江戸心理療法士(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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「は、はあ」
 相手の態度と言葉の乖離に伊左衛門は深く困惑する。
「や、これは失礼つかまつった。それがし、御公儀より小人目付のお役目を仰せつかっている太田徳兵衛と申す者にござる」
「わたしは伊左衛門と申します」
 こちらの反応を未だに自己紹介がないことへの戸惑いと勘違いしたのか、徳兵衛が滑舌のいい口調で名乗る。仕方なく、そういうことではないのになあ、と思いながら伊左衛門も名乗るはめになった。
「いや、大変でござった。娘がすれ違ったという、血相を変えて駆けていったという丁稚の屋号からここにたどりつくのは」
 なるほど――聞いてのいないのに語られた苦労話で、伊左衛門は相手がどのように居場所をつかんだのかを把握する。
「と、申し訳ありませぬ」
「は、はあ」
 いきなり表情を変える徳兵衛に対し伊左衛門はふたたび困惑させられた。
「命を救っていただたいたというのに娘が無礼千万を」
「いえ、まあ」
「亡くした妻女のことが忘れられず、男手で育てたところ女武辺となりはて困っている次第で」
「左様で」
 謝罪の念をあらわしたと思ったら今度はなげくような顔つきをする徳兵衛の感情の早変わりぶりに伊左衛門は完全に翻弄されていた。このままだと、延々と焦点のはっきりしない話につき合わせられかねない、伊左衛門はそう判断し口を開く。
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