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第7章 Staying Voice
14.
しおりを挟む「内調に怖い物知らずのハッカーが入ったってことか?」
「ハッカー被害に遭ったのか、内調に敵の手がかかったものがいたのかわからないけれど、セキュリティレベル3のものを易々とはたとえ内部のものでも難しいわね。閲覧するには最低限、私達調査員のIDと、上の許可のパスワードがないと無理だから。内調内部の仕業であるのなら、単独犯は考えられないわ」
……なんだか難しいことを言われたが、内部的ではなく外部的だというのならば。
「朝霞さんのお食事会自体が、他の誰かも絡んで計画的だったと?」
「ええ。そう言わざるを得ないわ。そして店に居たのは、変装したり、肉や野菜になにかを振りかける知恵がある輩達」
「うぉ~、俺食わなくてよかった~」
「私が持ってきた時点でそんな心配はないわ」
「……くっ、やっぱり食べればよかった。松坂牛~」
棗くんは裕貴くんの肩をポンポンと叩いた。
「だけど階段や地上には黒服と黒いボックスカーが来たわね。店に入り協力しようとはしていない。応援で黒服が来たようには思えないのよね」
「つまり朝霞がどちらかに流したのかはわからねぇけど、もう一方も独自に情報が漏れているということか」
「そうね、スパイがいる。朝霞さんの方か、私達の方かに」
「ちょっと待ってよ、棗くん。だったらあたし達の仲間にスパイがいるということ!?」
「理屈上ではそうなるわね。可能性はゼロではない」
「ありえないよ。皆身体を張ってくれたあたしの大好きなひと達ばかりだよ!?」
「それでも擬態する能力が高かったら?」
棗くんの茶色い瞳は温度を無くしている。
「あのさぁ、あんた。仲間割れ画策している時点で、あんたも怪しいわよね。早瀬さんと柚の同級生だったかもしれないけれど、実はフリをして柚を追う内調やらのスパイかもしれないじゃない。内調ぐるみで銃を用意出来た。つまり拉致ようとしている勢力のひとつに内調さんもいるかもしれないわ。あんたをスパイにして!」
女帝が、人差し指を棗くんに突きつけた。
「どうして銃を扱える音楽家は疑わないのかしら」
棗くんは艶然と微笑む。
「そこにいる高校生だって、まるで昔からの仲間のようにしているけれど、横浜で上原サンと須王と会ったのが、実は計画的だったとは疑わないの?」
「ちょっと、棗くん……っ」
「あなたも、オリンピアを助けた音楽協会にいる男を父親に持つ。そして父親も弟も須王を根に持っている。あなただけが須王の味方という確証はない。今まで虐めていた上原サンに、優しくした・されたから友達だなんて本気で言えるのなら、お笑いよ。そんな生温い関係を友情とするのなら、それを味方だという理由にしないで」
「なっ、言わせておけば……」
「いい? 上原サンも。自分が好感を持てるからとか、命をかけてくれたからという主観的な理由が味方の証拠にはならない。むしろ本当に悪意を持って近づく奴らは、好意を見せるわ。そして正義を振りかざして、刷り込むの。自分は裏切らない、味方なのだと」
「私のことを馬鹿にしてるの!?」
「姐さん、棗姉さんストップ!! 熱くならないでって!」
「そうよ、落ち着いて、棗くん! 奈緒さん!」
しかし激高する奈緒さんと、冷ややかな棗くんの応酬は止まらない。
「私が敵だというのなら、証拠を見せなさいよ」
「知ってる? 証拠の有無って敵の常套句なの。証拠というもので真偽の目をそらせる手口。すり替えをしているの」
「なっ!」
「やめてってば! 須王、止めてよ。なに楽観視してるのよ!」
くつろぐような姿勢を崩さない須王に、あたしは悲鳴のような声を出した。
「いや……、棗はおかしなことは言ってねぇぞ」
「須王!」
「今日友だと思っても明日そうだとはわからねぇ。そういう奴らを敵に回しているのは間違いねぇ」
須王の涼やかな声が空気を震わせる。
「そうなった時、敵か味方かを判断するものが、好意という主観的では足元掬われる」
「でも俺達敵にならないよ!」
「いいか、柚の記憶のように改竄してくるかもしれねぇんだ。あるものがないと言い切れれば、拷問しても真実は出てこねぇ。本人がそう思っているのだから、違和感も不可解さもまったくねぇんだよ。今のこの場にいる俺も棗も裕貴も三芳も柚も小林も、もし敵の手がかかっていても、スパイという自覚もねぇかもしれねぇ。友情があるかないかだけを敵味方の判断基準にしていたら、いずれ全滅だ。その自覚と客観性は失うな」
誰もなにも言えなかった。
女帝が拳を振るわせていて、行き場のない怒りを抑圧しているようで。
そして棗くんは至って冷ややかなまま、ちょっと休憩してくるとこの場から立ち、どこかにドアがあるようで、パタンと閉まる音が聞こえた。
「俺もひとのことは言えねぇが、棗も集団で動くのは得意じゃねぇんだ。あいつも俺も、近しい奴らに裏切られて生きてきた。ようやく俺はあいつを、あいつは俺を、裏切らねぇ奴だと認識出来たばかり。棗は特に仕事柄疑ってかかる癖がある。だからああいう言い方しか出来ねぇんだ。慣れればマシになるから、ここのところは堪えてくれ」
須王がひとのために口を挟むのを聞いたのは初めてかもしれない。
「ちょっとあいつを見てくる。柚、裕貴。悪いが三芳見ててくれ」
「わかった」
あたしと裕貴くんは同時に返事をして、暗い表情をしている女帝をソファに座らせた。
「たとえばの話でも、ちょっと言い過ぎだったよな、棗姉さん。だから姐さんに非があったわけじゃないこと皆わかっているから」
「そうよ奈緒さん。元気を……」
「……よね」
女帝がぼそっと言った物が聞き取れず、あたしと裕貴くんは顔を見合わせて女帝の口元に耳をそばだてる。
「言った通りだなって。私、どこにも味方だといえるものがない。元ヤンの私は柚を虐めていた……ただの受付嬢だし、父親と弟はああだし。ここで柚が友達だと言って貰えて、非常に恵まれているんだなって」
「ええと……姐さん?」
「改めて思うとそうよね。あいつ間違ったことは言っていないわ。私は十分スパイの要素あるもの。それを信じて貰えているのが友情だけという、これまた不確かなものだけしかないことに気づいた」
「な、奈緒さん、そこまで考えなくても……」
「確かに記憶を変えられてしまったら元も子もないわよね。だったらさ、なにか合図みたいの決めない? 自分は正気だよということを示すもの。ねぇねぇ、そうしようよ。裕貴だっていつどうなるかわからないじゃん!」
……転んでもポジティブに起き上がる女帝。
その逞しさにくすりと笑い、あたしも見習いたいなと思いながら、棗くんの冷ややかな表情が気になった。
今日の彼はちょっとキツい言い方と表情をしたのは確かだ。
あたし、ちょっと色惚けしてしまったのかもしれない。
だったら、ちゅんと反省して謝らなきゃ。
「柚?」
「ちょっとあたしも棗くんの様子見て来る。らしくなかったというか……」
「私は根に思ってないし、ありがとうと言っておいて。土下座で謝るんだったら許してあげるって」
「姐さん、根に思ってるんじゃん!」
「あははははは!!」
あたしは音がしたと思われる部屋に向かって歩いた。
Natsume Side
抑えていた汗が噴き出て頬を伝う。
目の前の景色が薄れてぐるぐると回る。
須王と彼女がうまくいったとわかった時、発作が起きるような嫌な予感がして、会話で組織の話が出てきたあたりから、変調は自覚していた。
もう、限界だ。
やっとの思いで仮眠室のドアを開けて、閉じたドアに背を凭れさせるようにして、ポケットから小瓶を取り出した。
早く、早く。
――おお、可愛い。まるで天使のようだ。
しかし蓋を回そうにも手が震えて強張って、中にある白い錠剤を取り出せない。
――おお……もっと口を開けろ。もっと奥で咥えるのだ!
生臭い匂いと、醜い男の奇声のような喘ぎ声。
――どうだ、自分の尻の中は。腸は熱いか、あははははは。
尻に挿されたものは、この男が自ら切り取った――。
「くそっ、取れないっ」
呼吸すら乱れて、僕は床に小瓶を叩きつけた。
それでも割れなくて、小瓶を掴んでガンガと壁に叩き避けるが、強化硝子で出来ているかのように、それは割れなくて。
――お前は人間じゃない。ただのメスの獣なのだ!! ずっと私のモノを咥えるだけの性処理だ!
僕は片手で汗で濡れた顔を引っ掻いた。
「棗!?」
突然割り込んできたのは、須王の声。
「棗、落ち着け!」
僕の手から小瓶を奪う須王に、僕は昔のようにその喉笛に噛みつこうとするが、彼は代わりに手を差し込み、噛みつく僕の頭を後ろに倒すようにして床に仰向きにさせ、片手で小瓶の蓋を取ったようだ。
僕の口の中にある血味の肉。
何度も何度も咥えてきた醜悪のものだと思うと込み上げるものがあり、僕はそれを噛み切って吐き出そうと、じたばたと暴れて。
「棗、薬だぞ。いいか、安定剤だからな!?」
歯を立てたそれが引き抜かれ、代わって何かが放られると、咄嗟に呑み込んでしまう。
それが慣れた媚薬は興奮剤に思えた僕は、終わらない悪夢がまだ続いていることを思って絶望感に声を上げた。
そんな僕に須王が抱きしめて、背中を撫でてくれる。
「大丈夫だから、棗。もう組織はねぇ。もう俺達は苦しい思いをしなくてもいいんだ。棗、悪夢から覚めろ」
震えた須王の声。
何度も俺は聞いていた。
――俺のことはいいんだよ。棗、大丈夫か? 俺がついていてやるから。
裸の身体につけられた鎖。
魚の腸が腐ったような饐えた死臭漂う、子供だけを集めた洞窟のような穴蔵の檻の中での生活は、人間のものとは言えず。
僕は、僕を売った両親を恨んでいたが、とうに両親に対する憎悪と思慕の涙は、過酷な拷問を耐える生理的なものと成り代わり、身体から流れる血と痛みにすら涙が出ることないまでに涸れ果てた。
課題をクリアしていけば、少しずつ暮らしがよくなる。
だから僕は死に物狂いで、言われるがままのことを……そう、他人の命を奪う術を習い、それを実践してきた。
僕の顔が女顔だったからと性技を植え付けられていた時、須王と組まされた。
目でひとを殺してしまいそうな、生まれつきの暗殺者かと思うくらいの昏い眼差しに、僕は……僕の姿を見たんだ――。
そう、最初は自己憐憫からで。
次に、信頼した。
その実行力と彼という存在に。
――棗。俺達はここから出るぞ。いいか、生きるために潰そう。ここはあってはいけない場所だ。外に出よう、俺達の世界はここじゃねぇ!
「棗く……うわっ」
そして今――。
「しっ。静かにしててくれ、いつもの発作なんだ。水持ってきてくれねぇか」
「わかった」
僕は彼に嫉妬している。
僕のように薬なしで、そう……音楽と上原柚を愛したことで、組織の残像を追い払える上に、裏と関わらずに表だけで生きていく道を選ぶことが出来た彼に。
わかってはいるんだ。
須王だって血まみれになって組織に苦しんだ。
さらに帰る場所だと言っていた現世において彼は、不条理にも自由を奪われている。
そこにどちらが上か、どちらが下なんてない。
僕達は対等だ。
だからこそ。
「棗くん、ペットボトルのお水だよ。大丈夫?」
……僕が先に好きになったひとから愛される、男の身体を持つ須王に、嫉妬するんだ。
僕は、好きな女を抱くことも出来ないのだから――。
ああ、誰か。
僕に救いを下さい――。
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