エリュシオンでささやいて

奏多

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第10章 Darkness Voice

 4.

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 本当に複数のひとの声が大きくなってきて、慌てたあたしは背中の甘えんぼ須王を背負いながら、皆から見えない暗がりによいしょよいしょと移動する。
 暗がりを見つけて動くのは、モグモグの得意技だ。

「……なに、お前暗いところで俺になにをして貰いたいわけ?」

「ち、違う! あなたは有名人だから、こんな冴えない女と一緒にいるのを見られたら、もう本当に音楽人生絶たれちゃうから」

 すると須王は耳に囁いてくる。

「なにが冴えねぇだよ。俺俳優でもねぇけど、だったら記者会見でもして世間に知らしめる? この上原柚は、俺に音楽をやるきっかけを与えてくれたひとで、俺が結婚して人生縛りたいほど、世界一可愛くて仕方がねぇ俺の恋人だって。俺は両想いになったことに浮かれまくってますって」

「な、なななな!」

 顔が沸騰して、湯気が出てきそうだ。

「美しき俺の女神(ミューズ)――」

「ひぃやぁぁぁぁぁ!」

 その単語に全身ざわっと総毛立ったあたしは、須王をぽいと投げ捨てて奇声を上げて走る。が、須王を残してひとりで動いてはいけないという言いつけを思い出して走って戻って来ると、須王の服の裾を掴んでちょっと距離を開け、悪寒の不快さにぐすぐすと鼻を鳴らす。

 須王は思いきり声を上げて大爆笑をしていたのに、あたしの怪しい動きの方が挙動不審で目立ち過ぎて、またもや須王は正体を知られずにすんだらしい。
 なんだか悔しいけどほっとして……複雑極まりない。

「なんで泣くんだよ。お前」

 目尻から涙を流して、よしよしとあたしの頭をぽんぽんする。

「だって……」

「お前外国行けねぇぞ? あっちの男達の愛の表現はすげぇんだからな」

「あたし無理。無理だから!」

「わかった、わかった。あはははは。お前はストレートだと真っ赤になってまだ耐えるのに、芝居がかると途端に駄目だ。うん、今度から俺も婉曲しねぇで、ストレートでいかせて貰うわ」

「普通でいいから、普通で!!」

「ははははは」

 賑やかに進んだのは照明が明るい場所で、須王は咄嗟に眼鏡をかけた。
 ジャングルを模した景観の中に、イグアナら爬虫類とか、カピバラがいる。

「カピバラ!? なんで水族館にカピバラが!? カピバラさーん」

 可愛い顔をしているのに、どうしてもさん付にしてしまうのは、某キャラクターの影響だ。カピバラは、どこまでもカピバラさんなんだ。

 ふと、宮坂専務の世間話を思い出した。
 カピバラって逃げ足がものすごく早いんだっけ。
 そう思いながら、カピバラの大きな身体を支える、小さなおみ足を見ながら、本当に早いのかなあと呟くと、須王が笑って言った。

「お前の逃げ足の方が早いって。なにせ『ひぃやぁぁ』だからな。俺、初めて聞いた。そんな声上げて走って逃げる奴」

「~~っ!!」

 恥ずかしい。

 真っ赤になって無言でぼかすかと須王を叩いて、ぷんぷんと怒りながら次のエリアに行くと、あざらしやオットセイ、ペンギンなどが現われた。
 
「あ、カワウソちゃんがいる~。おいでおいで~」

「あれがカワウソか」

 須王が腕組をして、怪訝な顔をして覗き込んだ。

「え、知らなかったの?」

「ああ。名前だけは聞いていたけど。変な名前だなって。……意外と可愛い顔をしているな。俺また、妖怪海坊主みたいなのかと思ってた」

「なによ、妖怪海坊主って。……そういえば、下のシークレットムーンにカワウソちゃんがいるんだっけ。さらに下には巨大なカピバラさんが」

「……あいつの話はよせ」

 ちっ、この和んだ空気に、嫌悪感を薄れさせようとしたけれど失敗か。
 それでも宮坂専務の話していた話は、そっぽ向いていても、記憶に残れるくらいにはちゃんと聞いていたわけだ。
 思わずふっと口元を綻ばせてしまう。
 きっと専務は、こんな風に……可愛げなさそうで実はどこか可愛い須王を知っているからこそ、茶々を入れてくるんだろうけれど。 

「なんか喉渇かねぇ? どっか店行くか」

「あ、あそこに自販機がある。なにか飲み物を買って……下さい」

 財布を持っていないことに改めて気づいたあたしは、項垂れてしまった。
 笑う須王が、林檎ジュースのペットボトルを買ってくれた。
 王様が林檎ジュースなんて可愛いと思ってにやにやしていたら、どうやらすぐ赤くなるあたしのイメージらしい。

 誰が赤くしているのよと思いながらペッドボトルの蓋をとって口をつけて飲んでいたら、横から須王が手を出してペットボトルを奪い、あたしが口をつけた部分を口にあてて、ジュースをコクリと飲み始めた。

「あ、間接キス……」

 すると須王は、ぶほっと吹き出してむせ込んでしまった。

「お前、今さら……ゴホゴホっ」

「だ、大丈夫? なにも言わない方がいいよ」

 かなり辛そうで、眼鏡を外してあげて広い背中を摩って上げたらようやく落ち着いた。

「赤い顔でへんなこと言うなって」

 須王に小突かれた。

「だって……」

「可愛いことを言うと、俺暴走するぞ?」

「え、可愛いことだったの?」

「お前が言うのは、皆可愛いの」

 そして身を屈めて、ちゅっとあたしの唇を奪い、べろんと唇の表面を左右に舐めた。

「ごちそうさま」

「もう!」

 ……そんなバカップル丸出しのあたし達を、見ているひと組のカップルがいた。それがわかったのは、女性の声がしたからだ。

「早瀬、須王……!?」

 うわ、やばい。
 須王の眼鏡はあたしの手の中。
 慌ててかけてももう遅かった。

「え、写真……ツーショットとって下さいっ!」

 綺麗系の女性はスマホを取り出して、あたしに撮れと手に握らせた。
 しかもツーショットということは、彼氏は置き去りだ。
 彼氏止めないのかなとちらりと見てみたが、彼女ではなくてなぜかあたしを見ている。これは撮れということなのだろうか。

 女性は須王の隣に立ち、須王の脇に手を差し込んで勝手に腕を組んだ。 
 そして須王の肩に顔をつけて、身体の関係がある熱々カップルかのような笑顔を見せて言う。

「早く撮って下さい」

 須王は振り解かない。
 だけど、目だけはあたしに訊く。

 『お前はどうしたい?』

 ボタンを押せばきっと女の子も笑顔だろう。
 ちょっとボタンを押せばいいだけだ。

 「写真すら撮ってくれないケチな男」だと、須王の評判をあたしが落としてはいけない。
 あたしが女性をぞんざいに扱えば、一緒にいた須王に風評被害が及ぶかもしれない。今はSNSが蔓延している時代、どう作用するかわからない。

 だけど。
 だけど――。

「ごめんなさい。撮れません」

 その瞬間、須王が表情を緩めた気がした。

「どうして? あなたは早瀬須王がいちゃつくのを許して貰えたんでしょう? 私はただ写真を撮るだけなんですよ?」

「……それでもごめんなさい。無理です」

 恋人だと言えないあたしは、ただ平謝りをする。

「じゃあ宏孝、撮って」

 彼女は彼氏を呼ぶ。
 その豊満な胸を須王の脇腹にぐいぐいと押しつけながら、須王と手を握ろうとしている。

 いらいら。

「彼から離れて下さい」

 あたしは腕を組んだままの彼女を引き剥がして、須王をあたしの背中に隠した。隠したと言っても、長身の彼が隠れるはずはないんだけれど。

「彼に触らないで下さい」

 無性にいらいらがとまらなかった。
 須王のために抑えていたけれど、もう忍耐の限界だ。

「どんな権利があって? たかがファンのひとりが」

「彼はあたしのものです!!」

 きっぱりと言ってからはっとした。

「はぁぁぁ!?」

 しかし馬鹿にしたような上から目線にまたカッとなってしまう。 

 須王に触って貰いたくない。
 皆の王様だとわかっているけれど、あたしと一緒の時はあたしだけのものであって欲しい。
 営業用でもなんでも、あたし以外に優しい顔を向けて欲しくない。

「駄目です!!」

 涙目で言うあたしの肩を引き寄せたのは、須王だった。

「悪いが、俺……写真を撮るのを、いやそれ以前に、俺に触れていいも悪いもなにも言ってねぇ。勝手に進めねぇで貰えるかな、反吐が出そうだから」

「え?」

 〝反吐が出そう〟
 その言葉に、女性の目が点となった。 

「あんた、自分のどこに自信があるのかわからねぇけど、俺の最愛の恋人に勝てると思っているのなら、眼科に行くか、無駄な目はくりぬいた方がいい」

「な、なななな!」

「ちょ、須王……っ」

「嘘だと思うなら、あんたの彼氏を見てみろよ。俺の恋人に色目使う男を。ひとをダシに使う前に、自分のものの手綱くらいちゃんと引いておけよ」

「く――っ!! 宏孝、行くわよ!!」

 女性は、にやにやしてモグモグを見ていた、気持ち悪い男性の襟首を掴んでいなくなった。
 嵐が過ぎ去れば不安になる。

「ど、どうしよう……SNSとかで須王の悪口かかれたら」
 
「は? そんなの気にしてたの、お前」

「当然でしょう? こんなモグラが嫉妬しちゃったから」

「……なぁ」

「ああああ、どうしよう。明日新聞やニュースで、須王のことが悪く書かれていたら」

「……柚、まずは落ち着け」

 わたわたと慌てたあたしは、須王にぎゅっと抱きしめられる。

「これが落ち着いていられる? あたしちょっと追いかけて謝って……」

「いらねぇよ。あの女、お前に浮気したあの男の気を引くために、あんなことをしでかしたんだから」

「へ? 浮気?」

「あの男が俺の柚に色目使ったのが元凶なんだよ」

「確かににやにやはしていたけど、それはあたし自身ではなく、須王といちゃいちゃしていたからじゃ……」

「違う。俺の柚に惚れたんだよ、あの男。柚の可愛さに気づいたんだ」

 思いきり舌打ちの音が聞こえてくる。

「あ、あの……須王さん」

 須王の空気が張り詰めたのは、一瞬だった。

「なぁ、柚。……お前、嫉妬したの?」

 その須王の低い声に、どきっとした。

「妬いたの?」

 自分で言ってしまったことを思い出したあたしは、隠すこともないと思って、頷いて言った。

「うん……。嫌だったの。あたしの須王にべたべた触られるのが」

「………」

「……須王?」

「はぁ……最高」

 須王は長い息を吐いた後、上擦った声でそう呟いた。

「お前が妬くなんて。こんなに嬉しいことをしてくれるのなら俺、他の女とべたべたしているのお前に見せつけようかな」

「駄目――っ!!」

「あはははは。嘘だって。俺はお前だけしか隣に居るの許さねぇから。さっきもすげぇ鳥肌立って、お前が動かなきゃ『ひぃやぁぁぁ』と走り出そうと思った」

「須王!!」

「あははははは」

 笑う須王に、あたしの尖った唇は奪われる。
 頬を優しく摩られながら舌を絡め合うと、胸もお腹の奥もきゅんと疼いて、たまらない気持ちになってくる。

 あたしのものだと、そう身分不相応にも自覚してしまったら、須王が欲しくてたまらなくなったのだ。
 もっと独占したい。
 あたしの須王だと、大きな声で言いたい――。

「……柚、車に行こう? ふたりきりになりてぇから」

「うん」

 あたしは須王の胸に頬を寄せて頷いた。

 凄くこのひとが好き。
 誰にも渡したくない。
 あたしだけのものであって欲しい。

 この先もずっと――。
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