私の赤い糸はもう見えない

沙夜

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偶然とココア

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結局、私には何も残らなかった。
糸が見えていた頃の自信も、彼と付き合っていた頃のときめきも、新しい恋で前に進もうとした、ほんの僅かな希望さえも。
空っぽの心には、自己嫌悪という名の、冷たくて重い石が鎮座しているだけだった。

その夜、私はどうしようもなく一人でいることに耐えられなくなって、ふらりと家を出た。適当な居酒屋のカウンター席に座り、普段はあまり飲まないお酒を、立て続けに喉に流し込む。酔ってしまえば、少しは楽になれるかもしれないと思った。

「ねーちゃん、一人かい? 景気悪い顔してんなあ」
不意に、隣に座った酔っ払ったおじさんが馴れ馴れしく話しかけてきた。無視をしても、「いいじゃねえか、付き合えよ」としつこく絡んでくる。面倒になって席を立とうとした、その時だった。
「すみません、連れなので」
静かだけど、有無を言わせない声。私の肩にそっと手が置かれる。
聞き間違えるはずのない、その声に、私の心臓が大きな音を立てた。

ゆっくりと振り返ると、そこにいたのは、理人だった。
彼は、驚いた顔の私とおじさんを交互に見ると、困ったように笑って言った。
「飲み会が近くであったんだ。こんなところで何してるの」
「……別に」
「そう。じゃあ、行くよ」
彼は私の腕を軽く掴むと、呆気にとられているおじさんを尻目に、私を店から連れ出した。

夜風が、火照った顔に気持ちいい。
「どこに…」
「俺の家。一番近いから。少し酔いを覚ました方がいい」
彼の家に、今更。断ろうとしたけれど、酷い酔い方をしてまともに立っていられない私に、拒否権はなかった。

彼の部屋は、別れた時と何も変わっていなかった。
「そこに座ってて」
言われるがままソファに腰掛けると、彼はキッチンへ向かう。すぐに戻ってきた彼の手には、水の入ったグラスではなく、温かいマグカップが握られていた。
ふわりと、甘い香りが鼻をくすぐる。ココアだった。
「…好きだったよね」

その、一言で。
張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。
彼の優しさが、記憶の中の幸せだった日々が、私の身勝手さで失ってしまったものの大きさが、一気に胸に込み上げてくる。
堪えようとしても、涙が次から次へと溢れて落ちて、マグカップを持つ私の手を濡らした。

彼は、何も言わなかった。
ただ、ティッシュの箱をテーブルにことりと置いて、少しだけ離れた場所に、静かに座ってくれた。
その優しさが、あまりにも温かくて、私はただ、子供のように声を殺して泣き続けた。
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