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第6章 Overture Voice
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「いやあ、私ね正直、柚が『自分が人質になるから』って、あの真理絵って言うひとを助けようとするかとドキドキしてたのよ」
車内で女帝が言った。
「ああ、それもちょっと考えたんだけれど、恐らくは、あたしが人質になる方を選択した方が、皆だけじゃなく真理絵さんも朝霞さんも犠牲になるように感じたの」
「確かに銃をぶっ放して、柚を堂々と攫いに来る連中だから、用なしとばかりにお払い箱になったかもな。一度爆弾が止まっても、また爆発動き出したりしたかも」
裕貴くんが腕組をしながら言う。
「うん。それに朝霞さん驚いていたでしょう? 早いって。それが監視役の告げ口があったから予定変更になったとしても、あたしが囚われても朝霞さんは解除コードを知り得なかったんじゃないかと思ったの。朝霞さんがひとり、振り回されてるだけかもと」
朝霞さんは、真理絵さんと共に使われただけだ。
「棗、どうだったんだ?」
助手席で早瀬が聞く。
「怪しい奴は縛り付けてナイフ突き立てて脅したけれど、解除コードなんて知らなかったようよ」
やっぱり。……というか棗くん、働いていたんだね。
「だったら柚は、逃げるという選択肢をとることで、たくさんの命が助かる方を選んだという感じね」
女帝が満足そうに言った。
「そんな大仰なものではないけれど。なにより時間がなかったし、元々悪い奴が朝霞さんに解除コードを教えるつもりがないのなら、僅かな時間しかないのに、電話の向こうでのらりくらりされたらアウトだし、早瀬の言うように、やむをえない事情で計画を中止させた方が、緊急的に信憑性があるだろうなと、そっちに乗った方がいいと思ったの。朝霞さんがなぜ真理絵さんを引き込んだかわからないけれど」
「朝霞の腕を捻った時、既に朝霞は身体に傷を負っていた」
早瀬が低い声で言った。
「どういうこと!?」
「食事に誘ったのは朝霞だが、もしかすると朝霞は別の計画をたてていたのかもしれない。笠井を巻き込まない方法を。だけど朝霞は情に流されると思われているのか、力で押さえつけているのかもしれねぇ。爆弾となった笠井は朝霞の脅しでもあったんだろう。上原さえ手に入れば、あとはふたり共、あの場で始末されたかもしれねぇな」
「そう思ったら、死んだ人間がいなくてよかったわね。ナイスな判断だったんじゃない?」
棗くんが笑った。
「……お前も、変わってきたのかもな」
早瀬のぼやきにあたしは聞き返す。
「どういうこと?」
「周りを優先できるようになってきたということさ。お前の中にあったのは、俺達の命だったんだろう?」
今のあたしは、自分だけの世界ではない。
大切な人達が増えたのだ。
亜貴のいない世界に、亜貴同等の存在の人達がいる。
「あの状況の中で、仮に無意識にしても、自己犠牲に頼ることなくベストの選択肢を選べたのは上出来だな」
「……っ」
「そうやって、お前を含めた全員が生き残れる道を探せ」
「うん」
あたしは窓から夜景を見た。
東京の夜景は見慣れているはずなのに、あまりに綺麗な景色に思えて、涙が出てきた。
「ねぇ柚。これ、柚のバッグだろう? 置いていったんだよね、確か」
裕貴くんがあたしに声をかけてきたから、慌てて指で涙を拭う。
「ええ」
「なんか光ってるよ?」
バッグを受け取ると、確かにバッグの中が発光していてすぐ消えた。
それはどうやらスマホに通知が来ていたためらしい。
上着に入れたつもりで、忘れていったんだ。
メールかなと思い画面をチェックしてみると、見慣れない通知が来ていた。
『不正アクセスされています』
それはシークレットムーンで借りたセキュリティのソフトからだ。
連携していたから、通知がきたんだ。
通知をスライドさせて見てみる。
「どうした?」
「早瀬、ひっかかったみたい」
「え?」
「オリンピアのスパイがわかったかも」
『渡瀬茂さんのパソコンからの不正アクセスです』
「うちの課長だわ」
「課長って、あのデブハゲか?」
「うん。あたし今日、シークレットムーンに行って、セキュリティ強化のために出来ることはないか相談してきたんだ。そうしたら、開発中の監視ソフトだっていうのを貸してくれて、パソコンに入れてみたの。不正アクセスがあったら、スマホに通知がくるような設定をしてたら、通知が来て。それが課長だったの」
「それはねぇだろう」
「でも通知が……」
「私も早瀬さんに同感。柚の上司であるのなら、柚のパソコンからなにを見るというの? だって柚、課長に仕事は進捗情報も含めて、逐一報告しているんでしょう?」
女帝が口にした疑問に、興奮に息巻いていたあたしは、おやと首を傾げた。
「そうだよね? 課長なら、内部機密の共有ファイルも自由に見れるよね」
「柚、インストールの設定間違えたんじゃない?」
「え、でもちゃんと正常に終了しましたって画面に出たよ?」
「どう思う裕貴、機械に強いんでしょう?」
「俺にふる!? 俺はプログラムとか社内LANとか、そういう機械に対しての勉強はしてないんだって! あくまでメディアとか情報社会の一般常識を……」
「……棗」
その時、早瀬の声が車内に響いた。
「お前、マトリの時から俺に隠れて裏で連絡取ってるんだろ? どうせあいつはお前を私的な情報屋にしてのし上がったんだから、こっちの頼みも言え」
「あら、須王にとっても頼みなら、自分でかければいいじゃない。電話番号知っているんでしょう?」
「断固拒否」
「……電話が嫌なら、直接行けば……「お前の学生時代の写真、こいつらに晒すか?」」
「な、なにを言っているの! わかったわよ、もう……あ、もしもし。ナイチョウの白城です」
棗くんは電話をかけたらしい。
学生時代の写真って、高校時代のも含まれているよね?
え、そんなに恥ずかしいものなの?
え、棗くんはその時から女装してたの、男装だったの?
いまだ棗くんの過去の顔は、へのへのもへじ。
「……あ、はい、ようやく帰国出来ました。ええ、はい。……久しぶりの日本を堪能する暇もなく、早速須王にこき使われてます、あははは」
……しかし棗くん、どうしてこんなに女声を出せるのだろう。
ちゃんと低い男声も出せるのに、女声も違和感がない。
ウグイス嬢でも大丈夫そうだし、コールセンターにいそうな綺麗な女声なのに、どうして性別は男なんだろう。
「え、棗姉さん今、ナイチョウって言った?」
「なに、裕貴くん」
すると裕貴くんは鼻息荒く教えてくれた。
「内調は、内閣情報調査室の略で、内閣総理直下の情報部門のことだよ。日本の情報機関のトップみたいなもの! 滅茶苦茶エリートじゃん、こんなナリしてるのに。元マトリで今は内調なんて、すげぇ格好いい!」
……そうらしい。
「じゃあこいつが、海外に行ってたのは、そのナイチョウとやらがAOPを追っていたからなの? え、国際部門にいるの、こいつ」
こいつ呼ばわりをするのは女帝だ。
謎の多い棗くんの正体を、早瀬は知っているのだろうか。
じゃあ棗くんは、早瀬が何者かを知っているの?
あたしの知らない早瀬を。
「――はい、というわけでよろしくお願いします」
結局なにを誰に頼んだのかわからないまま、棗くんは電話を切った。
裕貴くんも女帝も話し込んでいたから、内容を聞いていないらしい。
「須王。ワタルさん、シュウくんは今とっても仕事が忙しいから、別のひとに頼むかもしれないといってたわ」
「……ちっ。何様だよ、上も上ならやはり下も下だな」
ワタルさん……。
あたしの頭の中に、早瀬のプライベート用のスマホに登録してあった、大嫌いらしい……『渉』の文字が浮かんだ。
もしかして早瀬、その渉さんに電話をしたくなかったから、棗くんが代わりに電話をして、渉さんではなくシュウくんというひとに、なにかを頼んだとか?
「誰なの、ワタルさんとシュウさんって」
「いいんだよ、お前は知らなくて。ああ本当に、名前が飛び交うだけでも全身に鳥肌が立つ」
……可哀想なワタルさんとシュウさん。
頼んでいるのはこっちの方なのに、思いきり嫌われてしまって。
「まあとにかく、スパイをするにはあのデブハゲでは役立たずに思えるから、そのソフトが記録してるもっと厳密なログ解析と監視を、専門に頼んだ。指示が来たら、その通りにしてくれ」
「わかった。だけど、借りたプログラムのログ解析だったら、シークレットムーンに頼めば……。これ香月課長が作ったらしいから、彼に……」
「いいんだよ! 絶対お前、あいつに会うなよ!?」
「あいつって……、やっぱり知ってるんだ?」
「知らねぇって言ってるだろ!?」
ムキになる早瀬と、笑い転げる棗くん。
一体なんなんだ?
それから二日後の水曜日、シークレットムーンにUSBを返しに行ったら、鹿沼さんは香月課長と外出していた。
「では結城課長は……」
「結城課長も出かけているっす。色々回っているんで、いつ帰るかわからないっす」
やたらガタイのいい男性は、分厚い唇からしゅうしゅうと空気を吐き出した。
……いかにも体育会系、のひとも、IT会社にはにいるんだ?
「ではこれを鹿沼さんに、ありがとうございましたとお渡し下さい」
この中身は、既に棗くんが早瀬のスタジオのパソコンを通してコピーしてある。そして棗くんを通して、あたしのパソコンのUSB口に小指の爪ほどの無線機みたいなものをとりつけるように指示された。
これであたしのパソコンが、外部からコントロール出来るようになり、いつでも解析に覗かれている状況になっている……らしい。
機械はちんぷんかんぷんのあたしとしては、どうして覗けるようになるのか理屈がまったくわからないけれど、しばらくこれで遠隔的に様子を見ることになったとはいえ、昨日、また茂が不正アクセスしていると、スマホに通知が来た。
しかし茂は、昨日は早く帰っていた。
また会社に戻ってアクセスしたのか。
それとも、別人が茂のパソコンからアクセスしてきたのか。
戻ってアクセスするほどのものが今のパソコンには入っていないことは、月曜日に既にわかったはずだ。
さらに別人が茂のパソコンを使っているのなら、なんであたしのパソコンから直接ログインしないのかわからない。
茂のパスワードだけを知っていたというだけのことにしても、なんで知り得たのか。
大体なんであたしのパソコンを覗くんだろう。
あたしのパソコンは、なにか特別な仕掛けがなされているのだろうか。
機密情報を覗くなら、課長や部長クラスの方がいいのに。
なにひとつわからない中でのログ解析に、新たな事実がわかればいいなあと思っている。
「ええと、あなたのお名前を伺ってもよろしいっすか?」
……このひと、「っす」としゅうしゅうが口癖らしい。
本人は大真面目なのが余計におかしくて、笑いたくなるのを必死で堪える。
「上原です。上のエリュシオンの」
「了解っす! ちゃんと主任に渡すっす!」
すっすに笑いたい。
だけど緩む口を一度引き結んでから聞いてみた。
「ひとつお伺いしたいんですが……」
「なんっすか?」
「香月課長のフルネームはなんというんですか?」
……夜、ふと思った。
ワタルとシュウと言う名前の反応と、香月課長に対する反応は似ている。
もしかして、香月課長がそのワタルかシュウではないかと。
「課長っすか? コウヅキシュウっす!」
ビンゴ!!
つまり早瀬は香月課長にログ解析をやらせようと、棗くんに、ワタルというひとに香月課長に頼めと電話をかけさせたのか。実際のところ、今解析がどこでなされているのかはわからないけれど、早瀬はシュウさんに頼もうとしていたことには変わらない。
下にいるじゃん!!
電話番号しらなかったにしても、下の階に降りてきて、自分で直接言えばいいじゃん!!
なんで他人に手間をかけさせる、面倒な王様なのかしら!
早瀬須王は不思議な男だ。
*+†+*――*+†+*
木曜日――。
小林さんなり棗くんなりの車での送迎ががっちりなされているせいなのか、黒服なり朝霞さんの仲間なりは現われない。
ほっと安堵すると同時に、この間にもなにか策が巡らされているのかと思えば、得体の知れない不安ばかりが充満している。
ログ解析は続いている。
来週にでも報告は出るようだ。
――俺がひっかかっているのは、共有フォルダなりネットワークを介して誰かのパソコンを見ようとするのなら、そのパソコンもパスワードをなされてネットワークに入った状態じゃないといけねぇだろ。
つまりあたしが毎日パスワードを変えていても、それでも難なくログインされていることになる。
そうなれば、パスワード提出をしている茂が怪しいが、昨日の水曜日に茂に知らせなかったのだが、やはりログイン形跡はある。
……一応、早瀬に言われて偽のHEDESプロジェクトの詳細を適当に書いたファイルを入れてみたりしている。
この内容に踊らされるのなら、完全にあたしのパソコンが目をつけられていることになるのだ。
今日、あたしは正式に続行することになったHADESプロジェクトメンバーとして、早瀬に公に任命された。
それには女帝の力もあったらしい。
そんなことで、スパイに備えての表向きのものに参加しながら、早瀬は実際実行するつもりのものと、二重のプロジェクトを進行させることになった。
裕貴くんや小林さん、そして棗くんが入るのは早瀬の中では確定事項らしく、早瀬の無茶な要望に合わせて連日練習している。
裕貴くんは、来週からスタジオから学校に通うことを決めたらしく、早瀬が直々に裕貴くんの家に挨拶に行ったようだ。
まるでお嫁に貰います、と言わんばかりの正式な挨拶をされた家族は、ただ頷くことしか出来なかったようで、反対もされないまま、(女だけの)家族公認のスタジオ生活となった。(ちなみにその場のサインは逃げてきたようだ)
そしてあたしは――。
早瀬と同じ場所に帰ってはいるものの、他の仕事を山に抱えてスタジオでこなす早瀬とは、会社でもふたりで喋る機会に恵まれず、明日に迫った告白もなんだか流れてしまうのではないかという不安に苛まれていた。
その方がいいかもしれないと思う反面、やはり早瀬ともう少し改善した関係になりたいと思うし、あれだけ金曜日は抱く抱く言われていれば、やはりその気でいたというか……。
なんだろう、早瀬が近いのに遠くて。
見えない敵の正体を掴もうとしたり、色々気を遣ってくれているのはわかるけれど、金曜日決行なのかどうかもわからないほど、ふたりきりになる時間もなくて。
狙われている状況で、告白なんてよしなさいと神様に言われているような気もして。
あたしは会議室の一室で、女帝が父親を脅して、違約金を請求した賠償金とばかりに奪い取った……デモテープを聴きながらため息をついていた。
泣きたくなるほど、心に響かない。
あたしの心が私的な感情に囚われているからかもしれないと、一度社内を駆け回って頭をクリアにしてから聞いてみたが、やはり心に響かない。
「凹む……」
そうテーブルに突っ伏して、表面の冷たさを左頬で感じていた時。
「サボりか?」
右頬に冷たいものがあてられて、慌てて顔を上げれば早瀬が缶コーヒーを持って笑いながら立っていた。
……早瀬ロスに陥っていたあたしは、抱きつきたい衝動を堪えて。
「どうしたよ」
笑いながら早瀬は、あたしの隣の椅子に座った。
「なぁ、柚」
柚と久々に呼ばれて、嬉しくて泣きそうだ。
「お、お元気ですか?」
「徹夜続きだけどな」
「じゃ、じゃあ明日はナシということですね」
内心、しゅんとする。
「それはねぇだろう、お前」
早瀬にデコピンされたのが、思いきりあたしにヒットして、痛くて涙が出てきた。
「なんのために俺が急ピッチで仕事を上げて、明日納品出来る状態にしたと思ってる」
「え?」
早瀬が涙で滲む。
「夜這いもしねぇで毎日我慢してるんだから、明日はナシとかいうな。今の俺を支えているのは、明日お前を抱くことなんだから」
「……っ」
「明日は、俺にとって特別になった。……明日はスタジオに帰らねぇぞ。ちゃんと皆に宣言してある。お前と他に泊まって、日曜に戻ると」
「な、なんで宣言……」
だから昨日、皆がにやにやしていたのか。
あたしが金曜日に告白すると言ったことには、にやにやされなかったのに、早瀬のせいで邪なものに曲がってしまったんじゃない?
いやまあ、セックスしている関係だとは女帝と裕貴くんには話したけれど、最年長の小林さんと、同級生の棗くんに知られるなんて。
「別に隠すような奴らじゃねぇし。こんな時だから余計……俺はお前とふたりでいたい」
早瀬はテーブルに片肘をついて顎を乗せながら、片手であたしの髪を指に絡めて遊び始める。
「明日、希望ある? どこに泊まりてぇ?」
この男は。
どうして今まで放置しておいて(皆の前では会話はしたけれど)、突然に甘えるようにして直球を投げるんだろう。
なんでこんなに心臓に悪い男なんだろう。
「また夜景が見えるところがいい? 横浜のリベンジしようか」
早瀬の甘やかな眼差しに、心が切なく音をたてて。
ダークブルーの瞳に、惚けるようにして吸い込まれていく――。
「品川のいつものところはやめような。違うところにしよう」
「……っ」
「なぁ、どこがいいよ? 日曜まで連泊してもいいし、別のところでもいいし。スイートがいいの? 今日中に予約しねぇと」
ちょっとやつれたように思えるのは、きっと徹夜をしていたからなんだろう。だけどそれでも少し翳っただけに過ぎない美しい顔を少し傾けて、嬉しそうに聞いてくるから。
「あたしは……」
「ん?」
「……早瀬の家がいい」
そう言ってしまった。
「は? 俺の家?」
驚いたらしく、斜めの顔が真っ直ぐになる。
「なんでよ?」
「理由がなきゃ、行っちゃ駄目?」
「駄目ではねぇけど……」
早瀬は頭を掻いて言う。
「まさかそう来るとは思っていなかったな。俺の家、殺風景で面白みもなにもねぇぞ? もっと他のところの方が……」
「早瀬の自宅がいいの!」
思わず声を荒げてしまった。
「……それとも、あたしには見せたくない?」
今まで一度だって、早瀬は自分の家を口にしてこなかった。
だから行ってみたいんだ、素の早瀬が見える場所に。
だけど、早瀬は考え込んでいる。
考え込むほど、あたしは入れたくないの?
心が寒くなってくる。
「……わかった。見せたくないなら別にいいよ。今までもそうだったんだから……」
「いや、見せたくないとかじゃねぇんだ。もっと、別の意味でどう捉えていいか、考えたというか」
「別の意味って?」
「……期待しちまうというか」
早瀬は片手を伸ばしてあたしの頭を撫でた。
「期待?」
「……お前は、俺のプライベートに踏み込みてぇんだと」
それは真剣な面差しで。
「別に今もプライベートで……」
「意味が違うだろ? お前だって俺を入れようとしなかった。前は俺が無理矢理押し入っただけのことは俺だってわかる。でもこれは、お前の意思表示だ。俺の領域に踏み込みたいと」
「……っ」
「お前、俺に線を引いていただろう? だからお前が嫌がると思ったから呼ばなかっただけだ。お前が来たいというのなら……全然構わねぇよ」
ダークブルーの瞳が細められて。
「俺の領域で抱かれてぇのなら、俺は遠慮しねぇぞ」
「え、遠慮……?」
「当然だろ。嫌がる女抱くのじゃねぇのなら。……それでもいいのか?」
ずるいよ、そのいい方。
「あなたは、あたしを入れて本当にいいの?」
「当然だろうが。俺、舞い上がりそうなんだけど」
「………」
拒否されなかったことに安心しながら、嬉しそうに目を細める早瀬を見て、あたしはもしかして、行ってはいけない場所を指定してしまったのではないかと思った。
「……なんで眉間に皺よ」
早瀬は笑いながら身体を伸ばし、あたしの唇に触れるだけの軽いキスをした。
「ちょっ!!」
「キス、お前に嫌がられたけど、これは俺が頑張ったご褒美に貰っておく。本当は深いのしたいけど」
「……っ、い、嫌がられる、って?」
「嫌なんだろ? するなと言ったのお前だろう。酔った時もしちまったけど、反省して我慢してるんじゃねぇか。……っと、時間だ」
苦笑しながら早瀬が立ち上がり、離れて行こうとする。
あたしは慌てて早瀬の腕を掴んで言った。
「別に、嫌じゃない」
「は?」
「だから、あなたとキスするの、嫌じゃないの!」
ぼっと顔が赤くなる。
「お前……」
早瀬の手が伸びる。
可愛くないあたしは、早瀬と同じ空間にいるのが居たたまれなくて、あたしの方が早瀬を置いて走って出て行こうとした。
だが――。
「言い捨てすんなよ、馬鹿」
早瀬が後ろから抱きしめてくる。
ああ、ベリームスクの匂いだ。
凄く安心して、涙がでそう。
「人の気もしらねぇで、なに煽るわけ、お前」
「べ、別に……」
「ああ、明日すぐ抱きてぇ。だけど、その前に、話をしよう」
どきっとする。
「今度は俺、逃げねぇから」
切なげな声が耳に残る。
「お前の心も欲しい」
……それはあたしもだ。
早瀬の心が欲しい。
今までのように、苦しくて辛い抱かれ方はしたくない。
だけど、早瀬の返答次第でそうなってしまう可能性もある。
それが、怖い。
だけど――。
「あたしも、逃げない」
変えたいんだ。
早瀬を理解したいし、早瀬に理解して貰いたい。
今度は傷つくことを怖れずに、ちゃんと正面から。
「……上等だ」
早瀬は中々あたしを離さなかった。
物音がする度に逃げようとするあたしを力で押さえつけるようにして。
見られてもいいと彼は言った。
人の目は怖くないと。
怖いのは……と言って早瀬は口を噤(つぐ)んだ。
二年も早瀬を嫌いだと拒んでいたあたしが、実はあなたを好きだといったら、彼はどんな反応をするだろう。
戸惑う?
呆れる?
面倒だと思う?
あたしの本気を、少しでも受け止めて欲しい。
散々苦しんで、それでも出た結論なの。
昔も今も好きなのだと。
性処理ではない、普通の関係になりたいと。
あたしを、どうか拒まないで。
あたしを、どうか嫌わないで。
九年前のように、置いていってしまわないで――。
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