の姿が視界に入る。
 そんな時早瀬は、棗くんとの間に裕貴くんと女帝を入れて、上からの黒服達と距離を縮めるから、早瀬の腕の中であたしも縮み上がる。

 いや、別に裕貴くんや女帝を盾にしようとか、そんなの全く思ってないよ?
 だけど、怖がっているのに、さらに近づくこの理不尽さに泣けてきて。
  
「ひぃぃぃぃっ!!」

 宙に浮いたままの状況も災いし、とにかくパニックになるあたしは、早瀬の左肩に俵担ぎにされて、さらにパニック。

 なに、なんなの!?
 あたしを黒服に投げつけて、その間に逃げようとかいう魂胆!?

「Three」

 唐突に早瀬が言うと、

「Two」

 男声で棗くんが答えた。

「One」

 早瀬が言うと、棗くんとふたりで各々の銃を構えて。

「Zero」

 同時にふたりの銃が、三回火を吹いた。

 あたしは棗くん側に頭があったから早瀬の方はわからなかったけれど、先頭の男の足を狙った棗くんの最初の銃弾は、先頭の黒服を集団の障害物とさせ、後ろに落っこちて。

 そして二発目の銃弾は、体勢を崩しながらも懐から銃を取り出した男の、その銃を弾き飛ばして、それが銃を構えていた男の顔に飛んで邪魔をして。

 三発目の銃弾は、障害物を避けて駆け上がろうとした男の足を狙って。

 ズルズルと、ゴロゴロと。

 男達は縺れるようにして階段の下に転がった。
 
 ……裕貴くんと女帝の声が聞こえた。

「すっげぇ……格好いい……」

「三発であんなにバタバタ。しかも殺してないのに」

 ……早瀬の方も見たかった。
 棗くんも凄いけど、早瀬を見たかった。

「下、行くぞ。上原、後ろが来たら言えよ」

 皆が、棗くんが相手にした男達を足で蹴り飛ばして踏みつけながら駆け下りている間、走らなくても済むあたしは後方を監視!

 そりゃあ任された重大な任務は果たしますとも!
 眼光鋭く、後方はあたしが守る!

 柚センサーにひっかかったのはそれから数秒後。
 
「早瀬、階段の上の方で黒服がこっち覗いてる。銃持ってる!」

 舌打ちした早瀬が身体を捻るようにして、銃を早業で発射。

 パシュ!

 銃が転がった音がして、男の顔はなくなった。

 ……しかしよくも一発で仕留めるものだ。
 王様は、狩りがお好きなのか。

 銃が怖いあたしも、違うことに転化させれば、銃がある日常に慣れ始めることが出来そうだ。

 ……いやいや、慣れてどうするんだと自分にツッコミながら、一階につき、さあ小林さんの車に乗り込もうとしてもランクルはなく。

 小林さんになにかあったとか?
  
 その時、一本奥の道から、プップーとクラクションの音が聞こえた。

「撒いていて、遅くなってすまん。乗れ!」

 走り出したあたし達。
 しかし横から飛び出たのは、黒いボックスカー。

 棗くんが銃で前タイヤを狙い、早瀬が後ろタイヤをパンクさせる。
 がっくんと車体が下がった隙に皆が左右に分かれて走る。

 ……早瀬は足が速く、絶対自分で走っていた方が足手まといになっていた。

 出てきた黒服。
 避ける早瀬は、肘鉄で喉元を一撃。
 それでも食らいつく男の頭上に、あたしが手にしている靴でガツンガツンと叩く。勿論踵で。

 奥義『柚キツツキ』! 食らえ!

 ガツンガツンガツン!

 男がのびた。

「お前もやるじゃないか、凶暴」

「どの口がいうのよ」

「あはは」

 早瀬は笑い声を響かせながら、上で屈んだ男の背を踏み台にすると、その場で軽やかに跳ねて、ボックスカーのボンネットから天井にとあっという間に飛び乗った。

 あたしを担いだまま軽やかに夜空に舞う、これこそが本当に夜蝶ではないかとぼんやりと思うあたしは、真理絵さんを連れて朝霞さんがビルから出てきたのを見た。

 夜空から朝霞さんと目が合う。
 声を上げて仲間だと思われたら、真理絵さんがまた大変になる。

 朝霞さんがなんとも言えない哀しげな顔をしたから、あたしは……コメカミに斜めに手をあて敬礼してしまった。

 ありがとう、と。
 それと、やはり朝霞さんはあたしの尊敬する上司だから。

 反対側に降り立ってしまえば、黒いボックスカーが邪魔して朝霞さんは見えなくなった。

 ……きっとすぐに会える気がした。
 
 その時は敵なのか味方なのか、わからないけれど――。
 
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