エリュシオンでささやいて

奏多

文字の大きさ
81 / 153
第8章 Loving Voice

 5.

しおりを挟む
 
 *+†+*――*+†+*


 あたしはひとりでお使いも留守番も出来ない身の上、保護監督兼ボディーガードの須王に連れられて、名簿一覧にある牧田チーフの住所に車で行った。

 東京都荒川区南千住――。

 住宅街やマンションに囲まれたこの街は、かつて東京における刑場のひとつ、小塚原刑場があった地域でもあり、二種類の電車の線路に間に挟まれるように、大きな仏像が建てられている。

 その南千住から隅田川方面に行ったところに、牧田チーフの住むアパートがあるらしい。

「住所はここだな……」

 躊躇いがちに須王が車を停車させた。

「うん、じゃあここかなぁ……」

 一覧にあるアパート名を付したアパートが目の前にある。

 『結愛ゆめ荘』

 愛を結ぶどころか、崩壊してしまいそうな古ぼけた建物――。

 真っ黒い外壁は汚れらしく、ところどころ皹が入っている。
 あたしのマンションも元々は誰もよりつかない古いものであったのを、亜貴が劇的に改装させたが、これを見たら亜貴が嘆きそう。

「……刑場で死んだ落ち武者の怨霊とかが出てきそうだな」

「や、やめてよ、おかしな冗談言うのは」

 ざわっとして鳥肌が立ってしまう。

 南千住が刑場跡だということは、実は須王がずっと車内で話していたからわかったようなもので、東京に住んでいるからといって、江戸まで遡る時代にどこでなにがあったのかなど、わかるはずがない。

 その須王も、ひとに聞いて知ったそうだ。

「あ、外でなにかがお前を見てる!」

「ひっ!?」

「嘘だって、そんなのはいねぇよ。はは、もう涙目かよ。お前、お化け屋敷で泣いて腰抜かしていたものな」

「こ、怖いものは怖いのよ!」

「大丈夫さ。この世で一番怖いのは、死んだ人間なんかじゃねぇ。……生きた人間だ。生きた人間の邪な欲ほど怖くて、強大なもんはねぇ」

 ダークブルーの瞳は怒りのようなものを秘めていた。

 ……きっと組織なのだろう。
 子供を傭兵に仕立てあげられる大人は、どこまでも残酷な鬼神だ。

 きっと須王と棗くんの過去には、あたしが想像も出来ないくらいの壮絶なものがあったのだろう。
 
 いまだ悪夢を見たり幻覚に怯えるほどに。
 そこまでの本能的な恐怖を、あたしは理解出来ないのがもどかしい――。

「行くか。俺が先に確認する。まだ乗ってろ」

 ドアを開けて外に立つ須王は、周りの安全を確認していたが、危険なものは感じられなかったようで、促されるままあたしも地面に足を着いた。

 牧田チーフは茂なみに体格がいい。
 しかも着ている服は、女帝に対抗するようにかなり高価そうなものであったから(似合っているわけではない)、てっきり耐久耐震性にも優れた、誰もが羨む洒落た家に住んでいるのかと思っていた。

 それが意外というのか、可哀想と思うべきか、複雑極まりない。
 
 住所の枝番によれば、彼女の部屋は二階にあるようだ。

 こんな古いアパートなら、彼女の体重で移動すれば、いつ底が抜けても不思議ではない気がするし、階下から苦情は出ないのだろうか。

 どうでもいいことを思ってしまったあたしが一瞥すると、ほとんど表札がなく蜘蛛の巣がかかっているドアもある。

 そうか、ここは牧田チーフの牙城なんだ……と思いながら、錆びて茶色く腐食している鉄の階段を、慎重に恐る恐ると上っていくと、途中でくらりと眩暈がして、てすりに両手で捕まった。

 いや、眩暈ではなく、物理的に……アパートが揺れている?

「ねぇ須王……なんか揺れてない?」

「……確かに揺れてるな。でも地震ではないようだ。上物の揺れだ」

「じゃあなに? 誰かが飛び跳ねてるとか!?」

「これは震源地は二階だな。ここの部屋でもねぇし、ここでもねぇ。ここでもなければ……」

 残るひとつは最奥の――。

「牧田チーフの家が揺れてるの? やっぱり休んだ理由、風邪じゃないのかな?」

「風邪じゃねぇなら……」

「まさか運動して痩せようとしているとか。家で縄跳びとか!」

 すると須王はぶはっと吹き出した。

「片やげっそり痩せるデブもいるのにな」

 茂のことだろう。

「そんなギャグ漫画のような展開ならいいが、どう考えてもオリンピアの追加発表を踏まえたような故意的な休みを取るぐらいなら、もっと剣呑な事態を想定していた方がいいのかもしれねぇ。男の声で電話してきたのなら」

 牧田チーフは彼氏はいないはずだ。
 だから須王にきゃあきゃあ言っていたのだから。
 だとしたら、本人ではない声は、どなたのもの?

 須王は目を細めながら手を伸ばし、ドアノブを静かに回す。
 カチャリ、と音がしてドアが薄く開いた。

「入るぞ」

「チャイム鳴らさないで入って、不法侵入とかになったりは……」

「緊急性があったで乗り切る。……会社には銃は持って来てねぇから、なにかあってもこの身でお前を守る。俺の後ろに着いてこいよ」

「わかった」

 一応は、玄関で靴を脱ぐ。

 廊下を軋んだ音をたてて進むと、やはりドシンドシンと重いものが跳ねる音が、奥の部屋から聞こえてくる。

 そして呻いているような声と、なにかのピアノ音楽も同時に耳に届く。
 テレビだろうか。

 本当に風邪で熱を出して、苦しんでいてじたばたしている可能性もある。あたしはすぐに救急車が呼べるように、スマホを手にした。

 そして奥の、六畳のリビング(と思われる部屋)に居たのは――。

「柚、見るな!」

 暗くなった視界に、焼き付いた残像が浮かび上がる。

 四つん這いの太い裸体。

 そこには、鼻に大きなフックと口に黄色い玉のようなものを入れられた牧田チーフが、フーフーと声を漏らしながら、四肢を鎖で繋がれていた。

 突き出した尻の間に突き刺されたのは、把手のついたドリルのようなもの。ヴォォンと音をたてて貫かれながら、唯一動く頭だけを畳の床に打ち付けていた姿だった。

 しかも打ち付けていた頭からだけではなく、痛々しい股間からも血が流れていた気がする。

「な、なななななに、あれ」

 声がするということは生きてはいるんだろう。
 だけど、なぜあんな姿に!?

「朝霞と来た爆弾バイブ女にしたのと意味は同じだろうな、これは脅しだ」

「な、なにか突き刺さっているのは……」

「なんだ見たのか。恐らくはドリルバイブだろう。どこかを傷つけたな、血を出している」

 そんなおぞましい名前のものが存在するのも知らなかったあたしは、ただ震えながら悲鳴を上げて、須王の服をぎゅっと掴んだ。

「きゅ、救急車……」

「その前に、抜いてやる」

 須王はあたしをその場に置いて、深く突き刺されていた……ドリルバイブと呼ばれる、どう見ても電動工具にしか見えない凶器を引き抜いた。

 先が赤くてくらりと貧血になりそうになる。

 気持ちよくなれる玩具とは到底思えなかったが、ふがっというような音をたてながら、牧田チーフは畳に崩れた。

 須王は豚の鼻のような形相にさせていた鼻フックを外し、ボールみたいなものを口に埋め込んでいたベルトを頭から外した。すると牧田チーフは咳き込んで、口の中にあるものを吐き出した。

 それは――。

「柘榴……」

 そう呟いた須王が、小さく流れていた音楽の発信源……テーブルに置かれてあった小さなスピーカーを止め、拳を震わせた。

 ただ――。

偸盗ちゅうとう……盗むなという、組織の音楽だ。……皮肉ったか」

 その曲は、あたしには聞き覚えがあるもので。

「くっそ……。組織の掟を思い出させるなんて、昔の関係者が今の組織になにか関係しているのかよ」

 それは――棗くんが口ずさんでいたものだ。

 牧田チーフは、須王のHADESプロジェクトを盗んだ。
 だとすれば、棗くんはなんでこの音楽を口ずさんでいたの?

 そして……、天使が唄った歌が怒りに関係することだというのなら、天使はなにに対して怒りを見せていたのか。

 十ある音楽からそれを選んだところに意味はないのか、どうしてもあたしは邪推してしまうのだった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

私の推し(兄)が私のパンツを盗んでました!?

ミクリ21
恋愛
お兄ちゃん! それ私のパンツだから!?

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について

沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。 かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。 しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。 現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。 その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。 「今日から私、あなたのメイドになります!」 なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!? 謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける! カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話

水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。 相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。 義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。 陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。 しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。

処理中です...