エリュシオンでささやいて

奏多

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第10章 Darkness Voice

 8.

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 *+†+*――*+†+*


 小林さんのランクルを棗くんが運転し、助手席に須王が座った。
 裕貴くんはカーナビにも劣らない立派な道案内をしてくれたけれど、裕貴くんを送り迎えしている棗くんは、裕貴くんの学校周辺にある病院名だけですぐわかったようだ。

 東京都文京区お茶の水――。

 古くから有名病院施設が建ち並ぶ学生街でもある。
 風致地区で景観のいいこの地域の一角に裕貴くんの通う私立の高校はあり、そこから徒歩圏内に病院があるらしい。

 車が向かった東亜大付属病院は、亜貴の入院を拒否られたところだ。
 難病を多く治療していることで有名なこの病院に、病院から見捨てられた患者を受け入れると聞くが、それでも移植しか打つ手がなかった亜貴は、治療できないと見捨てられた。
 お金でも積めば違ったのだろうかなど、今でもひねくれて考えてしまう。

 駐車場に車を停めて、全員で古くて冷ややかな病院内に入り、四階の連絡通路で繋がっている入院病棟に入り、ナースステーションに声をかける。

「あ、裕貴くん。お久しぶり」

 応対してくれたのは、裕貴くんも見知っている看護師さんだったらしい。
 看護師は三十代くらいだと思われるにこにことして可愛いお姉さんで、須王を見ると、早瀬須王がわからないなりにもそのイケメンぶりに真っ赤になり、前髪を手ぐしで梳かし始めた。
 少しでも綺麗に見られたいという女心は十分にわかったけれど、共感どころかむかむかしてしまい、須王の人差し指をきゅっと握ってしまう。

「早苗ちゃん。遥まだいるよね?」

 そんな看護師さんを引き戻したのは裕貴くんの声だったようだ。

「いるけど……容態が悪くなったから、いつもの部屋ではなくて奥の特別室に移動してるわ。何回かあったでしょう、あの場所よ」

「了解」

「まだ面会謝絶よ?」

「それでも、外から声だけでもかけていくわ」

「あまり騒がないでね」

 突き当たり奥にある自動ドアの向こう側には、ひとつのドアがある。
 いい加減、VIP並の特別室を見てきたからいちいち驚くことはないが、待合所やテレビは、必須なんだろうか。
 病院なんだから、家族より患者だけに気を配ればいいのにと思ってしまう。

 ここはセキュリティ設備はなく、訪問者は誰にでも開かれているようだ。

「遥の病気は自己免疫疾患という、自分自身を攻撃してしまう難病みたいで、その中でも特殊中の特殊みたいで。部位というより全身に炎症を起こしてしまっていると聞いているよ。だから起き上がるのもままならない状況だったんだ。面会謝絶の直前でも」

 裕貴くんはそういいながら、突き当たりにドアの前に立った。
 名札は「堀内遥」となっており、面会謝絶の札が掛けられている。
 
「ここの特別室を使う時って、本当に容態が悪いときで。移植をした後なんか、外の僅かな菌でも過敏に反応してしまうから、大変みたいなんだ」

「移植、したの?」

「うん。小さい時にだけどね。遥との出会いは幼稚園の時で、その頃から随分と入退院を繰り返していて、俺が遥と遊んだのはほぼ病院の中だった。まだ元気だった頃は、車椅子を押していろんなところに連れていったけど、結構小さい時からいろんなところを移植したみたいで、それが今祟っているんじゃないかなって俺は個人的に思う」

 裕貴くんはあたし達を見て言う。

「だってそうだろう? 自分の中に他人がいるんだぜ?」

 その言葉に、あたしの頭の中になにかが、ちり……と音をたてた。

――それは、〝あたし〟だって言えるの? 

 頭が鋭い疝痛に襲われて、思わず頭を抱える。

「どうした、柚」

「な、なんでもない……。ちょっと頭が痛くて」

「柚、診て貰うか? ここ病院だし」

「大丈夫だよ、裕貴くん。うん、治った」

 それは誇張ではなく、本当に痛みが薄らいできている。
 一過性のものだったらしい。
 一体なんだったのだろうか。

 須王があたしの頭を胸につけるようにして支えながら、裕貴くんに言った。

「遥が昔から入院していたのは、ここか?」

「うん。難病の中でもあまりに特殊で稀な症例だからと、他の病院からもたくさんの教授達も勉強に来ているみたい。嫌だよ、遥が客寄せパンダみたいに思われて」

 須王は目を細めてなにかを考え込んでいる。
 どうしたんだろう。

「遥の両親は?」

「お父さんはいなくて、お母さんは普通の主婦だよ。どこにでもいるような。ここ数年は俺じゃなくて、うちの母ちゃんとばかり会っているみたいだけど。茶飲み友達みたいだ」

「……金持ちなのか、遥の家」

「別にそうは思ったことはなかったなぁ……」

「遥は今でどれくらい入院しているんだ?」

「俺の中で、家に帰れたのは数えるほどだったから、ずっと入院していると言った方が正しいかも知れない」

 須王は怜悧な目をして言った。

「だったら、遥の入院費はどこから出ている?」

「あれじゃないですか、難病疾患は治療費とか無料じゃ……」

 女帝の言葉に、須王は緩やかに首を横に振った。

「指定難病疾患かどうかはわからなくとも、特別室も無料で使えるのは、相当のVIPか」

「もしくは、モルモットね。研究対象としての」

 須王の言葉を、棗くんが続けた。

「つまり、母親は〝実験〟に同意しているということになるかしら」

「同時に、謝礼金かなにかを貰っているかも知れねぇな」

「ええ。表の金か裏の金かわからないけど」

 子供の苦しむ金で生活する母親。
 それはひとつの形かもしれないけれど、少なくとも亜貴の母親の場合は、毎日泣いて泣いて酷かった。恐らくは謝礼金を貰っても、使うことが出来ないだろう。

「でもあのおばさん、そこまであくどいひとじゃないんだけどなあ。俺の知っている限りは、にこにこしていたけど」

「母親の外面と内面が同じかなんて、外からはわからないものだ」

 須王は呟く。

「子供だって、まさか裏切られるとは思わないだろうさ」

「須王」

 あたしは須王の背中をポンと叩くと、須王ははっとしたようだ。陰鬱だった翳りが少し薄らいで、須王は曖昧に笑って見せた。

 きっと須王のお母さんも、外からは子供を捨てるようなひとには見えないのだろう。もしくは、そうであって欲しくないと思う子供の願望かもしれないけれど。

「ねぇ、この中、ひとの話し声が聞こえるけど」

 ドアの一番近くにいた女帝が怪訝な顔をした。

「ということは、看護師なり医師なり出てくるのかも」

 須王と棗くんは顔を見合わせ、須王が面会謝絶の札を毟り取った時、棗くんがドアを開けて、朗らかな声を出した。

「すーちゃん、来たよっ!!」

 ……すーちゃんって誰ですか?

「棗くん、ここは……」

 あたしと裕貴くんの口を手で抑えたのは須王だった。

「あれ、すーちゃん?」

 中に入ると、ベリーにも似た甘い匂いがした。
 どこかで嗅いだことが歩きがする。
 有名な香水かなにかなんだろうか。 

 色々な機械が見えて、ピッピッと音をたてている。
 機械からベッドと思われるところにコードが伸び、尋常では内雰囲気があたりを立ちこめる。

 半透明なカーテンのような仕切りは、まるで集中治療をしているかのよう。
 否、実際そうなのだろう。
 遥くんは重篤なのかもしれない。
 駆けつけようとした裕貴くんを、須王が抑えて後ろに後退した。
 
 半透明のカーテンの奥で動いているのは白い服を着た数人。そのうちのひとりの白衣を着た男性が、こちら側に出てきて怒鳴る。

「ここは面会謝絶だぞ!?」

「あ、すみません~。ここのでしたか、別のところの部屋かと思って、後でナースステーションに返そうと思ったんですが。ね~、奈緒」

「ね、ね~。それよりここ、すーちゃんの病室ではないんですか?」

 だからすーちゃんって誰ですか。

「ナースステーションに聞け! ほら、治療中だから出た出た!」

 その時、半透明のカーテンに内側から血しぶきが飛ぶと同時に、あたし達はドアから出されて、鍵を閉められた。
 ドアからはなにをしているのかわからない。

「遥、一体どうしちまったんだよ。遥!」

 泣く裕貴くんはそのままナースステーションに駆け、皆が追いかけた。
 ひとり、棗くんが立ち止まって考え込んでいるようだ。
 須王も棗くんに気づいて戻って来て、声をかける。

「棗?」

「……」

「棗くん、どうしたの?」

 ふたりがかりの質問で、ようやく棗くんは顔を上げた。
 その面持ちは緊張に強張っている。

「あれは柘榴の匂いだった」

「え?」

「AOPの匂いの可能性が高いわ」
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