エリュシオンでささやいて

奏多

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第9章 Changing Voice

 4.

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 オリンピアのHADESは結局ボーカルも決まってはいるが、雑誌の特集にはわざと顔の全貌を出さずに、一部だけの露出にして、マスコミを煽る戦術のようだ。

 音楽よりボーカルの顔に注目を浴びている現在、それにより視聴者の興味を引くかも知れないが、あくまで音楽重視の企画を作っていた須王にしてみれば、別物になった企画として割り切れるようだ。

 エリュシオンの選んだ演奏者と広告手法にて、須王が企画者だとオリンピアは言ったそうだが、須王はマスコミ各社へのFAXにて関わりないことを主張した。勿論パソコンの文字で。

 朝霞さんは、本当にオリンピアが須王を引き抜けると思っていたのだろうか。このわざとらしい子供のようなやり方で、音楽を神聖視する須王が靡くわけはない。……それを見抜けないはずはないのに。

 だから思ってしまうんだ。
 オリンピアから須王を遠ざけているのではないかと。

 考えすぎかな。
 だけど須王にそう言ってみたら、須王はなにも言わなかった。

 新HADESプロジェクトは、女帝が休み中はあたしが須王の秘書として動き、彼が言う構想を、あたしがパソコンにまとめる。
 なんでも須王のパソコンに差し込んだUSBは、やはりというべき棗くんからのプレゼントで、社内すべてのネットワークを遮断して、セキュリティを強化させつつ、棗くんだけがアクセスできるという魔法のアイテムだったらしい。

 確かに社内の膿出しが完全に出来ているとも言い切れない今、プロジェクト変更にて続行する旨を皆の前で宣言したのだから、まだスパイが残っているとするのなら、必ずこのプロジェクト内容を知りたいはずだ。

 そのため、信じられる仕事用のパソコンは、あまり使われていないのにあたしのパソコンより高性能のように思える……須王のパソコンのみとなった。

 元々須王はメモをするタイプではなく、すべて頭の中に入るという天才的な記憶の持ち主だ。

 そのため頭の中で既にYESやNOで進むフローチャートが出来て、こっちの選択が駄目だった場合は、こちらに進むなどの全体像が、頭の中で出来上がっているらしい。

 だけどあたし達凡人はまず無理だ。
 視覚に訴える資料を見て、そこで判断する。

 だから彼の頭の中のものを、あたしがきちんと整理整頓しないといけない。

 早打ちは得意ではないけれど、モグモグ、カタカタ頑張る。

 その時、突然救急車のサイレンが聞こえ、大きくなってくる。

 救急車は嫌だ。
 亜貴が倒れた時のことを思い出すから。

 それでも――。

「え、ここのビルに来るの?」

 そちらの思いに野次馬根性がむくむくと湧き上がる。

 パソコンを一度ロックをかけてから(席を外す際はもう常識になった)、他の社員達と並ぶようにして、共に窓の外を見つめると、サイレンを止めた救急車の中から、救急隊員が担架を持ってビルの中に入ってくるようだ。

 結局何階に担架が運ばれたのかはわからなかったが、窓から見る限りに置いては運ばれたのは男性で、続いて車に乗り込んだのは――。

「ん? 鹿沼さんと香月課長?」

 上からはよくわからないし、見間違いかもしれない。
 それでも、もしシークレットムーンの社員が救急車を呼んだのなら、鹿沼さん大丈夫だろうか。亜貴の時のあたしみたいに、テンパっていないだろうか。

 ドアが閉まって、救急車が走り出す。

 鹿沼さんに浅からぬ縁を感じるあたしは、小さくなっていく救急車をぼんやりと見つめることしか出来なかった。

 悶々として三十分。どうしてもあれが鹿沼さんだったのかが気になってしまい、自分を安心させたいためにも、須王が電話を始めた時にシークレットムーンに行ってみることにした。

 『さっきの救急車、シークレットムーンか聞いてくる』

 そうパソコン画面に表示させて指をさし、なにかを言っている須王を背にとことこと階下に行く。

 今日のシークレットムーンは、閑散というよりもざわめいていた。
 ちゃんとひとはいるようだ。
 鹿沼さん、いてくれれば安心なんだけれど。

「すみませーん、鹿沼さん、いらっしゃいますか?」

 腰を屈めながら恐る恐るといったようにして中に入ると、いつぞやのしゅうしゅうさんが対応してくれた。

「――あ、やはりあの救急車は、御社が呼ばれたんですか」

「はい、実はうちの社長が倒れたっす。それを発見した鹿沼主任と香月課長が病院についていったっす」

「そうなんですか、運ばれたの社長さんだったんですか……」

「ヨボヨボでもないっすが、ちょっとうち最近バタバタしていて、いつも飄々としている社長も精神的にやられたかもっす」

「そうなんですか。せめて近くの病院でも、問題なく入れればいいですね」

 救急車の搬入先は、こちらの希望が通るとは限らない。
 その病院が、満床とか新規を受け付けないとか、入院の受け入れ拒否をされてしまえば、最悪東京を山手線のようにぐるぐるとさまようことになる。

 亜貴がそうだった。
 一番最初倒れた時に、入院先を見つけるまで実に一時間はかかったんだ。

「あ、病院はT大付属病院に搬入されたっす」

「T大付属病院? 本当に?」

 なんという偶然!

「本当っす。なんでも社長の侍医がいるとかで、課長から電話がきたっす」

 興奮しているのか、やけにしゅうしゅうと空気が漏れて聞こえる。
 凄い、野生的……と言えるのか微妙だけれど。

「だったらまずはひと安心ですね。鹿沼さんも香月課長も社長についていらっしゃるのなら、きっと大丈夫。おふたりが抜けた中でのお仕事、大変そうですが頑張って下さいね」

 するとしゅうしゅうがさらに大きくなった。
 なんだろう、鼻の穴も大きくなっている。
 でもまあ、聞きたいことは聞けたし、無事に入院も出来たようだし、不幸中の幸いでいいことにしよう。うん、王様を待たせてはいけないね。

「ではこれで」

「あ、あの……、あの……おお、俺っ、俺っ、木島と……うおおおおっ! あれはまさか早瀬……」

 須王が自動ドアの向こうに立っているのが見えた時、背後でなにやら騒いでいたしゅうしゅうさんの雄叫びが聞こえたような気がするが、振り向くのが遅く、ドアがしまったあとだった。

 空耳だったのかしら?

「お前、ナンパされてるなよ」

「は? あのひとは鹿沼さんの部下で、前にあったことがあるのよ。ナンパじゃないわ!」

「そうかな……」

 須王は不機嫌そうにシークレットムーンを見つめていた。

「あ、香月課長も救急車に乗ったみたい。会えないよ」

「別に会いてぇなんて言ってねぇだろ!?」

 須王様、片眉をピーンと跳ねあげさせて、ご立腹。
 ……そこまで嫌か、香月課長の話題は。

「そうだ、T大付属病院に社長さんが入院したんだって。もしかして会えるかもよ、香月課長と。小林さんみたいな特別棟だったりして」

 わざとにやにやしてそう言うと、須王はそっぽを向いて返事をしてくれなくなった。

 知人がすぐ敵になって誰が味方なのかわからない現在、どうか鹿沼さんや香月課長達……あたしが好感を抱いた人達だけは、あたしの敵として現われないで欲しいと思う。

 無害だと思えた隆くんですら裏切って、突然に姿をくらましたんだ。

 どうか、親身になってくれた彼らだけは――。
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