私の赤い糸はもう見えない

沙夜

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【彼視点】届かない言葉

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あの日、雨の日に君の本質に触れてから、僕の世界は君を中心に回り始めた。
それと同時に、僕の戦いが始まった。君の瞳の奥に潜む、あの正体不明の不安との戦いだ。

僕は、僕が持ちうる全ての「完璧」で、その影を消し去ろうとした。
君が心から笑ってくれるのなら、何でもした。君の友人関係、講義のスケジュール、バイトのシフト、その全てを把握し、君が疲弊しないように、君が笑顔でいられるように、あらゆる手を尽くした。
君は僕の行動を「優しいね」と言ってくれた。でも、その笑顔の奥で、あの不安の色が濃くなっていくのを、僕は見逃さなかった。
僕が完璧であればあるほど、君は何かから逃げるように、心を閉ざしていく。
届かない。どれだけ手を伸ばしても、君の心の、一番深い場所には届かない。そのもどかしさが、僕を苛んでいた。

決定打となったのは、水族館でのデートだった。
楽しそうにクラゲを見上げる君の横顔を見て、この時間が永遠に続けばいいと、心の底から願っていた。
その時だった。見知らぬ女の子のグループに、声をかけられたのは。
僕はすぐに君を見て、君を会話に含めることで、彼女たちに「断り」の意思を示したつもりだった。
なのに、君の瞳には、またあの影が差した。「モテるね」という君の声は、ガラスみたいに脆く、ぎこちなかった。

もう、何をしてもダメだった。
僕が良かれと思ってすることは、全てが裏目に出る。君の不安を増幅させるだけだ。
僕のやり方は、間違っている。

だから、君がカフェで「別れたい」と切り出した時、僕は驚かなかった。
心のどこかで、こうなることを予感していたからだ。
「私の、問題だから」
そう言って、君は全ての扉を閉ざした。これ以上、僕の言葉は届かない。

「……わかった」
僕は、それだけを言った。
悲しみや絶望はなかった。いや、それらを思考の外に追いやって、僕は冷静に分析していた。

今の僕のアプローチは、完全に失敗だ。
このまま君を追いかければ、君はもっと遠くへ逃げてしまうだろう。
君を苦しめている「不安の正体」を、僕が知らない限り、何も解決しない。

ならば、一度、この関係を手放そう。
君を自由にして、遠くから、君を見守ろう。
そして、君を蝕む問題の根源を突き止め、それを取り除く。

これは、別れじゃない。
君を完全に手に入れるための、ほんの僅かな、戦略的撤退にすぎない。
僕は諦めてなどいなかった。むしろ、あの瞬間から、僕の本当の戦いが始まったのだ。

3ヶ月後、君がバイト先の後輩と付き合い始めたのを見た。
まず浮かんだのは、嫉妬ではなかった。ただ、純粋な疑問だ。
なぜ、彼なんだ?
彼は、単純で、明るくて、浅い。僕とは正反対で、君が本質的に求めているものとも違うはずだ。
これでは彼女の不安を取り除けない。彼が、君の抱える問題の「解決策」であるはずがない。
彼は「その場しのぎ」だ。君が、本当の問題から逃げるために、無意識に選んだだけの、一時的な気晴らしにすぎない。

ならば、君を本当の意味で救い出すために、まずはこのノイズを排除する必要がある。
僕は、その後輩がよく通うカフェに、足繁く通うようになった。
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