江戸心理療法士(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)

牛馬走

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「水をさされた」
 同じくふたりを認めた渋川が興醒めという声をもらすや血振り、納刀を流れるような動きで済ませこちらに背を向けた。
 下肢の強靭さを発揮しまたたく間に遠ざかっていく。
「大事はありませぬか、伊兵衛殿」
 声を出すのがつらく、伊兵衛は無言でうなずいてみせた。こちらの返答に徳兵衛は安堵の表情を浮かべる。
「破落戸のこともあったゆえ、陰ながら見守っていたのでござる」
 なるほど、と伊兵衛は徳兵衛がちょうどいい頃合に割って入った事情を理解した。
 だが、と伊兵衛はみきに視線を向ける。
 ああ、と徳兵衛がこちらの疑念を理解したようすを見せた。
「こやつがいつの間にかついて来ていたのでござる。それで問答しており、駆けつけるのが遅れもうした。申し訳ござらぬ」
 おぬしもあやまれ、と徳兵衛がみきに水を向ける。
「わたしのせいで付け狙われることになって、それで心配だった」
 みきが目を合わさずに弁解の言葉を口にした。だが、その視線がなにげない動きで伊兵衛の手の甲をとらえる。とたん、彼女の眼(まなこ)は見開かれた。
「怪我をしている」と悲鳴じみた声をもらす。
 次の瞬間、彼女はこちらがおどろくほどのすばやさで間合いを詰めるや、両手でこちらの負傷した手をとらえた。肉親の末期を見守るようなまなざしを向ける。
「血が出ている」さらにおおぎょうに騒いだ。
「いや」
 たいしたことはありませんから、といいかけた瞬間、みきに全力で引かれたせいでそのせりふを呑みこむことになる。
「手当てをしないと」
 と告げる彼女にひっぱられるままに伊兵衛はその場をあとにすることになった。
 おおげさな、と思うものの、人が自分を心配してくれているという事実が伊兵衛は少しうれしかった。
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